散文の初歩・散文の基礎とは何か

ある小説のレビューで、「作者は散文の初歩も理解してないんじゃないか」みたいな酷評が書かれているのを見て、散文の初歩ってなんだろう?って思いました。

初歩ってのはつまり、散文の基礎ってことだろう。

僕も小説を書いたりするのだけど、恥ずかしながら「散文の初歩・散文の基礎」なるものは知らない。

そもそも散文って、決まりがない文章のことじゃないの?その初歩ってなに?言うなれば決まりがないという点が基礎じゃないの?

そういう意味の捻じれの方がよっぽど気になるぞ、ということで、「散文の初歩・散文の基礎」について少し調べてみました。

散文というのは一体なんなのか、そして散文に初歩なるものは存在するのか。

また、散文の初歩も知らない人は小説を書いちゃいけないのか。

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散文に決まりなし

wikipediaでサクッと調べると

散文(さんぶん)とは、小説や評論のように、5・7・5などの韻律や句法にとらわれずに書かれた文章のことである。狭義には、そのようにして書かれた文学。韻文の反意語。散文で書かれた詩のことは散文詩と言う。また、散文的という言葉は「味気なく、情趣が薄い」という意味で使われることもある。

と書かれています。

やっぱり、特定の決まりがなく、比較的自由に紡がれた文章のことを散文と呼ぶ。

「散文的」と言われれば何となくよろしくない、漫然としていて、型通りでないことは問題にしないにしても、あまりにもとりとめがないという程度に受け取るのは分かる。

「狭義には、そのようにして書かれた文学」と書かれている点を考慮すると、「散文の初歩が分かっていない」という指摘は、「文学と呼ぶにはかけ離れている」ということを伝えたいばかりに編み出した諧謔という感じかもしれません。

そうだとしたらなかなか高度かもしれない。

小説にも決まりなし

「散文とは、小説や評論のように……」と書かれているのですから、小説の書き方にも決まりはないということになります。

散文で書かれた代表的なものの一つが「小説作品」だということでしょう。

「散文の初歩」とか言われるとドキッとしてしまう。散文に初歩や基礎なんてあるのか?散文の初歩や基礎が分からないと小説を書いちゃいけないのか?

僕は散文とはと問われると答えられないぞ。

谷崎潤一郎の『文章読本』を読んで散文とは何かを確認することにしました。

「私がこの本の中で説こうとするものは、韻文でない文章、すなわち散文のことであります」

と書いてあるのだから、これほど頼りになることはありません。大谷崎とまで呼ばれた小説家が散文について教えてくれるのですから、これはもう「散文の基礎」と言って良いでしょう。

谷崎潤一郎が文章読本で重要視しているように見えるのは、「分かりやすく書く」ということに尽きると思います。

文章を以て現す藝術は小説でありますが、しかし藝術と云うものは生活を離れて存在するものではなく、或る意味では何よりも生活と密接な関係があるのでありますから、小説に使う文章こそ最も実際に即したものでなければなりません。

もし皆さんが小説には何か特別な云い方や書き方があるとお思いになるのでしたら、試みに現代の小説をどれでもよいから読んでご覧なさい。

決まりはないとしても、決まりがないのが一番困る。ただ、分かりやすく、実用的に書くという指針があるのは助かりますね。

散文に初歩や基礎というものがあるのだとしたら、「分かりやすく書く」ということに尽きると考えて良いのではないでしょうか。

小説を書いちゃいけない人なんかいないけど、そういう、現実に傍らにある文章を書くという意識を持つことは重要なのかもしれない。

散文の精神

蛇足になるけれども、そういえばどこかで、「散文の精神」という言葉を見かけたような気がしました。

『狂気の読み屋』という本で見たのでした。

『狂気の読み屋』は「散文の時間」というシリーズの一冊で、このシリーズについて、こんなことが書かれていました。

散文、というと耳慣れない印象を抱かれるかもしれませんが、かつて、日本のある作家たちのグループは、「散文精神」をモティーフに掲げました。

それは自分たちが生きる時代の現実にたいして、「どんなことがあってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き抜く精神」のことです

このシリーズもまた、現在のような時代だからこそ、そうした精神を共有したいと思います。

後略

どうやら散文と一口に言っても、まだまだ奥が深いようです。

散文と散文精神の繋がりについては、また改めて書こうと思います。

決まりがない文章、それでいて分かりやすい文章、実生活に即した文章。

それは多分、現実を粘り強く生きる上で必要な文章で、必要とされることを願う文章なんだろう。

だからこそ、散文で書かれる文章というのはしばしば厳しい評を受ける的になるのかもしれません。


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