なぜこのブログはつまらないのか。

このブログがつまらない理由は無数にあるだろうけれど、「伝える技術」というテーマに沿った話題に寄せて、少なくともこれはというものがあるのでご紹介したいと思います。

それは、伝える順番について。

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分かるのに分からない文章

認知心理学の分野で特に有名な文章があります。

以下のようなものです。

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その手順はとても簡単です。はじめにものをいくつかの山に分ける。もちろんその量によっては、一山でも良いでしょう。必要な設備がないためどこか他の場所へ移動する場合なら話は別ですが、そうでなければ準備は整ったこととなります。

一度にたくさんやりすぎないことが大切です。多すぎるくらいなら少なすぎる方がマシ。すぐにはこのことの大切さが分からないかもしれないけれど、面倒なことになりかねません。そうしなければ余計にお金がかかることにもなります。

最初はこうした手順が複雑に思えるでしょう。でもそれはすぐに生活の一部となります。近い将来、この作業の必要性がなくなると予言するのは困難であり、誰もそんな予言はしないでしょう。

その手順が終わったら、材料は再びいくつかのグループに分けられ整理されます。それからそれらは、それぞれ適当な場所にしまわれます。

この作業が終わったものは、また使用され、このサイクルが繰り返されることになります。面倒なことですが、これは生活の一部なのです。

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これはBransford & Johnsonらが 書いた”Considerations of some problems of comprehension”(1973)という論文から引用された例文の日本語訳です。

この文章は、大学時代に認知心理学だったか日本語教授法だかで知ったものなのですが、一見してそれぞれの文章は分かるのにあまり意味が分からず、なんとなくストレスフルなもの。

しかしこれに題名をつけると、全ての文章に意味が良く分かるのです。

この文章のタイトルは『洗濯』というものです。

洗濯のことを言っているのだということを踏まえてもう一度上の文章を読んでみれば、誰でも意味が分かります。

ボトムアップとトップダウン

上の洗濯という文章を例に取れば、タイトルを明かさずに「まずいくつかの山に~」とかって情報は全体の一部分でしかありません。しかも些末な一部分です。

「洗濯」という工程の一部分なのですからそうなるのは当たり前で、同じレベルのものを並べられてもやはりいつまでも全体を把握する決定打に欠けます。

このような情報の出し方はボトムアップ(底から上へ)式だと言えるでしょう。

反対に、『洗濯』というタイトルを一番はじめに明かしておけば、それぞれの些末な要素は洗濯を説明する一部分ですから、はじめから意味が分かるのです。

これはボトムアップに対してトップダウン式の情報の出し方と言えるでしょう。

よく、会社などでもボトムアップ式とかトップダウン式のとかって話があると思います。

社長のワンマンとかだと上から命令を下し、下の社員がそれに従いますよね。

ボトムアップは逆に社員のアイデアや意見などを集めて、トップが判断を下すという環境でしょうか。

詳しいことは良く知らないんですけど、このようにボトムアップとかトップダウンとかってスタイルは情報の出し方とか、物事の決定の場面において活用される言葉なのです、よねきっと。

ストレスを与えるブログだからつまらない?

今このブログでテーマにしているのは「伝える技術」ですから、もっぱら情報の出し方(特に文章での)という意味で、トップダウンとかって使います。

このブログは、全体的にボトムアップ式の情報の出し方をしています。

それぞれの記事は些末な一部分に過ぎず、結局なんの話をしているのだか分からない。

一つ一つの文章は理解できても、結局だから何がしたいんじゃいって思われる。

『洗濯』というタイトルの文章はもともと認知心理学の研究で扱われたものらしいのですが、タイトルを先に明かさないで読ませたとき、けっこう被験者にストレスを与えたらしいです笑

だからこのブログも全体像が分からず、ストレスを与える可能性がありますよね。そりゃつまらんわ。

「町おこし」がテーマとかって言うなら、素直に現状と理想像をスパンと開示して、解決法(空き家でシェアハウスします!居住者募集!とかって)を示して、それに向けた活動という流れにした方が見る人にストレスを与えないし、読者のターゲットも絞れます。

でもそうしないのは、まず、見る人がどんな人かなんて絞りたくないから。いや正確に言えば、自分は何に興味・関心があるという自覚がある人にターゲットを絞りたくないから。

さらに理想めいたことを言えば、特定の情報を探している人に消化されるのではなく、より自分自身のことを考え、悩むためのきっかけになれば良いなと思いながら書いています。

もちろんこれは僕の勝手なアレなので読む人に押し付けることではないのですが、言い訳めいたことを言わせてもらえれば、モヤモヤすんなあって思われてオーケーだと思っているのです。

トップを定めると細部の融通が利かない

また、今の書き方をして憚らない理由はまだあります。

まず、ブログの特性として、誰も全部なんて読んでないということ。

全体像なんかどう書いたって分かんねえだろっていうのがあるし、誰も順番通りになんて読んでくれません。

加えて、『洗濯』のような短い文章ならまだしも、普通ブログで全体像なんて誰も考えない(だから分かりやすいブログタイトルが大事なんだけど、朝日まちおこしなんちゃらってブログにしたら今みたいな記事書いてなかったと思うしね)。

一つの記事を読んで、これは一体何の話をしてるんだ?なんて俯瞰して考えられることなんてほぼない。

「伝える技術」というテーマにもう一度寄せてお話をすれば、簡単に伝えたければトップを分かりやすくしなければなりません。

タイトルを明示し、テーマを明示し、そして細部に入る。

トップが曖昧だと、なぜか人は細部をどれだけ並べてもうまく理解できないのです。

反対に、トップがはっきりしていると、人は全てそれに寄せて(当てはめて)考える傾向がある。

『洗濯』という意識が頭にあると、「粉より液体タイプの方が断然良い」と言われれば当然洗剤のことだと思う。

あとから「いやお薬の話しをしていたんですよ」って言われても「?」ってなる。

細部の融通が利かないのです。

僕はむしろそっちが怖い。

だって例えばピラミッドみたいなものを作ろうとしたら、先にトップなんて定めないでしょ?

根っこの中間

さて、前回の記事で、このブログが目指すところを少しだけお話しました。

キーワード的なものを羅列して文にするとすれば、来る「創造社会」に向けて、「文化的な土台」を作り、「創作で繋がるコミュニティ」で以って「町おこし」を成立させるというものです。

具体的には何すんの?という話になれば、朝日町なら例えば「お芝居」が良いんじゃないか、というところまで、前回でお話したのです。

まだまだ説得力のある根拠は出していませんし、実現する可能性も未知数ですが、とりあえず前回をもって、今までにこのブログで話題にしてきた数々の底に散らばっているものが何となく全体の一要素になっていると説明できるのではないかと思います。

僕だけかもしれないけど、ちょっとだけスッキリしました。土台がやっとできて、あとは上に積み上げていくだけみたいな。

誰も読んでないし覚えてないだろうから今度流れを追ったまとめ記事を書こうと思います。

目標は後から来た人(今の段階で初めてブログ見る人)にも分かりやすく書くことです。

なるほどーこういう流れでこんなこと考えてるのね、って。

まあそれが僕にはうまくできないからこのブログはつまらないんだろって話だけどね。

なぜこのブログはつまらないのか。(完)

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