昔の町のできかた、今の町のできかた

「まちおこし」っていうものが昔より意識的に行われるようになっただろう昨今では、町は自分たちの手で作るものという意識が年々高まってきているのかもしれません。

だけど冷静に考えて、もともと町(っていうか地域コミュニティ)って自然に発生したものだよなって思う。

必要だから人が固まった、必要だから区切りをつけた、必要なものは作り、整えた。そうして町ができたという単純な需要の結果でしょう。

そしていつしか、そうして出来上がったものに対して内実がそぐわなくなってきた。

人がいないのにある大きな建物、誰も乗らないバス、子どもがいない学校、などなど。

必要なものが自然にできていったように、必要ないものは小さくなっていけばいい、減らしていけば良いんだけど、それは寂しいし、なんかもったいない。

だからどうにかしないといけない、どうにかして、今は人口の激減や高齢化によってくすぶっている地域の潜在能力を活用しきらなきゃいけない、というのが、「まちおこし」とか「まちづくり」の一側面なのかなと思います。

今は、かつての町の機能を最大限に活用した上で、現代にそぐう付加価値を高めていかなきゃならない感じがあって、大変ですよね。

この記事は、まちおこしとかまちづくりって大変ですよねってだけの話です。

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昔と今の違い

祖母曰く、一番違うのは「子どもが増えない」ということでした。

昔は子どもが家に何人もいるのが当たり前で、人口は勝手に増えてった。

上の兄弟が下の子を見るもんで、子供は放っておいても食べ物さえあれば勝手に大きくなった。

今は一人産んだらいくらかかる、ふたり産んだらいくらかかる、子育ての時間が仕事の時間がと真っ先に考えてしまうから、簡単には子供を増えせない。

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子育てにしても、今は大学ぐらいやらんとというのが普通だけど、昔は長男が「稼業を継ぐのが当たり前」だった。だから誰も手を加えなくても、地域の維持というものは比較的簡単だった。いや維持されるのが当たり前だった。

(余談)
僕:稼業を継ぐってことで周りの扱いが変ったりしたの?

祖母:扱いは別に変わらないけど、学校の先生なんかは誰がどこの跡継ぎだってことは知ってただろうね。稼業を継ぎたくない子は勉強を頑張った。

じいちゃんは兄さんがたがみんな勉強頑張ったから、末っ子だけど鍛冶屋を継ぐことになったの。

今は自然に町ができていく設定にはなっていない。

子どもは増えず、みんなが当たり前に外に出ていくようになって、どちらかというと町は放っておけば崩壊していく設定になっている。

成長期から衰退期に見事に移り変わった昨今では、皆が皆、どの町も、「若作り」をしなければならなくなった。

昔は自然の成り行きを、今は意識的に行わなければならない

今はまちを作るということを意識的にしなければならない時代です。

長男だからって稼業を継ぐとは限らない。継ぐも継がないも本人の選択による。

ずっとこの場所にいる訳ではない、むしろ自然な流れで行けば地元を離れるようになるのだから、もちろん世代を越えたコミュニケーションも乏しくなる。

でもそれじゃ地域の存続が危ぶまれる。

地域を継続させるためには、やはりその地域に根付く人が必要になる。そのためにはどうすれば良いか考えよう、というのがまちおこしの、やはり一側面になっているはずです。

人が増えれば町は自然に成長する。実際に昔はそういう風に町ができていった。

待ってくれ。じゃあ今のまちおこしって、一昔前のスタイルに戻そうって話?

だって一昔前であれば、自然に地域は継続して、自然に発展して、自然に活気づいて。

昔は自然にできていたことを、これからは意識的に行う必要があるって。

プロセスは迂遠になったとしても、地域の維持をするには結局、一昔前の生活スタイルを選ぶ住人(そこに根付き、子供を作る人)の役割が必要で、そういうものを受け入れてくれる人を探すということが今のまちの作り方なの?

これはどうも釈然としません。

現代はあくまで現代のまちのでき方があって然るべきなのに、一昔前のスタイルが地域を守るために必要だと言うのであればやっぱり、地域というものは消滅するべくして消滅するのではないか、なんて思ってしまう。

この辺を掘り下げて考えた記事↓

みんな架空のまち

人生を選択する現代

いやいや、今の理想は別に昔に返ることじゃない。

今の町の作られ方というものは、昔よりもっと志は高い。

なぜなら、強制力がなく、長男は家を継ぐものだみたいな固定観念も打ち払った状態で、後を継ぐ、地域を守るという意思を持った人を集めるのが今のまちおこしだからだ。

今と昔で圧倒的に違うのは、やはりそれぞれに選択の余地があり、選択肢が異常に多いということでしょう。

跡継ぎ問題って言うくらいで、長男だからって稼業を継ぐなんて話はなくなってきてるだろうし、それどころかどんな風に人生を歩むのかは一人一人が自分の力でゼロから考えなければならない時代です。

どこに行っても良いし、何をしても良いし、結婚だってしてもしなくても良い。

そもそも稼業を継ぐのがナンセンスっぽくなったのは、人生というのは数パターンある、ではなく、人の数だけあるのだということが一般認識になったからでしょう。

その無数にある選択肢の中の一つに、稼業を継ぐというものがあるに過ぎません。

現代の地域存続が難しいのは、あらゆる選択肢の中から選ばれなきゃいけないからです。

だけど全世界がギュッと小さくなった今の時代、いわゆるグローバルな視点を持って人生を作るのが当たり前のこの時代の、無限に広がる選択肢の中から、ある地域が住む場所として選ばれるってものすごいことです。

まちって維持されなきゃいけないの?

いいやもっと視野は狭くしても良いでしょう。誰もが海外にまで目を向けて人生設計を打ち立てているとは思えない。

日本国内に限っても、数えきれないくらいある地域の中から選ばれるなんて、相当な個性がなければ、相当な吸引力がなければ成り立たない出来事です。

ただただ素朴な疑問として、「まちづくり」ってこんなに難しいことなの?と思う。

そこまでして僕らの「まち」って維持されなきゃいけないものなの?

人生の選択肢は数えきれない程あるのに、「まち」という、人を集めた概念には、あまりたくさんのスタイルはないようだ。

多種多様なバリエーションを持つ人を閉じ込めておくには、あまりに寸足らずでちんちくりんな形をしているんじゃないだろうか。

そういう疑いを持って、これからもう少し「地域」について考えてみよう。

昔の町のできかた、今の町のできかた(完)

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