承認欲求とは何か/承認してもらって、本当に欲しいのは参加権と発言権

これがパニック発作?誰にも認められないことを認めるのは辛いという話

という記事を書きました。書きながら、承認欲求ってなんなんだろうな?って思いました。

上記の記事は、僕がある会場で会った友人たちに「認められていない」「興味をもたれていない」という感覚を抱いたことで自信を失い、疲れや不安も相まって身体に異変が生じた、という話です。

どうして僕らは人に認められることをそんなに大事にするの?

認められないって事態が、自分の身に降りかかったとき、どうしてそこまで辛い思いをする?

そもそも認められるって何?

考え出すとなかなか奥が深そう。

僕なりに出した結論から先に言わせてもらえれば、僕らは漠然と「承認」を求めているのではなく、「承認」されることで得られる「参加権」や「発言権」を欲しているのではないかと思います。

これは「お金」を欲する気持ちと似ていて、僕らみんな「お金」は欲しいと思うしそこに疑いはないけれど、本当に欲しいのは「お金と交換できる何か」に違いありません。

お金があればできることに想いを馳せるとき、お金が欲しくなる。

それと同じで、承認さえされていればできることに想いを馳せるとき、承認が欲しくなる。

じゃあ承認されていればできることってなんだろうな?と思ったとき、思い浮かんだのは「自分の話を聞いてもらえること」だったり、「人が自分に向かって何かを話してくれること」なんじゃないかと思いました。

つまり承認欲求とはコミュニケーション欲求である。

これで言いたいことはすべて言った感があるのですが、蛇足でもう少し書きます。

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僕は一人じゃダメだった

「多様性」は他人を認めるための言葉ではなく、「自分が間違ってる可能性」を知るための言葉だと思う

という記事を書いたことがあるのですが、この記事(主にコメント欄を参照してほしい)でも、認めるってどういうこと?ということを考えてはいます。

この記事を書いた時点では、僕はある種達観した姿勢を持っていたと思います。

認められるとか認められないとか関係なく、自分は自分だろ?みたいな態度があったと思うし、今も究極的にはそう思ってるはず。

他人に対しても、認められるってどういうこと?認知してるけどそれじゃダメなの?肯定して欲しいってこと?みたいな不遜な態度があったかと思う。

ああ、今になって思えば、認めるっていうのは肯定して欲しいとかじゃなくて、単純に仲間に入れて欲しい、くらいの感覚なのかなと思うのですが、若かった頃の僕は良くも悪くもそういう部分に対する繊細さが足りなかったかもしれない。

今だって、「自分が納得さえしていれば誰に何を言われようが問題はない」というのが自分のスタンスだと思ってはいます。

だけど、認められない、人に興味を持たれないという状況に身を置かれるとやはり精神が堪える、ということが分かった。

僕はコミュニケーションを求めていて、それには承認が必要だった。

僕は他人のことを大変気にしているということだし、もしかしたら自分に納得もしていないのかもしれない。

自分に納得するためにやらなきゃいけないことは、適切な承認を求めること

僕らが人間関係から逃れるのは不可能だと思います。

いくら自己本位に生きても、自分の世界観を信じたとしても、やはり僕らは他者を必要とする。

僕らは本能的にコミュニケーションを求めるし、コミュニケーションがないのならあらゆる動機が無に帰してしまう。

僕らが生きる上で欲するあらゆることはコミュニケーションに繋がっていて、そのコミュニケーションとは本当に基本的な発言権と参加権なんだと思う。

他者は必要。そこをまずは認めた上で、僕らが考えるべきは「何で認められたいか」と「誰に認められたいか」だと思う。

つまり、自分は誰にどんな点で認められれば納得するのかを徹底的に考えるということ。僕はどんなコミュニケーションの場面においてもっともよく発言し、参加したいと思っているのかを考えること。

そうすれば、「それ以外の状況」で認められなかったり相手にされなかったりしても、急激に落ち込むということはなくなるんじゃないかと思います。

文学、創作の世界で、似た嗜好を持つ人に認められたい。そして妻に認められたい。

僕が認められたいのは、本が好きな人、特に文学、小説、物語が好きな人に認められたい。

一口に本とか文学とか言っても、一括りにできるものではないと思います。

こんな文学的な思想を持っている人に認められたいというのはあるかな?と考えたら特になかった。

まだ大雑把なだけかもしれないけど「こんな楽しみ方もあるよな」とか「塚田は小説とか物語とかが好きなんだな」って認めてもらいたいという気持ちがあります。

こんな読み方もあるよな、こんな書き方もあるよな、こんな見せ方もあるよな、こんな売り方もあるよなっていうことを納得してもらえるようなことをしていきたい。

そして何より、そういう風に生きる僕のことを、妻に認めてもらいたい。

妻は基本的にあまり小説を読まない人なんだけど、それでも僕がこういうことをブログに書いたり、小説を書いたりすることが無駄じゃなくて、楽しくてということを理解してもらいたい。

そのためにどうするか?を考え続けて、こういう領域で僕は世の中とコミュニケーションを取るぞという決意をしよう。

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