「迷ったときは困難な道を選んだ方が良い」のは本当か。楽な道は常に悪路か。

発想と行動を記録する

選択を迫られるような場面に来たら、困難な方を選べと言われたことがあります。

その方が良いだろうなと思う。 例えば道に迷ったときにでも(人生のとかじゃなくて普通に道に迷ったとき)、そんなことを実感するのです。

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困難な道は上り坂、楽な道は下り坂。

僕は方向音痴だから、道に迷いやすい。

特に海外で道に迷ったときの心細さは尋常じゃありません。

海外と言っても僕はワーホリでオーストラリアにしか行ったことないんだけど、適当に歩いていたら当然来た道は分からなくなって、人に聞く羽目になるってことがたくさんありました。

道ひとつ尋ねるだけでも緊張です。

こっちはたどたどしい英語しかしゃべれない。

道を聞けば答えてくれそうな人なんかいっぱいいるけど、重要なのはパッと見ではなく、隙があるかどうか

優しそうでも忙しい空気を出している人はNG、女性なら優しいかというとそうでもない。

それで結局交番に入ったこともあります。とても丁寧に道案内してくれました。

さてなぜわざわざオーストラリアの話しかと言うと、「選択を迫られるような場面に来たら、困難な方を選んだ方が良い」という話をしてくれた人がオーストラリアで出会った方であったし、全体的に坂が多い土地なのか、道に迷うたびに坂道きっついなという印象が強かったから。

坂道を上るのが難き道で、下るのが易き道か、と思いました。迷って目的地が分からなくなったら、疲れてついつい下り坂を選んでしまうのです。でもこれは間違い。

何度か迷っているうちに、道に迷ったときは坂道を上がった方が絶対に良いってコツのようなものを覚えました。

なぜって、結局この道じゃなかったって気付いたて引き返すとき、徒労感のある体で坂道を上るのがすごくキツイから。下ってしまうと、間違ってたと気づいたときの絶望感がすごい。

そんな経験が現地であったから、「選択を迫られる場面に来たら、困難な道を選べ」という言葉がすっと胸に降りた感じがありました。

そうだよなって思った。その話をしてくれた方の真意とは違う形だったかもしれないけど、僕はその一見手垢にまみれたような言葉に深く感じ入ることができた。

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 坂道を上る理由?パンツを見るためかなあ。

しかし、そんな一辺倒の選択の仕方で本当に良いのだろうか。

確かに、上り坂と下り坂の二つがあったら、上り坂を選んだ方が無難どころか得なことは多そうだ。聞けば、山で迷ったときも下るのではなく上るのが正解なのだそうです。

あと上り坂ならパンツが見れるかもしれないけれど、下り坂においてそのチャンスは皆無と言って良いだろう、なんてことも考えました。

男はパンツが見たくて坂道を上るもんなんじゃないのか。キツイ坂道でしっかり前を見据えて歩くのは前向きでエネルギッシュだからではなく、スケベだからだ。

こう言うとくだらないけど、実際高みを目指す男性ってモテたいから頑張ってるんじゃないでしょうか。

すけべ心をモチベーションにビッグになってやるとかお金持ちになってやるとか思う訳で、そういう人ってものすごいストイックだと思います。

結局困難な道を選ぶ理由なんてパンツ見れるかもしれないってくらいの動機で十分で、それをかっこつけて「難きにつけ」とか言う。

取返しのつかない道って意外に少ないんじゃないか

色んなパンツ見て、一番上まで言ったら景色が一望出来たりして、すごい満足感を得ることが出来るんだろう。

それもいいかもしれない。

でもあの土地でたくさん道に迷って分かったことがある。

オーストラリアの良いところは、ガンガン坂を下りて、つまり易きにつきまくっても、そのうち海が見えるってところ。

海岸線沿いに発展した街が多いということもあるし、僕がいたところがたまたまそういう立地だっただけかもしれないけど、盆地生まれの山育ちの僕にとって、普通の民家が立ち並ぶ住宅街や綺麗なビルのすぐそばに海が広がっているのはすごく新鮮な景色だった。

海はわざわざ行くところだと思っていたから。

そこでちょっとじっとしてたら、別に急ぐ旅でもないし、約束がある訳でもないし、とりあえずご飯でも食べようかななんて穏やかな気持ちになることもある。

海には、坂を上っていたら見られなかった水着のお姉さんがいるかもしれない。

子供が遊んでいるかもしれないし、近くにケバブ屋さんとかジュース屋さんとかあって、それを両手に抱えて、どうせならここで日が沈むくらいまでいてもいいんだよなとか考えて、そりゃ意思はものすごく弱いけど、悪い道ではなかったと思える。

のぼる坂道が辛かったら別に下ってもいいのではないか。上がる下ると言えばいかにも下るのは意思が弱そうな印象だけど、行けるとこまで行こうと決めると割とどの方面に歩いていっても良いことがある気がする。

選択するべきときも、モチベーションはただの色欲だったりして、欲である以上結局満たされないで終わることもある。

なにも高いところばかりが絶景ではない。

どの道を選んでも、それなりに得るものがあれば満足できる。

必死の努力で得たものよりも、偶然見つけたものの方が心に残ることもある。 だから僕は、易きについて満足できるなら、それに越したことはないなと思う。

 

「迷ったときは困難な道を選んだ方が良い」のは本当か。楽な道は常に悪路か。(完)     

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