アンパンマンと政治家

人生に正しさを求めると画一的になり、その主体が誰でも、見た目には同じになる。

仮に大学入って、就職して、結婚して、子ども産んで、という「普通」の生活がまだ根強いこの社会の正解だとして、景気が良ければ確かにそんな正解を拵えるのも容易になるだろうけど、その代わり誰の人生もさして変わらないかわりにムラもない、チェーン展開みたいな人生が溢れる。

少し視野を狭めて、自分の身に寄せて、文章で考えてもそう。既に少し前の流れだったように思うけど、特にWEB上の文章には正解めいたものがあり、分かりやすく、簡潔で、役に立つものが好まれました。それがPVを集めるのに有利で、お金に繋がったから。

その結果、誰が書いても同じような文章が溢れるようになった。つまり極端に言えば個性が抑制された。必ずしも現代の流れとは言えないと思うけれど、少なくともそういう時期はあったと思う。

今回は、別に一家言あるわけでもないしむしろ人より疎い方なんだけど、以上のような話に少し関連して、かつ時世の流れに乗ったトピックということで少し政治の話をしてみます。

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 政治は国を正しい方向へと導くためのものか

政治に違和感があるのは、政治家たちもまた、正解を求めているように見えるというところです。

この問題とこの問題とこの問題を解決します。そうすればこの国はもっと良くなるはずです。この問題がすべての諸悪の根源です。政治の力でこれを正します。

そのときそのときの政治の主流とか、歴史、外交、トップの好みとかいろいろ都合もあるんだろうけど、国にお金がなきゃ困るのはある程度事実で、政治って国単位のビジネスのような雰囲気すらある。

ビジネスとしての国家形成、商売としての政治。強い国を作り、世界で活躍するための国作り、それがひいては国民の豊かさに繋がるというロジック。

でも僕は思う。やっぱり正しさを求めても僕らは幸せにはならない。だって正解を目指すというのは反対に言えば「間違いを犯さない」ということで、正解に近づけば近づくほど、それ以外が間違いになっちゃうから。

もちろん、あくまで国民も政治家もそれぞれの正解を求めているように見えるというだけの話で、実際はどうか分からない。というか少なくとも政治家はあくまで民主主義の精神に則り「妥協点を探している」はず。

正解を求めるのは何が何でも我を通したい僕たち一般国民の方で、僕らがそんなだから相互作用的に国の代表者たちも何らかの正義を標ぼうしなければならないという感じ、なのかな。票を集めるためにはやっぱり何らかの正義が必要だもんな。

ともかく、ここでは国民に引きずられて、政治家もまた正解を求めているという体で話を続けてみようと思います。

誰もが善意と正しさを持っているのに内部崩壊する不思議

完璧な国を作ろうとすれば間違いが顕現する。正解のルートが確固であればあるほど、間違いのルートが多くなる。数多くの不都合やトラブルが表れる。

だからそれを正そうとする。みんな正解はこっちだぞ、そんなことやってないで我々の言う通りにしたまえ。国でそうと決めたんだから従いたまえ。頂上にたどり着く最も楽で効率の良いルートはこっちなのだ。

ああほら言わんこっちゃない、そっちはクマが出るルートなんだって。これだから言うことを聞かないヤツはって感じで、正解のルートを歩まない人を問題視するようになる。

政治が正解を求めるし(ルートを決める)、政治が正解を作ろうとする(頂上を決める)から、僕らも正解探しになる。誰の言ってることが正しいんだろう。誰が間違いのないリーダーなんだろう。

しかし満足するメンバーが最も多い無難な正解なんて、誰が掲げてもたいして変わりません。当たり前ですよね。そもそも山の頂上は一点なのだし。 

どの携帯会社を選ぼうがたいして変わらないように、どのファミレスを選んでも大して変わらないように、「広く人口に膾炙する正解」の行きつく先というのは、たいてい形が似通る。少なくとも傍からはそう見える。

 意見や正しさに興味はなく、好みだけが私の道しるべだ

国とか国民の幸福とかって漠然としたものに対する答えならそれはなおさらで、正直たいしてイメージもできないし興味もないから、誰がやっても同じになる。首相が変わっても店長が変わったくらいの影響力しかない。

店長が余計なことしたらブーイングもする。あいつは間違いだって言う。ここでもまた他人を問題視する。

僕もこうして政治を問題視しているのだから人のことは言えないけど、自分の正しさを持つというのは恐ろしいことだなとは思う。

こうして国も国民もお互いに正解を押し付け合って、自分に正しさがあると思い込んで、争って内部崩壊が起きる。

なぜ文明は崩壊するのか。なぜカップルや夫婦の関係は破綻するのか。きっと原因は同じだ

自分に正しさがあると思い込み、他者への理解を阻み、コミュニケーションレスに陥り、コミュニティが崩壊するという流れはこのブログでかつて考えたテーマの一つで、だからこそコミュニティ作りが重要で、コミュニティ作りには相互理解が重要だという趣旨がこのブログにはあります。

もうちょっと詳しく言うと、正しさや意見ではなく、好みを語るのが良いと思うという話がこのブログの大きなテーマです。

論理は否定できるけど、感情は否定できない。

だから私はこれが好きなのだ。こっちが心地よいのだという好みを語ることこそが、社会の中の自分を形作る道の一つだと思っていて、好みの集大成ともいえる創造というテーマに行きついて、まだ意味不明かもだけどこのブログでは色々と試してる。

それは本題ではないからもうほどほどにするけど、今書きたいのは政治のことで、いわばこれも好みの問題として聞いて欲しいんだけど、僕が政治に求めるのは、正解に導く頼れるリーダーではなく、弱さや間違いや違いを許容する、アンパンマンみたいな存在なのだ、ということ。

好みを語ることで自分を形作るという点をさっきの山の例で言えば、山のどこにいようが、そもそも山に登らなかろうが、私はここの景色が好きで、ここが私にとっての正解だからここにいるんだ、が許容されるような、尊重されるような、そこにいて良いよって言ってもらえるような環境です。 

 アンパンマン的政治演説

例えば政治家がこう言うとする。

私たちはお金持ちです。だからあなたたちに何かあれば、本当にいざというときは生活を助けることができます。

でも全てがお金で解決する訳でもないですし、お金にも限りはありますから、話し合いや、手間をかけることで改善する部分があれば、そのお手伝いからしたいと思います。

どうしようもない場合に限り、力を振りかざします。最後にはアンパンチを振るうアンパンマンのようにです。

例えば私たちは国によって自由に使えるお金を与えられていますし、行動もある程度の自由が保証されているので、フットワークは軽く、困っている人がいればすぐに駆けつける準備があります。ヘリだって飛ばせますし、飛行機も乗り放題です。

しかしその力は皆さんの税金によって賄われています。アンパンマンにあんこが必要なように、私たちの力を発揮するためにはある程度お金や権力が必要です。よって税金は払ってくださいお願いします。その代わり税金分の働きはします。

私たちは国民の皆さんの弱さや間違いを許容するだけの力を持っています。それだけの勉強もしてきました。だから好きなことをして、好きな場所にいてください。どこにいても大丈夫です。相当特殊なケースでないかぎり助けられると思います。

もちろん、誤解して欲しくはありませんが、好きで弱くなる人や好きで間違う人はいないと思います。

ただ私たちは人間なので、生きていれば結果的に間違うこともあろうし、気分によって自分がこうだと思うこともうまく出来なかったりします。病気や震災と言った不条理もあります。なにより好みの問題があって、それが運悪く人に認められないこともあります。

そんなことは誰にも等しくあるので、誰もが自分を貫き、それでも最低限の生命を守るための受け皿として、国という機能があるのです。

そしてその国の意志の手先として動くのが我々政治家で、我々も人間なので理屈で言えばという話になりますが、人々の自由な幸福追求の道の過程で起こり得るあらゆる危険から皆さまを守るだけの力を与えられています。

このような役割を負うには、確かな知的能力と体力、そして精神力と、なにより使命感や正義感が必要です。皆さまの支えなくしてできることではありません。皆さまの喜ぶ顔なくしてできることではありません。 

私は心優しく、誰にも好かれ、そして力もあるアンパンマンに憧れているのです。そしてアンパンマンの世界が憧れでもあります。あの多様性はどうでしょう。一人として同じ人はいません。みんな似通ってるのはあのばい菌みたいなヤツくらいです。

あの秩序とそれを守るアンパンマンの役割はどうでしょう。美しく、楽しく、カッコイイと思うのです。

 最後に

うん。なんかこれはこれできれいごとという感じもしないではないけど、政治家がそこらにいても何とも思わないけど、各都道府県にアンパンマンがいるのだと思ったら、さぞ頼りになる存在だろうなと思う。 

アンパンマンはアンパンマンで一つの正義という気がするし、これこそが政治家の正しい姿だと思うという感じになるとまたややこしいことになる。

だからあくまで好みの問題として、政治家がアンパンマンだったらいいなって話です。よく分かんないけどアンパンマンが立候補したらすぐ投票するなって感じ。

アンパンマンがどこかの空を飛んでいれば、頑張ろう、僕は僕の幸せを追求しよう、自分が大切だと思うことをしよう、それがこの国に住む条件だって思える気がする。

何かあってもアンパンマンが来てくれる。そしてできることなら、アンパンマンに何かあったときには助けてあげたいな、と考える。ああそうか、身近な人を助けること、身近な誰かを尊重することが、アンパンマンの助けにもなるんだ、と行きつく。

国民と政治家の関係がそんなだったら平和なのにと思う。

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