朝日町にあるあの洋館はなんだ!増殖する和洋折衷建築

しばしば旭川以北は未開の地と言われる北海道の、まさに未開な部分に僕のふるさと朝日町はあります。

掛け値なしに何もない、時間をかけて足を運ぶ価値が無い、いや探せば魅力はあるぞ自然が素晴らしいぞ雄大だぞと踏ん張る方もいるだろうけど、自然なんて都会でもたいして珍しいものじゃないし雄大さと言っても20分くらい見たら飽きる程度のものだと僕は思う。

少なくとも時間をかけてたどり着く労力が報われるほどの雄大さなんて持ち合わせていない。つまり何もない。哀愁や退廃感はところどころにあるかもしれない。

しかし用や縁があってこの辺りを訪れる人、無目的なドライブを楽しむ人、漠然と北を目指す人、通りすがりにこの辺りを突っ切る道道を通る機会がある人の中には、もしかしたら朝日町の辺りで、「あの洋館はなんだ?」と思う瞬間がある人がいるかもしれない。

この記事はそんなごく限られた人のために書こうと思います。あれなんだ?と思ったけどどうやって検索して良いか分からない人向け。きっと調べるとしたら「朝日町 洋館」とかで検索するしかない人向け。

あそこは何?なんかの店?そんな感じしないけど、使ってないにしては綺麗だし、ねえなんだと思う?って隣の運転者に聞いてもそんなのあった?みたいに言われて、まあでも引き返すほどじゃないし…。

きっとそんな経験をする人、年間何人かはいると思う。

そんな方に向けて、この記事では内面(中で何をしているか)より外観(建物について)の紹介をメインにしたものをお届けしようと思います。

スポンサーリンク
スポンサードリンク

外から見ると洋館だけど、裏から見ると和風建築

この洋館は「旧佐藤医院」と言って、かつて病院として使われていました。

長い間使われていなかったのですが、有志で清掃・美化に取り組み、今では誰でも立ち寄ることができるコミュニティースペースとして解放されています。

休んでも良いし、ただ建物を見るために入っても良いし、会議とか仲間同士のお喋りに使っても良いし、創作に打ち込んでも、イベントに使っても良い。

この辺り、詳しくはホームページをご覧くださればと思います。

ところでこれは中に入らなければ分からないことだと思うんだけど、大通りから見ると明らかな洋館なのに、奥に進むとこのような和室が拵えられています。

旧佐藤医院 和室

和室から見える庭は松蔭庵という名が付く日本庭園で、おっきい石とか木々がセンス良く配置されたけっこう本格的な庭。夏縁側に坐れば濃緑の木々で目を覆われ、冬は小雪チラつく中に佇む木々が雪見障子から覗けます。

これは秋の写真↓

松蔭庵 秋

まだ病院として機能していた僕がまだ4才とかの頃は、正面側、つまり洋館側かつ診察スペースにしか立ち入ったことがなく、奥はまさに未開の地、閉ざされた空間でした。

幼い頃、この庭側の生垣のところで友達と野球をしていて、ボールを中に入れてしまったことがあります。生垣の穴から覗き込んでもボールは見つからず、次第に恐れが勝ってきたので僕らは逃げましたが、そういう意味でも僕にとって旧佐藤医院の裏側は立ち入ることのできない領域でした。

裏側を知った今、環境の美化に取り組んだ結果ではあるけれど、こんなに綺麗な庭だったのかと驚き、人に見せたくなるお庭だなと感じました。

縁側

由緒も歴史もない建物だけど、表は昭和モダンな洋館の赴き、奥に進めば純和風な趣がある。

気になった方は気軽に立ち寄ってみて欲しいと思います。

脈絡なく現れた洋館

さて、ここから少し面倒くさい話になります。

もっと掘り進んだ意味での、この建物って何なんだ?という話をします。

先ほどは由緒がない歴史がないと言いましたが、そう言うのは、日本全国のいわゆる伝統的な建築物に視野を広げたときの話。

この病院はこの病院で、この地域の歴史と文化を担っているには違いありませんが、そもそも和洋折衷建築と言えば北海道では函館のような、海外の文化が流れ込んでくる必然性のあったごく一部の地域にルーツがあります。

こんなに内陸の、戦時中ですら外人さんなんて見たことないって人たちが住む未開の地に、なぜ和洋折衷建築があるのか。

これはもう建てた人の趣味だろうとしか言いようがなく、そういう意味で紐解ける歴史的な何かや文化的な何かは無いと僕は思いますが、こうして考えてみると、この建物の「異様さ」が何となく漂ってくるのではないでしょうか。

こうして誰もが使えるコミュニティースペースとして蘇った旧佐藤医院は町に溶け込んでいるように見えますが、サッと大通りを走っていると一瞬目を引く程度には、この建物は辺りから浮いている。

この建物が建てられた大正14年当時(後に移設して現在の場所に建ったのは昭和5年)であればその違和感はいかほどなものだったのでしょうか。さすがお医者さんだと一目置かれていたのかもしれませんし、なんだアレはと笑う人もいたかもしれませんし、なんか怖いと感じた人もいるかもしれません。

5年の時点ではそうでもなかったかもしれませんが、大正の時点ではとにかく浮いていて、必然性の無い建物だったのではないでしょうか。

函館の和洋折衷建築と比べてみよう

函館の和洋折衷建築と言えば、普通は上下で別れています。

つまり下の階が和風で、上の階が洋風。

函館物産コポロ 外観

↑「函館物産コポロ」「茶店 バー カフェやまじょう」外観

いろは 外観

↑雑貨屋「いろは」外観

伝統的建造物として開放されている旧相馬邸(撮影禁止)は下階の一部が洋風建築のデザインとなっていますが、他の文化財として残っている多くの建物は下が和風、上が洋風の建築。

イギリス領事官や公会堂のように全面洋風建築のところもありますし、寺院と教会が隣り合わせるように建っている姿を見るとまさに地域全体が和洋折衷入り乱れ、かつて文化の交流が活発に行われていたのが分かります。

その結果としての和洋折衷建築。

函館には文化的な背景があり、背景を表す資料としての建築がある。

それを踏まえると、旧佐藤医院にはそういったものはありません。

だからそういう意味で言えば、建造物としての歴史的価値は、古い建物という点を除けばあまりない、と言って差し支えないのです。

建物や地域の生物的な変化

函館の建築物のような形質の変化は文化的な背景に促された自然な変化だと思います。

「生物的な変化」と言えば分かりやすいでしょうか。

生物的な変化というのは、例えば日ごろから山道を歩いていると足の筋力が発達するとか、よく泳ぐ人は肺が発達するとか、反対に一日中スマホやパソコンを見ていたら視力が衰えるとか、そういう自然な変化。

きっちり計画された決まった形ではなく、状況に応じてウネウネ増殖したりなんだりしてだんだん変わっていく様子。

函館は歴史的な背景や文脈があって和洋折衷建築が生まれ、拡がり、今も残っています(洋風細胞が増殖していったという感じ)。これは自然なことです。

しかし旧佐藤医院はそうではない。だから周りに同じような建築物があるということもなく、これまでは顧みられることもなく、何事もなければ今頃取り壊されていたかもしれない。

不自然なもの、文脈のないものは残らない、ということなのでしょうか。

継ぎはぎだらけに見える旧佐藤医院内部

少し旧佐藤医院の内面の細かいところに注目してみましょう。

旧佐藤医院 窓

↑上下に開け閉めする窓

旧佐藤医院 壁角

↑壁の上のとこのデザイン

旧佐藤医院 窓のカギ

↑窓のカギ

ここからは函館の写真

コポロの窓

↑「函館物産コポロ」の二階の窓

イギリス領事館 壁の上のとこのデザイン

↑イギリス領事館 壁の上のとこのデザイン

イギリス領事館 窓のカギ

↑イギリス領事館 窓のカギ

よく似ているデザインが散見します。当然、真似をしたのは旧佐藤医院の方。かなり当時の「洋風建築」をそっくり再現したのだと分かります。

旧佐藤医院は上と下で和風、洋風が分かれている訳ではないので、急に、と言えば語弊があるかもしれませんがいつの間にか「和」が訪れます。それでなくても病院と居住空間を兼ねていたので、各部屋には一貫性がなく、見ようによっては継ぎはぎのようにも感じられるのです。

実際、ここは始めれっきとした洋風建築だったようです。後に和風建築的な裏側と日本庭園ができた(と推測される)。内部を見てみても、二階にある当時院長先生の息子さんの部屋だった部分は少し時代が下ってから作られた部分だと材料を見ることで分かります。

長男 部屋

十畳の和室は奥様がお仲間を呼んでお茶を楽しむために炉が切ってあり、隣の襖を隔てた隣の六畳間の一角に水屋が用意されている。↓

水屋

また、建てられた当初の写真には表の二階にテラスが用意されているのですが、建て替え時の写真では取り外されているのが分かります。雪が多いこの地域ではテラスの維持管理が難しかったのでしょう。

建物の外観を眺めてみると一見なんの必然性も脈絡もなく当時の流行としての洋風建築が突然発生した結果のように見えますし実際にその通りなのだと思いますが、内部を見てみるとその造りは当時住んでいた先生たちにとっての必然性と脈絡に沿って次第に増殖していったのだと分かります。

これがとても生物的で、函館の街並みから歴史の変遷を伺えるように、旧佐藤医院の内部からは当時そこで暮らしていた方たちの生活の跡(それも贅沢な)が伺えるのです。

建築物のこれまでの価値とこれからの価値

一個人の家がここまでダイナミックに必要に応じて増えたり削ったりされることがあるでしょうか。

お風呂場だけあとでリフォームとかはあるかもしれませんし、時代の流れ自体が大きかったのかもしれませんが、和風庭園(と和風建築も?)を増やしたりする家なんて僕は見たことがありません。

そのような観点で見ても旧佐藤医院は稀有な建物であって、歴史的な価値はなくとも生活史(贅沢史)的なものが伺える面白みはあるのではないかと思います。

さて最後に余談になりますが、ここまでつらつらとお話ししてきたように、建物も地域も必要に応じてある部分が増えたり消滅したりする生物的な側面がある、という点が僕の一番興味のあるところです。

必要な部分は発達し、不必要な部分は退化ないし消滅する。

旭川以北には何もないとは、そのまさに以北に住む身としても言われてカチンと来ないレベルにある。いやほんと何もないよ?期待しない方が良いよ?って謙遜でも保険でもなく言いたくなる。

いわゆる社会的な価値で言うところの見るべきところや訪れるべきところ(つまり観光資源)は本当に少ない地域です。

それは旧佐藤医院をどうひっくり返しても歴史的な価値(日本国で保存すべきだと認められるような価値)を見出せないのと同じで、今回のお話しのように、見ようによっては面白いとか言ってお茶を濁すような健気な真似をするほかありません。

しかしそれは、現代において社会的に認められる観光資源としての価値や歴史的な価値がないというだけです。

使われない部分は退化・消滅するけれど、コミュニティスペースとして使われるようになった「旧佐藤医院」はまだ生きている。

生きているということは、まだ必要に応じて変化したり、文脈に沿ってストーリーが付け加えられたりするということです。

これから旧佐藤医院に訪れ、利用する人がそれぞれ見出す価値によって、それが作られていくのかもしれません。そしてそれは旭川以北全体に言えることでもあるのでしょう。

価値があるから訪れるのではなく、誰かが訪れることで生まれる価値がある。

なのであの洋館はなんだと気になった方はどうぞお気軽に足をお運びください。

土曜日が開放日なのでぷらっと入れます。その他は基本施錠してあるので、以下からご連絡の上お越しくださるのがスムーズです。

旧佐藤医院ホームページ

朝日町にあるあの洋館はなんだ!増殖する和洋折衷建築(完)

スポンサーリンク
スポンサードリンク