ちょっと前から何となく考えてはいたのだけど、僕は文章には顔ともいうべきものがあると思っていて、それはこの時代、ある程度操作もしくは誘導されるものなんじゃないかと考えます。
ここで言う文章とはとりあえずWEB上の文章のこと。例えばこんなブログ記事のような文章に絞って書きます。
この話、個人的にはすごく面白いんだけど、ブログに書けるほど整理できていないし自分でそもそも「文章の顔」って言い方が僕の感じてるモノにしっくりきているかどうかも分からねえなと思って黙っておりました。
だけどいくら漠然と考えていても整理できるものではないなと思うので、中途半端でも吐き出してみようと思いました。
文章には顔がある。
思いっきり簡単に言えば、文章を読んでいるとき、僕らはその書き手の顔を思い浮かべている。ただ文字通りの意味ではありません。
書き手の顔を思い浮かべてるんだけど、それは文字通りの書き手の顔じゃなくて、書き手の自意識もしくは立ち位置を抽象化・具現化した顔というようなものがあると思う。
例えば人気ブログと呼ばれるような文章を書く人の文章には、「話が分かるヤツ」「話が通じるヤツ」の顔が浮かんでいたりすると思う。
この感覚が伝わるかどうか心配なんだけど、WEB上の文章において信頼できる文章に必要なのは文章そのものよりも顔であると僕は思う。
ブログを書くなら顔出しをした方が良いという話じゃなくて、「常識的な顔」もしくは「メインキャラ顔」「レギュラー顔」を獲得すること、そういう風に振る舞うことが必要なのではないか。
アニメとか映画とかで、キャラクターが出て来た瞬間に「あ、この顔は話に深く関わる系だ」「あ、この顔はヒロイン的な位置の人だ」「明かに悪役だ」ってなんか予備知識なくても分かりますよね。ときにはその印象をトリックに使ったりするものもあると思う。
僕が言っている文章の顔というのはそういう類のもので、僕らがいつの間にか持っている象徴的な顔のイメージのことです。
信頼できる文章に必要なのは文章そのものよりも顔ってさっき書いたんだけど、この信頼っていう意味もちょっと説明が必要です。
それはキャラクターとしての安定感、顔かたちの安定感です。
例えばディズニーアニメの悪役はなんの根拠もないのにいつも目を吊り上げて自信満々でいてほしいと僕らは思ってるんじゃないか。不適に笑って、でも戦いに負けたときは思いっきり眉や口角を下げて、負け犬みたいな顔をしてほしい。
反対にヒーローは爽やかに笑っていてほしいし、ピンチのときもキリっとした意志の強い目をしていてほしい。
もし彼らが自分のキャラクターを忘れて僕らが家にいるときみたいな「普通の顔」「なんでもない顔」をしたら、あっという間にその信頼は失われ、物語は崩壊するのではないか。
書き手の顔が見えない文章を読むとき、僕はこれと同じような感覚を味わうのです。
それは内容よりも顔つきの安定感を望んでいるという感じ。
例えばネタ系のブログであれば陽気で人懐っこい顔を思わせる文章を書いてほしいし、オピニオン系の記事であれば、性質によっては(煽るタイプのであれば)ディズニーの悪役みたいに文章上で不適な笑みを浮かべててほしいはず。
そうじゃないと気に入らないこと言ったときに思う存分叩けなかったりする。
ブログのような書き手の顔が見えない文章に求められるのは文章力ではなく顔であって、もしくはキャラクターであると僕は思う。
ここに至るとなんだそんなことかという話だし、キャラづくりが大事みたいな話はブログ運営のコツが書いてある本に書いてありそうだけど、なかなか面白いですね。
さらに、ここまで書いてみて、僕がここで「顔」と言っているのはいわゆる「文体」のことなんじゃないの?とも思いました。
「ブログ記事の文体:とか「WEBメディアサービスの文体」っていう風に「文体」が使われるとき何となく抵抗感というか違和感があったんだけど、「文章の顔」と言われれば僕はしっくりくる感じがします。
ブログの文章の顔もしくは文体について(完)
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