車の自動運転システムと人間の行方。「自分で運転する」ということが非合理的になる日。

車の運転をしているとよく考えることがあります。

「交通ルール考えた人すごいよな」ってこと。

だって、交通ルールは完璧に守ればたぶん事故は起きないようにできているんです。

でもルールを破る、もしくは何らかの理由で守れなくなるからこそ事故は起きる。

ルールの完全さに対して、僕たちはあまりに不完全すぎるのではないでしょうか。

だから車の運転はやめた方がよいと言っている訳ではなくて、単純にもっと自動運転システムが向上すれば良いのにと思う、ということです。

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なぜ自動車はまだ世の中にあるのか

車の運転は好きか嫌いかと問われれば、たぶん「嫌い」と答えます。

ドライブは好きだし、あのセミ密室空間は貴重なプライベート空間でもあるから嫌いと言い切るのもどうかなと思うけど、やっぱり運転はしないに越したことないという気持ちが強いのです。

だって、毎年毎年事故が何件も起きてて、そのうち何件かは死亡事故で、その数字だけ冷静に見れば車って世に出て良い代物ではありませんよね?

ちなみにこのページによると2014年の交通事故での死亡者数は4,113人らしいです。

1970年は何があったのかダントツのピークで16,765人。この数字と比べればここのところの交通事故での死亡者数は減少傾向にあるみたいだから、ずいぶんマシになったのかもしれません。

交通事故死亡者数の減少は自動車の制作技術が向上しているとか人々の意識が向上しているとか車を運転する人の絶対数が減ったとか色々原因はあるんだろうけど、このまま年間で誰も亡くならないのが普通くらいになっていけば良いですよね。

今の時点でも、運転者全員が完全に交通ルールを守れば限りなく死亡者はゼロに近くなるはずです。

でも交通ルールに(たぶん)誤謬はなく、間違えるのはいつも人間だからって、車による死亡者が多いからって車使うのやめようってことにはならない。

「事故は想定内のリスク」ぐらいの扱いで、それは便利を考えると目を瞑ってもよいレベルのリスクなのです僕らの社会では。

僕らが合理的に動くことは合理的ではないという矛盾

僕らは必ずしも合理的に動く訳ではありません。

車の運転を考えるとよくわかると思いますが、車の運転に際して、もっとも合理的な方法は、交通ルールを完璧に守ることに間違いありません。

しかし、実際には様々な局面で(完全にルールを守ろうと意識していたとしても)完全にとは言えない事態に陥る。

例えば、制限速度の表記を見逃したりすることはあると思うし、ボーっとしてたらスピードがガンガン上がってたということもあるでしょう。後ろの車から煽られて焦ってスピードをあげてしまうこともあれば、緊急事態でどうしても急がなければならないこともある。

あ、黄色になる、と分かったけど行ける!って判断しちゃって結局全然間に合わなくて赤信号で横断してしまうこともあるでしょうし、ついうっかりシートベルトし忘れたり、免許証持つも忘れちゃったり、この場合どっちが優先だっけ?ってこともあるはず。

加えて、違反とか以前の問題でしょうが癖でウィンカーあげるのいつも遅かったり、クラクションを無暗にならしてしまう人もいるようだし、知らずにハイビームのまま走ってる車だっている。

僕らは完璧な運転をしようと思えば常に判断ミス、勘違い、認知能力の低さ、注意力の散漫、癖、惰性、過信、焦り、動揺、などなどあらゆるものと戦いながら運転をしなければなりません。

そんなの無理でしょう。疲労がたまってかえって危険なんじゃないかって思います。

ってことは、合理的に動くためにはここまで人間として非合理的な存在にならなければならないということなのです。

アンチ自動運転システムと文明への恐怖

自動運転システム、もっと発展すればよいと思います。何もしなくていい、寝てたら目的地、みたいな。ハンドルもなし、動く箱。本当の意味で自動車。

でも車の自動運転システムに限らないんだけど、科学が発展しすぎることを嫌う人って意外に多いみたいです。具体的に誰と言われると困るけど、印象として。

なんというか反射的に、科学とかロボットとかそういう文明に色々委ねてしまうことに反感を覚えるというか、抵抗があって、漠然とした恐怖心が芽生えてしまう人。

これじゃ人間がバカになるとか、人間必要ないじゃないかって言う人です。

うん、そうなんだって。

という話をこの記事ではしている訳です。

文明が進むとはどういうことかというと、主導権を科学技術や合理性に委ねるということで、つまり人間がいらなくなるということです。

車に限らず、なんでもそうでしょう。あらゆる仕事が最終的にはロボットの方が良いはず。

ミスや不正があって困ることはミスしない欲のない疲れないプレッシャーもかからないロボットに全部任せた方がよい。

だったら人生丸ごとロボットにやってもらえばいいじゃないですか。

今はまだロボット技術が不完全だからそうしないだけで、僕らは文明の利器を利用しまくってるんだからこのペースでいけばナチュラルにそうなりますよね。

そうやって言われて、「いやいやでもそれじゃやっぱあんまりにも…」ってもやもやした気持ちになるんだったら……

どうすればいいですかね?

正直結論が思いつかないままここまで来てしまったんだけど(笑)、なんというか、運転なんて正解が決まってるものはとっととロボットに任せてしまって、僕たち人間は非合理的な部分をもっと磨いていけたらいいなと思います。

「いや運転好きだから自分で運転したいんだけど!」という人は、そういう非合理性を貫くために安全運転に励めば良いですし、技術側もミスをカバーするってシステムを発展させていけばよいんだと思います。

自分で運転することが非合理的な判断になる、という日が来ることを心待ちにしています。

車の自動運転システムと人間の行方。「自分で運転する」ということが非合理的になる日。(完)

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