僕らが問題を解決できないワケ/問題に対する態度の話し

コミュニケーションの不全が崩壊のはじまりだ。 なぜコミュニケーションが不全に陥るのかというと、それは人間が頭を使わなくなるから。

文明崩壊』を読んでも『文明はなぜ崩壊するのか』を読んでも、文明の崩壊の理由が人間の思考停止が原因だという部分は共通しているように見えます。

(関連記事です→)文明はなぜ崩壊するのか。なぜ夫婦やカップルの関係は破綻するのか。きっと原因は同じだ

『なぜ文明は崩壊するのか』にも、こんな記述があります。

解決策の見つからない複雑な問題は、それ自体が停滞して前進しない。それは社会が認知域に到達した最初の徴候だ。 時間とともに状況が悪化すると、第二の徴候が現われる。知識と事実が、思いこみに置きかえられるのである。 ーー中略 停滞と思い込み。この二つの徴候が社会に現われはじめると、崩壊のお膳だては整ったと言える。21p

『文明崩壊』では、崩壊に至る理由そのものは分かったけれど、謎なのは、どうして「このままじゃヤバい」という状況になっても、人間はまだ同じことを繰り返すのか、という疑問が語られていました。 『なぜ文明は崩壊するのか』はその回答に当たる本なのではないかなと思います。

問題に対する態度、人間の頭の使い方。

この記事はそれが悪いんじゃないの?という話です。今回は特に問題に対する態度について書こうと思います。

スポンサーリンク
スポンサードリンク

問題の種類

崩壊とは何かと言うと、問題が解決できないことです。

当たり前だと思われるかもしれませんが、この、「問題が解決できない」というところはなかなか奥が深いと僕は思います。

ただただ大問題がだーんと押し寄せてきて、あれよあれよと崩壊してしまうこともあれば、なんでこんなことで!というレベルのことが解決できずに崩壊してしまうものもあります。

大災害が来たから文明が崩壊しました、という話なら、納得です。

現在のテクノロジーは災害の予測ができなかったし、その場ですぐに対応も出来なかった。 思っていた以上のことが起きたからダメだった。 これはシンプルだし分かりやすい。

しかし、急に規模を小さくするけど、ちょっとしたきっかけで別れてしまうカップルがいます。

小さな問題が山積みになって、傍から見れば決して深刻ではないようなことでも二人にとっては崩壊を招く程の事態なのだということがある。

上の方にリンクした記事でも書いたけれど、文明だろうが人間関係だろうが、崩壊の原因は 人間同士のレスコミュニケーションなのだ 「問題を解決する」ということに対する怠慢なのだ という立場に立てば、ことを文明に置きかえようが一組のカップルの別れに置きかえようが根本は同じだと思います。

問題を解決する以前に表れる問題

なぜ物事は「崩壊」するのかというと、迫りくる問題が解決できないから。

そんなの当たり前だけど、この「問題」って一体なんでしょうか。

そもそも問題だと分かっているなら解決すればいいじゃないですか。

それが出来ないということは、「新しい解決法」が必要な、「新しい問題」だということです。

思ってもいなかったことだったり、複雑な問題だったりして。

そして文明だろうが人間関係だろうが、崩壊するということは、解決法を見つけることができなかったということです。

でも、まあ確かに疫病とか大災害とかで文明が崩壊してしまうのはある程度仕方ないなあと思うにしても、カップルや夫婦が別れる、もしくは友達と喧嘩して絶縁するなんて崩壊の仕方は、「新しい問題か?」と言われると違う気がしませんか。

斬新で画期的な解決法が必要でしょうか。

文明の崩壊にしたって、人類では太刀打ちができなかったものもあれば、必要な木全部切っちゃったのが原因みたいな、それ本当にどうすることも出来なかったの?ということがけっこうあるようです『文明崩壊』に書いてあったけど。

ここで問題に対する態度という話になるのですが、つまり、何かが崩壊に至るとき、そもそも「どう解決するか」以前に、「問題に対する態度」がまちがっていたりするケースもたくさんあるのだと思います。

具体的には

・問題の設定がまちがっている

・問題を解決する気がない(当事者意識がない)

・問題が理解できない というようなこと。

以下、もう少し詳しく考えていきます。

問題の設定がまちがっている

問題を解決する、ということは、ある程度クリエイティブな発想が必要になります。

今までのやり方でダメだった思いもよらない問題なのだから、思いもよらない解決策で対抗しなくてはならない。

『文明はなぜ崩壊するのか』では、左脳と右脳を上手に使い「ひらめき」による解決が必要だというようなことも書いてありました。

この記事でその当たりに触れるかどうかはまだ分からないけど、いずれにしろいつか書きます、というか既に書いてあった感があります。 →斬新なアイディアを産み出す準備はできているか。

普通アイディアとか発明というと、向上とか発展のイメージが伴うと思うけれど、「維持する」とか「保つ」ことも十分創造的なことです。

斬新で画期的なアイディアはあると確かに良いけど、実際には良くなることだけが解決ではないということですね。

人間関係だって、「それまでと変わらない」ということが双方にとってベストになることだってあります。

喧嘩の後は必ず前よりも絆が深まっていなければならないとかいうことはありません。

何が言いたいかと言うと、「人間関係の維持」というのも地味に見えるかもしれないけれどやはり創造的なことだということです。

そしてそれは「何かをどうにかして伝えようとか、どうにかして理解しよう」というような類の創造で、とても文化的な営みで、時間がかかることです。

理解とは創造的な行為だから、本気でやれば誰でも産む苦しみと産む喜びを味わえるはずだよ

文明が崩壊しそうなら、みんなで文明を維持するための解決策を考えなくてはならない。

人間関係が崩壊しそうなら、当事者たちで関係を維持する解決策を考えなくてはならない。

だけどその「関係が壊れそうだ」ということ以前に、当事者たちが同じ問題と向きあっていない(問題の共有が出来ていない)という問題があるのです。

この時点でコミュニケーションの崩壊が始まっているから、問題が解決できず、コミュニティ(どんな規模のものでも同じ)が崩壊してしまう。

コミュニティからコミュニケーションを取ったらその形が維持できなくなるのは当然ですよね。

コミュニケーションの塊がコミュニティなんだから。

だから、問題の解決の前には必ず、そもそも自分たちにとっては何が問題なのか、自分たちは今どんな問題に立ち向かっているのかという点をよく話し合わなければならないのではないでしょうか。

そうしなければ、問題の設定がまちがっているということになるのでしょう。 同じ問題を解いているつもりでも、まったく別の答えが出てしまう。それでは満足のいく解決なんて無理ですよね。

解決する以前の問題

問題に対する態度、という話であれば、残り二つはとても密接な気がします。

というか全部密接で同じことを言っていると言っても良いかもしれません。

でもまあ、残り二つというのは

・そもそも問題を解決するつもりがない(当事者意識がない)

・問題が伝わらない

です。

一方は大問題だと思っていることも、もう一方は問題だと思っていない。

だから解決しないし、一方にとってはそのこと自体が大問題。

ここでもコミュニケーションの崩壊が始まっています。

これは男女関係なら特によくあることだと思います。

やっぱり脳みその構造が違うのか、なんで怒ってるの?ということはお互いよくあるのではないでしょうか。

意味分からん、また謎に怒ってる。どうすれば満足なの(問題が伝わらない)。

僕は女性脳とか男性脳とかって本当に人によってあるよなって思ってて、つまり積極的に好んで偏見を持っていて、人と話しているとよく女性らしい考え方をする人だなとか男性らしい考え方をする人だなとよく決めつけてしまいます。

いつだったか何かのサイトだか本だかでその男性脳とか女性脳とかが分かるテストがあってやってみたんだけど、僕はどちらかというと女性よりの脳のようだし、その自覚もある。

男性的な人との会話で不快な経験をすることが多いからですが。(遠慮のない偏見に寄る男性脳の記事も今度、てか次書こう)

当然、男性にとっては大問題ということが、女性にとってはくだらねえってパターンもあってケンカに発展するということもあるでしょう。

誰にでも経験があると思うけれど、問題を解決する気がない、当事者意識がない人にとっては、「問題を発する人」そのものが問題になってしまったりします。

なんかわかんないけどめっちゃ怒ってる。どうしよう…、どうしたら機嫌直るんだ…。というのが問題になるから、これも両方が満足する解決なんて無理な話です。

そしてこれは「問題の設定がまちがっている」状況でもあります。

見てるものが全然違う。

問題を解決する前に、解決する問題についてよく話合わなくてはなりません。

文明に傾いた時代では、問題を共有する時間が足りないのでは

文明に傾いた現代では、もしかしたらこの時間こそが足りないのかもしれません。 そしてコミュニケーションの崩壊が起こっているのであれば、「こいつなんで怒ってるの?」型の問題が山積して、問題の設定が食い違ったまま、一方は問題を発し続け、一方はおかと違いの洗練されてもいない真新しくもない解決法をやみくもにぶち込んでくる。

問題も分かってないのに「答え」を探そうとするから、問いを発する方はまったく納得がいかない。

「何も分かってない…」って言いたくもなる。

分かってないのは解決法じゃなくてそもそも問題の方だったりするのです。

それじゃ解決するもんもしないし、小さな問題が原因で関係が維持できないなんてことも起こるのも当然。

そもそも崩壊に至るコミュニティの中には、「僕らにとって問題ってなんなの?」という話をする時間がありません。

文明に傾いた時代では心の部分の領域、理解や伝達のための試行錯誤、のような、創造的な行為に割く時間がありません。

ただただ要領良く答えを出そうとします。

解決する能力が足りなくて崩壊してしまうものも確かにあるけれど、身近なところで考えれば力不足なことよりも、解決以前の問題であることが多い、ということが良く分かると思います。

というか、ほとんどのことって問題が共有できた時点で解決だったりすると思いませんか。

特に人間関係であれば、理解そのものが解答だったりすることも多いと思うのです。

この話もまた横道に逸れてしまうのでまたの機会にしますが、多分具体例を挙げるまでもなく分かってくれる人は分かってくれると思う。

さて、1対1の人間関係でも、文明の崩壊でも、根本の崩壊原因はレスコミュニケーションだ、という話を少し踏み込んで、「そもそも解決すべき問題に対する態度がまちがっているせいで解決できないこともある」という話をしてきました。

問題に対する態度を見直す必要があるのではないでしょうか。

今回は長くなってしまうので漠然と「問題に対する態度」の話しだけして終わりにします。

次回から、もっと具体的な話ができれば良いなと思っていますが(ああ男性脳について書くんだった)、正直何から書いていけばよいか分かんなくて困ってます。

文明と文化の話題はそれぞれがリンクしてループしてどこが始まりなのかよく分かんなくて僕が混乱している。

逆に言えばどこから読んでもどこかと繋がるということですからそれはそれで良いのですが、もっとクリアに書ければもっと伝わるのにな、という悩みを、僕はとりあえず解決したい。    

僕らが問題を解決できないワケ/問題に対する態度の話し(完)

スポンサーリンク
スポンサードリンク