成功するのが怖い心理/僕らは本当に「成功」を目指しているのか?

成功するのが怖い心理ってあるよなあとふと思いました。

こないだ「宝くじで高額当選しても受け取りにいかない人がけっこう多いらしい」って話を聞いたんだけど、一瞬驚いて、それから「あーわかるかも」って思った。

「5億くらい当たんねえかなー」って思うことは僕らよくあるんだけど、よくよく考えると「いらないかも」って思う。

いや、ほんとに5億が手元にあったら、それも湧いて出てくるようなもんだったら、なんか分かんないけどダメなんじゃないか、思ってた幸せより思いも寄らない不幸の方が多いんじゃないかって考える。

思い描いていた成功がいざ目の前に出現すると怖くなる。

成功が怖い。だからあえて避ける。もしくは無意識的に避けてしまう。

こういう気持ちが僕らにはあるんだろうなと思って検索したらやっぱりちゃんとあるそうです。

僕調べたときトップに出たのはこの記事でした。

成功するのが怖い!あなたの幸せを邪魔する2つの心理的理由

恥ずかしながら僕も「成功が怖い」気持ちって持ってるんですけど、この記事以外の記事を読んでも、僕が感じてる怖さとはなんか、なんとなく違う気がする、いやよく分かるし突き詰めればそうなのかもしれないけどなんか違う、と思ったのでここに書きます。

僕が感じるのは、怖さというより寂しさ。

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思い通りに書けた記事を捨てる不思議な現象

成功が怖いと言っても、僕ごときが思う成功だから大したことではありません。

例えばブログ記事。

書きたいと思ってたこと、予定をちゃんと立てて、サクッと書いてしまおうと思ったことが本当に思い通り、サクッと書けてしまいそうになると手が止まり、消してしまったことが何度かあります。

出来上がったときにそれが本当に理想通りのものなのか、簡単に書けてしまったことを喜んでいいのか、仮にそれが本当に理想通りのものだとして、誰が読んでくれるのか、読んだ上でくだらないと思われたらどうしよう。

そこまではっきり考えている訳ではありませんが、無意識的にそんなネガティブさが出て来て、公開するのを恐れてしまうから、最後の最後が書けないままお蔵入り。

こういう心理はさっきリンクを貼った記事などに書いてある一般的な「成功が怖い心理」だと思います。

こういう気持ちは人並みに持ってる。このように小さな成功ですら怖くって無意識にブレーキをかけてしまい、ときに書き始めることすらできなかったりする。

最後まで書けない小説がたまる理由

文章を書くときの僕にとって一番大きな問題は「最後の最後が書けない」というところ。

まだブログ記事だったら可愛いものですが、恐ろしいことに小説のような大きなものを書くときにも同じことが起こります。大きなことほど怖いのは当たり前か。

そろそろ終わりそうだ、着地できそうだと言うとき、終わらせるのが怖くなる。書き終わったあと凡作だと気づいたら?書き終わったら「公開」や「印刷」という次の手順が待ってることもあるだろうけど、それがうまくいかなかったら?

自分が思う成功(書きあがり)が、他人の酷評によって失敗だと言われたら?

結局失敗を怖がってんじゃんって思う人は、物書きの機微を知らないね。

期待していた以上の絶賛も怖いんです。それって宝くじで5億円当ててしまったみたいな怖さで、5億円もの対価を受け取るようなことしてないのに、運だけで受け取れてしまいそうな報酬の前では尻込みしてしまう。

そんなもんを抱えきれる自信もなく、扱いこなす自信もなく、負い目や引け目ばかりを背負うことになる。

あ、結局失敗を怖がってんのか笑

まあそんなこんなで、僕らいつまでも推敲を続けてしまったり、ちょっと冷静になろうとか言って好きな作家の本を読んでやっぱり自分はまだまだだとか考えてしまったり、書き終わってないのに他の話のプロット考えちゃったりして、書きかけのままお蔵入りにしてしまったりする。

こういう人けっこういると思う。特に世間的には「成功」してない人ほどそうなはず。

ああなんてラブリーな人間!

この心理を克服しなければ、できることもできないんだろうな。何が何でも終わらせるって大事なんだろうな。

成功が怖いというより、終わってしまうのが寂しい

でも僕普段好きなものを書いてて思うのは、怖いっていうより寂しいっていう気持ちもあるんじゃないかなってことなんです。

何かを書いてるときにはやっぱり成功/不成功が頭によぎるから怖いというのが大きいんだけど、成功も不成功も自分には関係ない、読む側や見る側のときにも終わりを避けることがある。

例えば小説を読み終わりそうなとき、連続ドラマやアニメを見終わりそうなとき、これはあくまで僕の場合だけど、途中で一旦止めちゃうことがある。

いやこれは自分で書く小説とかとは違って結局最後まで見るんだけど、終わっちゃうなーって思ったら「見終わるまでの時間」を引き伸ばしたくなる。そんで見終わったら、またハマれる何か探さなきゃって動画漁りしちゃう。

物語って、主人公はクラスで一番惨めなヤツとか、才能なくてくすぶってるヤツとか、厄介ごとに巻き込まれるヤツとかいわゆる負け組なことが多いと思うんです。

つまり「成功」してない僕らと同じような連中が主人公になって、それぞれの成功目指して頑張ってる。その姿が面白いし共感できる。トラブルに巻き込まれるときとかダメなとことか情けないところを見てうんそうだねそうだねって思って、それを少しずつそれぞれのやり方で克服していくところが面白い。

でも、強くなるに従って、ふろしきが畳まれるに従って、ハッピーエンドに向かいそうになるのに従って、つまり問題や悩み事が無くなっていくに従って、寂しくなっていく。あのドタバタもモヤモヤも全部終わっちゃうなーって思う。

そんな寂しさが現実にもあって、僕らくすぶってたり惨めだったりする自分もけっこう好きで、それが終わっちゃう名残惜しさっていうか終わってほしくないって気持ちがあって、ときに成功を拒んだりするんじゃないか。

一緒に悩んで、たまに変化を促せるような人になりたい

うんそうだな。くすぶってたり惨めだったりする自分もけっこう好きってのは、なんかそうな気がする。

僕らけっこう好きで悩んでて、好きでその場にいることが多い。

だから世間的に成功してそう見える人も、「わざわざ悩んだりする」んじゃないの。これがおれの本当にやりたかったことなのかとか、もっと他のやり方があったんじゃないか、このままでいいのかとか。

そんなに悩むならやらなきゃいいしょとか、そんなのこうしたら簡単じゃん、こう考えれば解決じゃんとか言われたらなんかちょっとムカつくのは、おれの悩みを取らないでよって気持ち、おれの悩みをバカにするなよって気持ちがあるからだと思う。

悩まないで済むようなことで悩むようなバカじゃないよって。

でも、やっぱり悩みって不毛なことも多いし、僕らの人生が物語的であるからこそ、いつまでも同じことで悩んでないで、「変化」を取っていかなきゃつまらないんだろうな。

解決じゃなくて変化。終わらせるのは嫌だけど、ちょっと勇気を出して変えてみるという決断は、物語を面白くするためには必要かもしれない。

だけどここで、「成功が怖い心理」が働いてしまう。だからこそ勇気がいるんだけど、そんなとき、「一緒に悩んでくれる誰かがいたら」と思う。

というか僕がそういう人になりたいです。たぶん僕は自分の会社でそういうことがしたいんです。だって人の悩みや変化に関われるってことは、間近でその人の物語に関わることができるってことですよね?そんな贅沢はないよ。

人の問題や悩みを解決するのではなく、一緒に悩んで、たまに変化のきっかけになって、それでそれぞれの物語が本人的にも僕的にも面白くなれば素晴らしいなと思う。winwinというヤツなんじゃないか。

成功を目指すというより、目指すんだけども、成功に至るまでが一番面白いみたいに、僕らの人生できないかな。物語的な観点があれば、できる気がするんだ。

あくまで続いていく僕らの人生には変化を

「成功」や「勝ち」は物語を終わらせてしまうから怖い。

だけど「変化」は物語を面白くする可能性があるんじゃないか。

この違いは微妙だし、受け取り方の問題でしかないんだけど、アニメ作品が一つ終わってしまって次の作品に行くのと、「次のエピソードへ進む」ときくらい、感覚的に違うものだと思う。

だって僕ら先のことって分からないから、成功と呼べる経験をしたらこれまでの自分とはお別れしなきゃならない感じって湧いてきてしまうものなんじゃないか。

ああもうこの悩みとはオサラバなのか、気を取り直して次だってちょっと大袈裟に考えちゃうんじゃないか。そうやって、いままでの自分をサッパリ切り捨てたいという人もいるかもしれないけど、たいていの人は自分とオサラバするわけにいかないし、何だかんだ悩める子羊の自分が好きだったりすると思う。

誰もが成功や勝ちを目指すけれど、それは物語を終わらせるための方法であって、「上がり」になれる人はとても少ない。強く望んで、ひと昔前の自分を切り捨てられるような、成功を怖がらない人じゃなきゃ手に取れないものだと思う。

あくまで続いていく僕らの人生には面白おかしい変化を。

それは多分、成功を目指すよりもっとたくさんの人が受け入れられる。

だから、僕ら本当に「成功」を目指しているんだろうか?僕ら成長したいんじゃなくて、あくまで自分は自分のまま「変化」したいんじゃないかって思った。

成功するのが怖い心理/僕らは本当に「成功」を目指しているのか?(完)

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