阿部公房『他人の顔』エッセイ―ぼくらの外見の問題はどこまで内面の問題なのか―

『他人の顔』阿部公房

『ドリアングレイの肖像』ワイルド

『顔を読む―顔学への招待―』レズリー・A・ゼブロウィッツ

の3点を課題図書に選び、「顔」をテーマに据えて、ひと月のあいだ「顔」と向き合っていきます。

作品間の関わりに言及することもあれば、この作品のこの部分について、という風に記事を書くこともあります。ときには書籍に触れず顔の話をすることも。

今日は『他人の顔』のこの部分について。

どう考えてみても、人間という存在のなかで、顔くらいがそれほど大きな比重を占めたりするはずがない。人間の重さは、あくまでもその仕事の内容によって秤られるべきであり、それは大脳皮質には関係しえても、顔などが口をはさむ余地のない世界であるはずだ。たかだか顔の喪失によって、秤の目盛に目立った変化があらわれるとすれば、それはもともと内容空疎であったせいにほかなるまい。

しかし、ほどなく……たしか、あの画集の事件から(※1)、数日後……ぼくは、顔の比重が、そうした希望的観測をはるかに上まわるものであることを、いやというほど思い知らされることになったのである。16-17p

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『他人の顔』あらすじ

『他人の顔』を読んだことがない方のために、文庫本のあらすじを引用します。

液体空気の爆発で受けた顔一面の蛭のようなケロイド瘢痕によって自分の顔を喪失してしまった男……失われた妻の愛をとりもどすために”他人の顔”をプラスチック製の仮面に仕立てて、妻を誘惑する男の自己回復のあがき……。特異な着想の中に執拗なまでに精緻な化学的記載をも交えて、”顔”というものに関わって生きている人間という存在の不安定さ、あいまいさを描く長編

人間の価値は見た目じゃない。人を見かけで判断するな。人は内面である。

それは正しいことだけれど、正しいと言った瞬間嘘になる。

確かに人は結局中身が大切だと思う。ただし外見が良いにこしたことはない。同じ中身なら外見が良い方が良いことは間違いない。

外見は内面を上回るのかという話になると途端に難しくなる。外見が良いと内面が良くなるように見えるらしいです。確かにそうです。可愛い子は性格が良いに違いないと無意識に考えてしまい、幻想を抱いてしまう。そういう経験はあります。(『顔を読む‐顔学への招待‐』に繋がる話題)

『人は見た目が9割』という書籍もいつだったか刊行されたけれど、実際に生きてみると外見は思った以上に人生に影響することを知ります。

顔を喪失してしまった男は必至に顔がないくらい大した問題ではないと考えますが、傍から見たら「顔がないくらい大したことないさ」と思わなければならないのは顔が無いからだということが分かります。

男は後で仮面の計画を実行するため人工器官を精巧に作り上げる医師に話を聞きに行きますが、ここで「もし、そのままにしておいたら、あなたはきっと、一生を繃帯したままで送ってしまうにちがいない。現に、そうしていること自体が、今の繃帯の下にあるものよりも幾分かでもましだと考えていらっしゃる証拠ですからね」なんて言われてしまいます。

まあそれは良いです。顔をはじめとする外見が重要だということは分かりきっている。大抵の人は自分の外見が美しくあることを望むし、外見が良いことが得だということも知っている。

自分の外見が思わしくなければ本気で凹むし、絶望的な気持ちになったりもする。顔は大事というだけの話。

外見は内面に影響し、内面が外的な感覚に影響する

面白いのは、「顔の比重が、そうした希望的観測をはるかに上まわるものであることを、いやというほど思い知らされることになったのである。」という部分です。

このあと何が書かれているかと言うと、男が精神を落ち着けるために家でバッハを聞こうとしますが、いざかけてみるとレコードを間違えたか、それとも機械が故障したかと思うほどその音楽は狂っていました。

そこへ奥さんが紅茶を入れてもってきますが、奥さんは何事もない様子で立ち去るところを見ると、おかしいのは音楽じゃなくて自分の方なんだと思わざるを得ません。

「それにしても信じられない……顔の傷が、聴覚にまで影響するだなんて……しかし、いくら耳をすませてみても、溶けたバッハがもとに戻らない以上、そう考えるしかなかったのだ。」

例えば外見が歪んでいると自分で感じている人は内面まで歪むということはあると思う。

自分のことを美しいと考える人と、自分のことを醜いと考える人とでは、内面の働きにも違いが表れるだろう。

自分は醜いという意識があれば卑屈になったりもするだろうし、いざというときに一歩踏み出せなかったりする。

自己肯定感なんて言葉を最近よく聞くようになったけれど、外見はまさにそこに強い影響を及ぼすと思う。

でも『他人の顔』のこの部分を見ると、なんかそれだけじゃないような気もしてくる。

例えば外見が視力に影響するとしたら?

内面とか自意識とかそういう漠然としたものではなくて、視力に影響を与えてるとしたらどうだろう。

自分が醜いという自覚は視力に悪影響を及ぼして、見るもの全部くすんで見えたり、歪んで見えたりするかもしれない。

美しい人を見てもそうじゃない部分ばかりに目が行ってしまうし、優しいくされても下心を感じたり騙されてるんじゃないかと思ったりすることが多くなってしまうかもしれない。

僕らの外見の問題はただ内面の問題というだけでなく、内面を世界に反映してしまうという点で鏡の関係にある。

とりあえずここまでにしよう。

※1 会社の、若い女性の助手にクレー「偽りの顔」のデッサンを見せられると、男は取り乱し、画集を破り捨ててしまう。

阿部公房『他人の顔』エッセイ―ぼくらの外見の問題はどこまで内面の問題なのか―(完)

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