『白夜行』/創作意欲が湧く小説

自分で考える創作論

好きで何度か繰り返し読んでる本の一つに東野圭吾さんの『白夜行』があります。

あと僕これのドラマも好きで、少し前からコツコツHuluでドラマ見返してまして、昨日最終回見終わって、なんか書きたくなってブログ書いてるとこです。

原作が好きだからドラマも好きなのではなくて、原作もドラマも好き。むしろ僕はドラマを先に見て、後から原作を読んだ派です。

原作を読みはじめた時点で、「でも話自体は知ってるしなー」って感じで高をくくっていたのですが、読み進めて行くうちにその構成の美を知り度肝を抜き、読了後はそのままの流れで1ページ目に戻り2週目に突入という僕の中では珍しい読み方をしました。

そして僕は原作を読んで初めてドラマとの大きな違いを知り、次に考えたことは、この原作からあのドラマを作ろうとした誰かの創作意欲についてです。

ああ、多分だけどドラマ『白夜行』を作ろうと言い出した最初の誰かは、原作を読んで感動して、どうしても映像作品を作りたくなっちゃったんだろうなと思いました。

原作にインスパイアされて、創作意欲が湧いて、原作の魅力を自分たちの専門で引き出したいと思ったのではないか。そういうのって素晴らしいなと思う。だからこの記事はそういう話です。

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表現の媒体の数だけ感動があって良い

『白夜行』の何が素晴らしいって、原作を読んでも感動できて、ドラマを見ても感動できることです。

このとき、原作とドラマで全然感動の質が違うってこと。同じ作品なんだけど、全然別の創作物として楽しめる。

原作は読む価値があるし、内容は知っていてもドラマも同じように真剣に見る価値がある。

これって鑑賞者にとっては単純に喜ばしいことです。感動できるものが世の中に増えるのはただ嬉しいし、創作物はその表現技法のバリエーションの数だけそれぞれ特有の感動があって然るべきだと思うから。

だから僕はアニメの実写化とか自体にはわりと賛成です。好きな原作を汚してほしくないみたいな意見もあるみたいだけど、制作する側はきっと実写で表現するだけの何かがあると感じたから実写にするのでしょう。

例えば『るろうに剣心』なんて最初実写にできんの?とか思ってたけど、アクションシーンすごいですよね。あれはアニメでは逆に出しきれない迫力だから、実写にして良かったんだと思います。

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『白夜行』のざっくりストーリー(ドラマ寄り)

一応『白夜行』のストーリーをざっくり説明しておきます。ドラマの方が筋が明確なので、ドラマ寄りのあらすじになります。

『白夜行』は主人公の亮二と雪穂という二人の子どもの純愛と絆を描いた物語です。

しかしその形は決して平和なものではありません。なぜなら、この二人の絆は亮二の父親殺し、そしてそれを隠蔽するために画策された雪穂の母親殺しという、誰にも言えない罪で結ばれたものだからです。

幼い雪穂を凌辱した父親を殺してしまった亮二をかばうため、雪穂は自分の母親を犯人に仕立て上げて殺します。

こうして二人だけの秘密を作った彼らは、表面上はお互いに関わりのない被害者と加害者の子どもとして、それぞれの道を歩むことになる。二人は、時効が来て堂々と太陽の下で手を繋いで歩くことを夢みて、必死に犯罪の痕跡と罪の意識を秘めながら生きていきます。

当然二人の間には様々な障害が立ちはだかります。不都合がある度に新な罪を重ね、後戻りできない袋小路に追い込まれながらも、罪の道をひた歩いていきます。

太陽に顔向けできない二人にとって、初恋の相手であり罪の絆で結ばれた二人は、お互いがお互いの太陽のような存在でした。

お互いのためだけに罪を重ねる道はひたすら暗い生き地獄ではあるけど、お互いがお互いの光となっていました。そのことを指して「白夜行」というタイトルになっています。

小説『白夜行』の構成

冒頭で少し構成の美がどうだとか書きましたが、その説明を少しします。

まず、この『白夜行』において「切り絵」は大きなキーアイテム、キーワードとなります。

亮二の特技が切り絵、父親殺しの凶器が鋏、そして何より、構成上のポイントでもあります。

なぜなら、小説では亮二と雪穂が直接接触し、会話をするシーンがまったくありません(何度も読んでるわりには手元に本がないのでまったくかどうか自信ないけど…)。

二人が裏でどんなやりとりをし、どんな風に連絡を取り、どうやって絆を逞しくしていったのかは、謎に包まれているのです。

ただ、それぞれの痕跡や行動をなぞることで、お互いの存在の繋がりが見え隠れする。

輪郭をなぞるだけで、二人のシルエットが浮かび上がって見えてくるというのは、まさに切り絵の手法と同じです。

切り絵は肝心の部分を切り抜いて、シルエットを見せます。小説の『白夜行』はそのように構成された作品なのです。

そしてそのシルエットを見ていくと、「手を繋いだ男の子と女の子の輪郭」になる。

このシルエットはまさに二人の存在と、二人の関係を物語ります。ただただ二人の関係を書くよりも、よりはっきりと二人のことを浮き彫りにできる、すごい構成だと思います。

ドラマ『白夜行』の構成

一方、ドラマの方は、亮二と幸穂のやり取りがメインに描かれます。

裏でどんな会話が成されていたのか、隠蔽工作をするために二人がどんなことをしてきたのか、そしてどんな風に愛し合っていたのかがはっきりと描かれている。

これは原作を読んで想像するしかなかった二人の姿です。

もちろん、原作をドラマ化するにあたって、肝心の二人の主人公が全然画面に映らないというのは問題ですから、その都合もあってこのような形になったのかもしれません。

しかし、小説の構成が小説という形式でしか成り立ち得ないように、ドラマの構成はドラマ(映像作品)だからこそ成り立った表現技法なのでしょう。

山田孝之と綾瀬はるかの『世界の中心で愛を叫ぶ』コンビが見事だという点も含めて、映像作品にしか表現できないものだったと思います。

文章からこれだけのことを人は想像してしまうのだということ、東野圭吾さんの工夫はこんな風に人の想像力と創造力を刺激したのだと思うと、そこも一つの感動だった。

白夜行 (集英社文庫)

『白夜行』/創作意欲が湧く小説(完)

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