自分で自分を褒めてやりたいことってわりと小事だ。小事が大事だ。

僕は自分に甘いので、自分で自分を褒めてやりたいと思うことがわりとある。

例えば、一度目のアラームでさくっと起きたとき。

朝ご飯を作って、食べて、そのあとすぐに食器を洗ったとき。

3時間の間ひとつのことに没頭できたとき。

仕事が段取り通りに進んで、なおも次の仕事の準備をしたとき。

寝すぎず、かと言って短すぎず、上手に昼寝ができたとき。

郵便物を放っておかないですぐに開けたとき。

長らく「下書き」に入っているブログ記事を公開したとき。

電話にサッと出たとき。

近所の人や宅配に来る人と大人らしく世間話ができたとき。

お店でスマートに袋いりませんって言えたとき。

財布にちょっと余分にお金が入ってるとき。

交通機関やお店の予約をしたとき。

頭痛を早くから予見し早めに薬を飲んでことなきを得たとき。

腹八分目で夕食を終えたとき。

デザートを食べないと決めたとき。

限界からあと一回、なんとか懸垂できたとき。

ちゃんと石鹸を使って顔を洗ったとき。

トリートメントまでしたとき。

洗濯物に出す前にポケットの中を確認できたとき。

開いた時間で何らかの勉強ができたとき。

テレビを消したとき。

友達に連絡を取ったり、来た連絡を返したとき。

料理や食事にたっぷり時間をかけられたとき。

畑や庭の草を抜いたとき。

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小事を大事にすると自分を褒めるシステム

僕はこんなことができたとき、自分で自分を褒めてやりたいと思う。

あまりに些細なことで心配されてしまうかもしれないけど、こんなにも些細なことをやるとき、尋常ならざる意思の力を必要としてしまいます。

生きるってなんて面倒くさいんだと思う。

でもだいたいみんなそんなもんじゃないですか。

きちんとしてんなぁって思える人って実はそんないなくて、きちんとしてんなぁって思う人って大事を為すことができる人というより、こういう些事を当たり前のようにできる人だよなって思う。

やらなきゃいけないこととまで言わないけど、どっちかと言えばやった方が良いことで日常は溢れていて、そんなとき、どっちかと言えばやった方が良いのだから黙ってやれば良いのだ。

どっちかと言えばやった方が良いことを繰り返して生きていれば、たぶんそれなりの人間になれるのだ。

何度も思うのです。

例えば、食事中、よく噛んでゆっくり食べるというのは、ちょっと面倒臭いけどどっちかと言えばやった方が良いことの筆頭だと思っていて、これができれば、たぶん人の倍くらい健康的な人生を送れるのだと思う。

多くの人が分かっていてもできないかやらないから。きっとよく噛んで食べるだけで倍くらいの健康寿命を手に入れられる。

もう一つ、背筋を伸ばして生きることさえできれば、たぶんそれなりにピシッとして見えるのだと思うし、呼吸も深くなって落ち着いた人間に見えたり、スタイルが良く見えたり自信があるように見えて評価が上がり、社会では勝手に良い結果に繋がったりするかもしれない。

つまり、良く噛んでゆっくり食事をして、背筋を伸ばしていきていれば、自動的に人生はすごいことになる。バカっぽい発想だけどわりと本気でそう思う。

それくらい、良く噛んでゆっくり食べることも背筋を伸ばして生きるのも難しいことで。

「バタフライエフェクト」とか、「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいなことって本当にあって、日々の、ちょっと面倒臭いけどどっちかと言えばやった方が良いに決まってる些細なことを繰り返せば、きっとそれなりに良い人生になる。

そう信じて、今できることはなんだ?と考える。

まず、この記事を公開して、それから丁寧に歯を磨く。そして携帯をいじったりせず尊敬する小説家の小説を読んで寝る。

めんどくせ。でもこういう小事が大事。

僕の人生はあまりにめんどくさい。でもめんどくさいと思う数だけちょっと良い人間になれるチャンスもあるってことだよなとか思う。たまに。毎日じゃない。

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