フットワークの軽さと腰の重さのバランス

発想と行動を記録する

「フットワークが軽い」というのは一般的に、ポジティブな性向だと思う。

アクティブはポジティブ。

例えば、あるコミュニティに辿りついたけれどなんだか落ち着かないとか合わないので次に行くというスタイルなら、居たくないところに居続けるストレスとは無縁でいられる。

少しでも時間があればすぐに旅行の計画を立てて行っちゃうという人は経験を得る機会も多いだろうし、フットワークが軽いというイメージがある人はいろいろと誘いやすい。

多様性がうんぬんという話を性懲りもなくしてたんだけど、多様性に対する寛容を目指すシュプレヒコールの裏には「フットワークの軽さに対する憧れ」がある気がする。

めっちゃ分かりにくい言い方をしてしまったけど、僕には多様性を叫ぶことと「身動き取れ!」「止まるな!」という叫びが同じことのように感じて仕方ないのです。

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固定を前提にした社会はもう飽きた感があるヨ

多くが決められた場所で生きて、決められた場所で働き、決められた場所で死んでいきます。

僕らの社会は固定されることを前提に成り立っているように思います。

今では転職が当たり前のようにだんだんなってきたかもしれないけど、一昔前であれば転職例えば現職で失敗したらやることだったんじゃなかろうか。少なくともずっとここにいるつもりで会社なりに入るのが普通だったと思います。

だけどこの「身動き取れにくさ」とか「普通は動かない」風潮にに社会全体として行き詰まりを感じているのも事実だと思う。

人々の身動きの取らなさが、そのまんま景気に表れているみたいな感じなんだろうか。

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「腰の重さ」も大事にしたい

誰も縛られずに、あんまり後先も考えずに、ある程度衝動的に生きてもオーケーみたいな環境が理想的です。あくまで僕はですけど。

社会全体がそうなれば良いなと思う。ここがしっくり来ないなら次!っていう風に生きていけて、身動きとってる間は死なないぜみたいな安心感があると良いなと思う。

今でこそ転職にもポジティブなイメージがついてきた気がするし、色んなところに足を運んで、いろんな経験をする人ってプラプラしてるってよりは、経験を積んでるというイメージが強くなった(僕の感覚なので当てにならんけど)。

まあでも、そういう空気が加速していけば良いと思うし、加速していくんだろう。

だからこそ一方で、「腰の重さ」も大事にしたいなと思うのです。腰が重いってネガティブなイメージだけど。

僕は今まで急に居ても立ってもいられなくなってどっか行ってしまうことがあったけど、ここ最近はあらゆることに腰が重いです。

ああ、アカンなー、歳取ったなーと思うんだけど、腰が重いってことはそれだけ居心地良いってことだし、べつにどうあるべきみたいなのもないなと。

「フットワークの軽さ」と「腰の重さ」のバランス

動きたいのに動けないとか、動きたくないのに動かなきゃならんとか、そういうのがなんか嫌な気分なんですよね。

動かないことで心が重くなるとか、動くことで落ち着きがなくなるみたいなのも嫌。

たぶんみんなそんなに心強くないし、僕も脆いから動かなきゃならないときほど腰は重いし、足場を固めるべきときほどどっか行きたくなっちゃうし、ままならない限りなんだけど、いずれにせよ重要なのは「フットワークの軽さ」と「腰の重さ」のバランスで。

フットワークが軽いときは動いてるのが気持ちよくて、腰が重いときはじっとしてるのが気持ちいい、みたいな状態が良いですよね。

 

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