町がある、何ができる?/創造性を引き出す装置について

創造社会論の講義ビデオを見ています。

15年度前期の第一回目から面白い。

そこで面白いと思った話しを利用してここで書いて伝えることが僕の目的であり、「文化的な土台をつくる」手段です。

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田中浩也氏

想像社会論は、社会で様々な創造に関わっている方のお話を聞き、そこから問題を伝えたり、問題を解決するためのコツ、つまり創造的あるための秘訣のようなものを抽出し、伝えられるように活用できるようにしようというものです。

この時点で僕の曲解が入ってるかもしれないけど、僕はこのように解釈しています。

最初のゲストは田中浩也さんという方で、著書に以下のようなものがあります。

SFを実現する 3Dプリンタの想像力

このSFには二つの意味があるらしく、一つは普通にサイエンス・フィクション。

もう一つはソーシャル・ファブリケーション(social‐fabrication)の意味で、まあ、みんなで作るという意味。

人と人が繋がって、何かを作る時代になってきています。

創造社会なのです。

田中さんは工学博士であり、創造社会の実現・充実において大きな役割を担うだろうファブラボジャパンの発起人。

ファブラボって何かって言うと、以下によくまとめられていたので、リンクを張っておきます。

Fablab(ファブラボ)を知るための記事まとめ

リンクに寄らない人のためにざっくり説明すると、ファブラボとは「ほぼあらゆるもの」を自分(たち)の手で作ろうという活動の場、実践の場、つまり創造の場であり、例えば3Dプリンタをはじめとする様々な工作機械が設置されているのだそうです。

で、著書の副題?にもなっています「3Dプリンタの想像力」っていうことに関して、田中さんが創造社会論でお話されていた内容が面白かったので色々考えてみたいと思います。

何ができるかは本人次第って部分が優秀な装置・道具の可能性です

田中さんを困らせる質問に、「3Dプリンタがあると何ができるの?」というものがあるそうです。

こういう質問は本当に多いんだけど、田中さんはいつもそう投げかけられると困ってしまうと。

ああ、これは確かに毎度聞かれるとしんどいですよね。

僕なら困るというか怒ると思う笑

うるせえ自分で考えろって言っちゃうと思う。

まあでもやんわりとは言え、田中さんも同じこと言っていました。

「それはあなたが考えることです」って。

「つくりたいのはまだ名前のないものなんだけど…」って困ってしまうようです。

文字にすると全然やんわりじゃないな笑。物腰が柔らかいからやんわりに聞こえたんだ。時間がある方は是非講義をご覧になってみてください。

聞く方は軽い気持ちで聞いてるのかもしれないし、何となく期待している答えは分かりますよね。

例えば医療機器で繊細なものとか、その人に合わせなければ役割を果たせないものでも安価で簡単に素早く作成できますとか言ってほしいのかも。

ほう、じゃあ医療の発展とかにも貢献するわけですね、みたいな会話があればまあくそつまらないけど穏やかに話が進む訳です。

予定調和の会話、話す意味の乏しい質問、それが繰り返されると辛いですよね。

3Dプリンタって今まででの普通のプリンタと違って、3Dで印刷?できる訳です。物体が作れるのです。

それが画期的で、何が作れる?何に使える?というような目的意識で制限しないで、その可能性に思考を巡らせるべきだということでしょう。

頭の中で考えてたことを3Dで再現できる、という装置、設定一つで、それこそ次元が一つ増える分だけの発想の拡がりがあるはず。

既にあるモノの中から何を作ろうかって考えるのは創造的とは言えないし、宝の持ち腐れですよね。

田中さんも講義の中でワープロとかピアノを例に出していたけど、僕は「そうだよなあ、ここに絵具があるけど、これで何が描けるんですか?」って聞かないもんなあって思いました。

「いやそりゃ色々描けるだろうけどさ、好きなもん描いたらいいしょ」って話です。

3Dプリンタが更に進化したら

それにしても3Dプリンタってすごいです。

そのうちもっと進化して、今普通のプリンタでインクを交換するように、原子・分子カートリッジ、素材カートリッジみたいなのが普通に売られるようになって、形はもちろんだけど素材まで再現できるって日が来るかもしれませんよね。

例えば新しいナイフが欲しいなって思ったら自分でデザインとか大きさとか設定してアルミニウムとかチタンとか鉄とかってカートリッジを入れて、ボタン一つで思った通りのものが作れる。

もっと空想を広げれば、いらない包丁でも鎌でも何でもいいからそういうのをポンと放りこむだけで分子レベルまで分解してくれて、その素材を再利用できる装置みたいのも出来て、それをカートリッジに充填できるからコストも全然かからないとかってことになるかも。

ゴミも減る、ってかマジでゴミが宝の山になるかも。わが家なんて鉄くずいっぱいあるだろうから良いですよ(鉄工所だからね)。

そんなになったら、売れるものはほぼデザインのみってことになりますよね。

だってナイフの設計なんてなかなかできないじゃないですか。だからそういうのはセンスある人が、デザインを売ることになるでしょう。

大手の会社だってデザインだけ売ってそれぞれ家庭で作ってもらうようにすれば、在庫が大量に余ることもないし、運送とかの労力は減るし、無駄がどんどんなくなっていく。

モノの存在感というか、物質的な事柄って二の次三の次になっていくのでしょう。

次元が増えるということは、可能性が何倍にも広がるということだ

ここでさらに脇道に逸れるかもしれない話なんだけど、そもそも次元が増えるってそれだけ可能性が倍々で増えてくってことだと思います。

だって、単純に写真とか、テレビ電話とか、媒体は何でも良いけど、二次元の世界の人とはどうしたって握手できません。

だけどその人と三次元の世界で会うだけで、握手ができるようになる。

三次元ではすごく簡単なことなのに、二次元ならほぼ無理なことになる。

じゃあ四次元だったらどうだろう。四次元目って時間だって聞いたことあるけど、じゃあ僕らが未来を考えたり、過去からヒントを得たりすることが既に四次元目を利用したデザインなのかな。分かんないな。

僕らにとって四次元空間ってうまく想像できないけど、きっと四次元をデザインして手に取ることができるようになると、僕らの可能性ってもっと拡がるんでしょうね。

二次元が三次元になるだけで出来ることは飛躍的に増える。

そこに四次元目→時間?を足したら、出来ることは更に増えるし、価値基準の幅も広がるような予感がする。

僕らが暮らしている現実の町は、そういう場所なんじゃないか。過去と未来を考えながら、今目の前にどんなものがあったら良いだろう?って考える場所なんじゃないか。

何かを創り出せるって、可能性が意味分かんないくらいに広がっていて、何を創るってまだ名前なんかついてなくて、何ができるのかなんてのは自分達次第。

何をつくるかじゃなくて、その作っている段階から既に創造の余地があるということ。

3Dプリンタと同じように、「町」も創造的な装置であるはずです。

「町がある、何ができる?」

そう問われたときに、創造的でいられるかどうか。

ちゃんと困れるかどうか。

町がある、何ができる?/創造性を引き出す装置について(完)

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