僕はめちゃくちゃ面倒くさい

どうやら僕は人に「面倒くささを与える」人間のようです。

もうこれは完全にコンプレックスなんだけど、僕はあんまり人に踏み込まれない。なんていうか、心開かれなかったり、気を許されないことが多いです。

面と向かって聞いた訳でも言われた訳でもないから被害妄想なのかもしれないけど、「もしかして警戒されてる?」と思うことがめちゃくちゃあります。

それはそれで得することはすっごい多いんだけど、関わったらめんどくさそうって思われるって人としてちょっとアレですよね。警戒されてるなと感じるとそれなりに傷つくし。

なんとかしたい。

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ブログの軌跡

このブログの記事を一つでも読んでもらえれば、僕がめんどくさい人間だということは丸わかりだと思います。

そもそもなんでブログ書き始めたかって言うと、自分の故郷の衰退を何とかできないかなとか、自分の町を面白く感じられるようにできないかなって思ったのがきっかけです。

その他にも色々と動機はあるんだけど、「町おこし」をテーマにブログを始めたのは間違いない。

それがいつの間にか「文化的な土台」がどうこうって話になって、「文明と文化」→「文明ってなんで崩壊するのか」みたいなことを話題にしはじめ、今では文明崩壊の原因はコミュニケーションの崩壊にあるなんて思い始めてる。

剣淵の夜①絵本の里けんぶち/文明と文化~文化を創るということ

あなたにはモモを読む時間はあるか/ミヒャエル・エンデと文化的なものの役割

なぜ文明は崩壊するのか。なぜ夫婦やカップルの関係は破綻するのか。きっと原因は同じだ

で、じゃあなんでコミュニケーションって崩壊するの?って話になって、頭使えてないんじゃない?みたいなことになって、頭使うってどういうこと?みたいな話をしているのです。

僕らが問題を解決できないワケ/問題に対する態度の話し

なぜあの人には話が伝わらないのか/男性脳の特徴

左脳だけでは行き詰る。男だけでは息詰まる。

ちなみにこれからは『文明はなぜ崩壊するのか』を参考に、人間の思考の癖みたいなものを話題にしつつ、こういうことがきっかけで頭が回んなくなったりするよねって話をしていきます。

で、町おこしってどうしてうまく行かないの?って話題に繋げ、さらに頭使えるような設定を作ればいいんじゃないの?もしくは伝える技術、受け取る技術みたいなのを勉強すればいいんじゃないの?って話になっていくと思います。

なにコレめんどくさい。

我ながら「町おこしとか言うんだったらさっさと町おこしせんかい」とも思う。だけど僕はめんどくさい人間だから、こういうこと考えないと始まらないと本気で思ってる。

だからまあ、ブログについては好きなだけ面倒くさいこと考え続けようと思ってます。言っちゃえばもっともっと面倒くさいこと考えてます。

誰に話しても誰もワクワクしなそうなこと。

「へ、へえ…」ってリアクションが目に浮かぶようなこと。

タブーが増えたかもしれない

ブログは完全に個人のものだし見たい人だけが見れば良いものだから好きにやらせてもらうとして、問題は普通に生きてるときですよね。

面倒くさい人間と思われると何かと不都合です。

てかブログ書いて面倒臭さを醸し出すことで僕の面倒くささアップしてない?みたいな側面もあります笑。

よくブログ書いたら、(有名なブロガーの話しだろうけど)人に話しかけられたり、何らかの繋がりで人間関係が繋がったりで世界が広がるみたいな話は聞くんですけど、僕の場合アンタッチャブルなところが増えただけでむしろ身近な人が疎遠になった気するんすけど…みたいな笑

てかもともと僕は何かと人に嫌われはしないけど特に好かれもしないみたいなところがあります。

昔は「なんか冷たくなった」とか言われることも多くて、僕にとっては完全に寝耳に水で、こんなにあったかいヤツいないだろくらいに思ってる僕は内心すごくショックで、そうやって理由つけて距離取られるんだな、なんでかなあって思ってました。

嫌われてる?

いや嫌われてるって程でもなさそう。

可能性は否定できないけど、多分笑。

で、なんやかんやあって、そのくらいのときから僕は「とっつきやすいヤツ」になりたいと思ってるんですけど、まだなれてない。

なんでだろうって考えて、その原因の一つに「面倒くささ」があるのかなと思ったのです。

相手に負担をかけないように

これ同じ悩み持ってる人いるのかな。多分いるだろうな。

面倒くさい人って何が面倒くさいって、多分なんらかの負担を強いるところなんだろうなって思います。

だから僕なんかは相手に負担かけないようにメールとかは気を遣わせないよう心掛けるとか、何か決めなきゃいけないときも選択肢を与えるとかって考えるけどもうその当たりが面倒くさい。

かえって裏目に出て気を遣ってる感じとかが丸見えで、質問もはっきりするときっちり答えなきゃいけない感じが出てしまって面倒で。

じゃあ思い切って超アバウトにやろう、もう挨拶とかメールの返事とかもしたりしなかったり適当にやる感じにしよう、と思って実行すると「冷たい」って思われるんじゃないかってストレスになる。

でもそもそも僕って別にきっちりしてる訳じゃないしマナーを重んじてる訳じゃないから、ちゃんとやることやらないとスッキリしないんじゃなくて、相手に悪い印象与えてるんじゃないかなって部分がひたすら心配なだけなんだよな。

ちゃんとしたら面倒だと思われるし、ちゃんとしなかったら悪い印象になるし、僕よりよっぽど世の中の方がめんどくさいだろって思う。

ってところまで考えて諦めそうになったんだけど、この件で僕のダメなところは、力を抜くところと力入れるところの区別が全然ついてないってことなんじゃないかと思いました。

年下とか友達に対してそこまで礼をつくす必要はないし、目上の人にはきちんとしないといかん。

僕は割とそのへんが逆、というか、ちゃんとしてないんだと思います。

じゃあこの辺を直すのか?と言われると、違う気がする。

それでとっつきやすいヤツになれるとは思えん。

「面倒くさい人」で検索してみた

正直「面倒くさい人」とかで検索とかしてみたんだけど、こんなん言ってたらみんな少なからずめんどいじゃん…って思いました。

めんどくさい人の特徴が40個も50個あったらみんなどっかには当てはまるじゃんって。

でもどっかに書いてあった中で自分でもこれはあるなと思うのは、プライド高くて自己防衛本能が強いみたいなのはあるかなって。

何だかんだ自分で決めないと気がすまないとか。

でも日常でご飯とか旅行とか行っても、僕自分で決めることほとんどないけどな…。むしろ決めてくれた方がありがたいことが多い。

こだわりあるところはそりゃ自分で決めなきゃ気が済まないけど、そんなのみんなそうだと思うし、何もこだわりがなければないでめんどくせえって言う訳でしょ?

自己防衛本能が強いってのはね、特にある。

このブログでも、決めつけられたくないし、簡単に理解されたくないって気持ちがあって、だから曖昧模糊としたことばかり言って全然実体を伴わなかったりする。

世界が狭くなる知識/決めつけられないために知っておくべきこと

そのあたりが慎重すぎて、警戒心強すぎて、全然人のこと信用してないなって自分でも思う。

こう言うとわざとやってるみたいだけど、頑張って伝えようとしてるけどうまく伝えられない、要領を得ないってのが実際なんですけどね。

まあいいの今はブログのことは。

調べてみたら面倒くさい人の特徴とか話してて疲れる人の特徴ってのはいっぱいあって、自分に心当たりがあったり、あー確かにこういう人面倒くさいわって思うものもあるんだけど、こんなの全然ない人いないだろって。

もはや人間関係でメンドクサイって言う人が一番面倒くさいんじゃないの?って思う。

面倒くさいもんじゃん、人間関係って。

極端はダメ?

面倒くさい人とか、疲れる人って確かにいる。

ほとんどが極端で、○○すぎるとか、すぐ○○って言うとか、あの人と話すといつもこうだ…みたいなことが蓄積していって、あの人めんどくせえってなる。

ほとんどの人は会う度に違うってことはなくて、基本的にはいつあっても同じ会話とか行動のパターンみたいなのがある。

みんなみんな面倒くさい一面って持ってるし、関われば関わるほどそういう場面は増えていく。

「面倒くさい人」って検索する人は、きっとほとんどが身近に面倒な人がいて、単純にうわやっぱりそうなんだって共感したかったり、なんか対処法みたいのないかなって人なんだと思う。

僕みたいにもしかして自分って面倒くさいヤツ?って思って、それを確認するために検索する人もいるかもしれない。

で、調べてみて分かったことはみんな面倒くさいところは持ってるし、言ってみれば相性だけの問題であって、この面倒くささは大丈夫だけどこの面倒くささは耐えられないってのがそれぞれにあるってこと。

例えば何かを誰かに相談するとして、話聞いて欲しいのに「俺だったらー」とか、「俺も同じようなことあったわ―」って全部自分の話しにされるのが面倒と感じる人がいる。

逆にちょっとした話題のつもりだったのにめちゃくちゃ親身になって話し聞いてくれて、心配してくれて、なんか重いって感じて面倒くさくなったりもする。

面倒くさくない人ってどんなだろう?

相手の需要に完璧に答えられる人?

話を聞いて欲しいときにはよく聞いてくれて、会話を盛り上げて欲しいときには適当に自分の話しとかしてくれて。

きっとこういう器用な人は、人に好かれるんだろうなあ。

僕が選ぶ面倒くささ

じゃあそういう器用な人になりたいのかというとやっぱり違う。

僕にも自我があるし、別に万人に好かれたい訳じゃない。いや人気者になれたら良いけれども。

でもそれは一面的な欲求であって、とっつきやすい人間にだって、本当は別になりたい訳じゃない。

じゃあ一体、今まで書いてたことは何だったのか。

それは僕も思いついたまま書いてるから全然分かんないんだけど、多分単純に、「面倒くさくてごめん」ってことが言いたいのだと思います。

面倒くさいと人に嫌われます。

で、みんな蓋を開ければ面倒くさいんだから、みんなそのリスクは持ってる。

結局ブログの話しになるけど、ブログだったらもっと極端かも。

面倒くさいとか疲れるとかって思うような記事を書いてたら人は離れていきます。

ブログ始めるときにちょっと勉強したんだけど、ブログの記事は基本的には人の求める情報を、端的に分かりやすく伝えると良いそうです。

検索エンジンにキーワードを打つ人の気持ちになって、その人が求める答えをズバンと言い切ることができる記事が優秀で、人気が集まるのだとか。文章全般に言えることだと思うけど、ブログには一種の極端さが必要とのこと。

その上で、何らかの悩みが解決できたり、役に立ったり、何か得るものがある記事を書けば良い。誰かの背中を後押しするとか。

で、何を書くか分からない人は何を書けばいいかって言うと、自分が実際に困ったこととか、悩んだこととかを書けば良いと。

必ず他にもあなたと同じことで困ってる人がいるから、必ず誰かの参考になはなると。

だから、あなただけの色を出せるとブログは人気になるよみたいなものを読んだことがあります。

ほうほう。テーマは自分の中にあるニッチなものを。それを出来るだけ多くの人に共感してもらい、理解してもらう工夫をしましょうと言うことか。

なるほどなるほどって思ったけど、実行は言うほど簡単じゃないし、僕はどうやら答えよりも問題の方に興味があるみたい。

悩めば悩む程、解決策とか答えが見つかるよりもずっと多くの問題が見つかる。プロブレムじゃなくてクエスチョンね。

それが僕はブログ書いてて楽しいところだし、煮え切らないところとかウジウジっとしてるところとかダメだよなーって冷静に思うけど、僕はこのままでブログを読んでくれる人を探しているのだと思います。

つまり、一緒になって問題を考えてくれる人、悩んでくれる人、あーでもないこーでもないってつい考えちゃって色々進まないけどなんかその時間が充実するなって人。

ここまで読み切れずになんだこいつめんどくせえって思う人の方が多いと思うし、今回はむしろタイトルに恥じないよういつもより面倒臭さを出してみようと思いながら書いてるんだけど、それでもいつか言われたことがあるように、「文章で書いて誰かに伝えるって贅沢なことだ」と思うから、堪能したい。

このブログは割と僕の内面とか本当の部分が色濃く出ているから、実際に僕ってここに書く文章程度には面倒くさいのです。

悩んでいる人がいたら、いいぞもっと悩めって言ったりもする。
悩みがつきない人間

確かに、文章を書いている以上、ブログを誰かに読んでもらおうとする以上、何らかのものを得て欲しいとか思ったり、誰かの役に立つように工夫するってのは大事だと思う。もちろん、とっつきやすくすることも。

でもパッと検索してパッと解決するようなこと、答えが知れれば満足なことの他にも、悩むこと自体に価値があるものや、答えが出るまでの過程に重きを置く人もいると思う。

そしてこれは文化的な土台を作ろうと思った僕にとっては守らなくてはならない面倒くささだとも思うし、文明に傾いて他人に割く時間が極端に少ない現代だからこそこれから大事にしていかなくちゃいけないところだと思う。

そしてそんな、めんどくせえけど贅沢なコミュニケーションを取れる空間を、ブログだけでなく実際に町にも作りたいと思う。

だって人間関係ってどうあがいても面倒くさいもん。

だからどうせなら、少なくとも自分が選んだ面倒くささと付き合っていきたいなと思っているのです。

僕はめちゃくちゃ面倒くさい(完)

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コメント

  1. 樋口 より:

    面倒くささがあるけど贅沢なコミュニーケションを「おこす」には、どんな機会を作ればいいだろう。

    人との間に入って、関係をおこし(会社をおこす的な?おこす)、それが町おこしになっていくのを狙っているのかな。

    • kzy より:

      樋口さん 
      コメントありがとうございます。

      結論から言えば、例えば一案ですが「お芝居」のような、多様な人が関わる間口があり好き嫌いをぶつけることができる(こだわりを発揮できる)「創作」をみんなであたま振り絞って行えるような機会があれば良いと思います。

      脚本があって、小道具があって大道具があって衣装があって、そもそも劇場から小さいの作ったりして。

      特に僕だったら、「脚本」をまな板にあげて、どうしたらもっと面白くなるかを考えたりすることに興味があります。書評するみたいに。

      出来たモノではなく、「出来るまで」に焦点を当ててそれを価値とし、多様な関わりと目的を一つにした属性としての場を作る。「つながり」を目的とするのではなく、目的を果たそうとすると「つながる」のが理想です。

      で、「出来るまでを見せること」をテーマにブログのコンテンツにする。どこにいても、脚本を送ってもらったりすれば創作の場に関わることができる仕組みを作る。

      長いこと書いてしまいました。詳しくはおいおい書きますが、大体こんな感じを考えてます!