鳥の餌もらって嬉しかった話と「最近の若者は」/現実は厳しいと言う怠慢

先日、鳥の餌をいただいた。

米袋にどんと古米がたっぷり入っている。

見づらいけど写真をば↓。

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最近の鳥は…

うちにはペットがいないもので庭に遊びに来る鳥や猫を愛でているのですが、アイツらは現金なもので食べるものがなければ来やしません。

猫はただの通り道にしてるっぽいですが、鳥は餌があると思えば来るしないと分かったら来ないという比較的ドライな性格なようです。

だから古米をもらったとき、これで安定して餌の補給ができると思って嬉しかった。夏になったとうきびの残りとか食パンの切れ端とかをあげるのには限界がありますからね。

餌が定期的に置いてあると認識されれば巡回スポットとして足繁く我が家の庭を訪れピヨピヨとやるんですからチョロイものです。

で、鳥小屋に古米をまいておいたのですが、翌日見てもあまり減ってないんですよね。

す、好き嫌いすんな…!野生のくせに!って握りこぶしを作り歯噛みしたものです。

ったく、最近の鳥は贅沢だなと。

先入観や固定観念が僕をかっこ悪くする

最近の若者は!って言いたくなるときの心理ってかなり変だと思います。

いつの時代も言われてた言葉だとかって言うのは野暮な話で、要するに上の世代は下の世代が気に入らないものなんだってまとめるのは簡単なんだけど、それってなんでそんなに根強いの?って疑問が。

僕もつい思ってしまった訳だし(鳥にだけど)、このペースでいくと20年後とかに最近の若いやつはホントアレだなみたいなことを疑いなく話しているかもしれない。

ああそれは嫌だ、かっこ悪い。

50歳くらいになっても若い人に色々教えてよって頭下げられる人になりたい。自分が正しいと思ったことに固執せず、物事を定型処理しようとせず、悩んだり迷ったりし続けながら楽しめるような、思考的な体力を持ち続ける人になりたい。

完全に先入観や思い込みのないフラットな頭で素直に人の話しを聞き、だけど自分の思考力と判断力で物事の良し悪しを合理的に判断できる人間になりたい。

僕はけっこう尊敬する人っているんだけど、なんかこういう傾向にあると思うんだよな。考え続けてるって言うか、自分を疑い続けてるというか。腰は低くても自分の考えてることに自信はあるという。

何歳になっても変化し続けるって感じでしょうか。

というのも、なんで歳取ると最近の若もんはみたいなことを言いたくなるかと言うと、決めつけてる部分が多くなってくるからなんじゃないかなと思うのです。決めつけるって思考の怠けだと思います。

これってこういうもんだろっ!?みたいな。

自分の方法とか考え方とかが正しいと思いこんで疑うことをしないから、そうじゃない世代を見たときに不満が生まれるのかなって。

アドバイスの価値は平等です

それが明らかに自分よりスマートなやり方だろうが、自分より苦労してやっていようが関係なく、自分の信じてる方法と違うから違和感が抑えきれずに口に出してしまう。

若者が楽をしていると甘いと思うし、苦労してるのを見るとなんでそんな要領悪いんだって思う。

方法や考え方そのものではなく、自分のやり方や考え方と違うという部分が気に入らないしストレスを感じているのですから、聞いてる側としてはイチャモンです。

こういうこと言うから最近の若者はアドバイスの一つも出来ないって思われるかもしれないけど、そこがまた思い込みでしょう。

アドバイスを受けて、普通にそうだなって思えばその通りにするし、違うなって思えば受け入れないというだけですから、ここに若者とかって関係ありません。

だけどもし、言うこと聞かないってまたイライラするのであれば、若いモンはアドバイスを聞くものだ、その方が良いに決まってるっていう思い込みが根底にあるということでしょう。

意見やアイデアに歳は関係なく、一歳上の人が言ったことだから一歳分正しいということはありません。

経験値の違いがある?

確かに。だけど情報というのは新しい方が正しいという側面もある。

つまり何が正しいのかは結局のところ誰にも分からず、やっぱり意見やアイデアなどは都度フラットな思考で向き合うという方法をとるしかないと思うのです。

明らかな間違いは法律で定められてる訳だしね。その法律さえも未だ完成してないのですから、正しさに絶対はありません。

鳥と現実と私

僕も、鳥だし古米食うだろ!?という思い込みがあったからこそ最近の鳥はハングリー精神が足りないとか、ゆるく生きてるなとか思ってしまった訳です。

野生ってこういうもんだろ?食うにも困ってるんだろ?って言う変な「期待」があったのでしょう。

だからさぞ喜ぶだろうなって思ったけど、実際はあんまり食べに来てくれなかった。思ったよりグルメだったのかもしれないし、食べるものいっぱいあるかもしれない。

真実はまだ分からないけど、思うようにはなかなか行きません。

現実ってマジ厳しい。

だけど、もし鳥が食べ物に困らずに日々を暮らしているのであれば、それは喜ばしいことなんじゃないか。

現実は厳しいんだって言うけれど、どうだろう、現実って厳しいだろうか。現実は厳しいものだと思っていた方が楽だから「現実は厳しい」という言葉に固執しているのでは?

そりゃ期待すればするほど、挑戦すればするほどうまく行かず、理不尽もあるし不条理もあるし未知数のこともたくさんあってなかなかうまくいかないけど、現実を厳しくしているのはほどんどが思い込みなのではないかと思うことがあります。

最近の若いモンは~と並んで、現実は甘くないとかって言うのも「大人」の常套句だと思うけれど、何よりもその「大人」が自分なりの現実を定めてしまっている故の現実の厳しさがあるのではないか。

現実ってこういうものなんだ、失敗するように出来ているんだ、そんなに簡単に行かないんだ、それじゃダメなんだ。

そういう現実認識や言葉が何よりも、甘い現実のストッパーとなり、障害となることがある。

だけど普通に考えて、甘ければ甘い現実の方が良いじゃないか。

楽なら楽な生活の方が良いじゃないか。

そのために発展して来たのが人間なんだから、楽なものは楽、甘いものは甘いで良い。だけど、それじゃダメだ、現実は甘くないんだって言うのは、きっと漠然とした恐怖であって、期待だ。

現実は厳しいって思ってた方が楽なんでしょ?

「うまくいかなさ」は自分のせいではなく、厳しい現実にあるって思えるから。

自分が下手くそだからではなく、設定をハードにしちゃったからすぐゲームオーバーになるって言ってんじゃないの。

その思いこまれた「厳しい現実」を実現させるために、自分が障害となって、最近の若いヤツはとか言って、他人の現実を阻んだりするんだ。

少なくとも、野生の鳥が食べるものに困らない程度には、既にこの世の中って楽なのかもしれない。

努力は報われ、無駄も無茶も許され、心は穏やかで優しく、体は栄養で満たされ、日々楽しく暮らすことが当たり前の、甘い世界で良いだろう。

みんな平等で、労働に貴賤はなく、求め求められ、他人や他の動物の幸せが自分の幸せでも、綺麗ごとがまかり通る世界でも良いだろう。

厳しい現実を見て現実は厳しいなんてことは誰にでも言える。

現実は甘いで良い。人生はイージーで良い。
厳しい現実がお好みならそちらを選べば良いけど。

現実は厳しいという命題一つでいろいろうまくいかない現実をまるっと肯定できるならそれで良い。そんな怠慢も許される甘い世界だ。

世の中は平等でも平和でも別に良いじゃないか。
それでも考えることややりきれないことはまだ腐る程ある。
むしろその部分が現実の一番厳しいところだと僕は思う。

目の前が当たり前に平等で、平和で、とてもフラットな厳しい現実の中で、迷い、悩み、正しさを考え続けることができるような、思考する体力がいつまでも衰えない人間を、僕は尊敬する。

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