まちおこしと創作は同じ土俵で語れるか。

このブログでは、「まちづくり」のこととか「コミュニティ」のこととか「創造」のことを中心に色々と考えています。

まちおこしのことを考えるときにコミュニティのことを考えるのは違和感ないと思うけど、コミュニティのことを考えるときになんで創造?という気分になる人はいるかもしれない。

まちおこしと創造って関係あるの?

ああ。アートでまちおこしってこと?

いいえ、僕は「まちづくり」は「創作活動」そのものだと思うからこそ、まちおこしから入ったこのブログでは創作論なんかも考えているのです。

まちづくりとか地域づくりをしようとする人、コミュニティの在り方を考える人は社会学者であるよりはむしろ芸術家でなければならないと思っている派です。

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誰もがたくさんのコミュニティ(概念)を脱ぎ着している

僕らが大切にしているまちとか村とか育った地域や故郷と言ったものは、全てコミュニティの一形態であります。

僕らはときと場合に応じて、日本国民というコミュニティの一員であると自覚したり、○○町というコミュニティの一員であると自負したり、○○高、○○大学の一員であるという思い出に耽ったりします。

僕らは常に何かの概念という入れ物の中にいて、それで以って自分というものを説明しようとする。何者でもなかったことなんかない。どんな風に生きていたって、何らかの入れ物の中で僕らは存在します。

自分が何者であるか、自分とは何でできているのか、自分と他者との違い、自分の立ち位置、そういったアイデンティティを示す概念のひとつとして、「地域」はあるのです。

まちおこしや地域づくりというものは、だから一人一人のアイデンティティを満たすための入れ物を作り、デザインするということ。

この時代は誰でも好きなことをして、好きな場所で、好きな自分のままでいられる場所を探す時代です。

少しでも自分が自分らしくいられる場所や物事、少しでも自分を満足させられる場所や物事。

めちゃくちゃ好きな自分を探し海にでる大航海時代

僕らは好きな仕事を選び、好きな場所で生き、好きな人と過ごすことができます。

どこにいることも、何をすることも必然性はなく、強制力はなく、あくまで自分の人生の舵は自分で握る時代。

何を求めて海に出るの?と言えば、多分「納得のいく自分」とか「満足している自分」とか「めちゃくちゃ好きな自分」を探しているのでしょう。

どんな場所で、どんな人と、どんなことをしたら私の人生はより良くなるのか。

そんな、ある種贅沢な探究を、誰もができる時代が今なのです。

そんな大航海時代、ずっと航海し続けるのもそりゃ良いんだけど、よりどころとなる港とか、目印になる灯台とか、そういうものは必要でしょう。

長い航海の途中、たまたま寄った所が心地良くて、あ、ここ私にぴったりなんじゃないかって思えばそのまま住んじゃっても良いし。

そういう、航海者を迎え入れる役割を、会社とか都会だけでなく地方も負っているのだと思う。

誰もが個性を発揮できるのに、唯一無二になるのは難しい

だけど注意しなければならないことがあります。

航海者はただただ潮に流されて来る人ばかりじゃないこと。

ただ流行や時代の潮流に乗って、順調にオールを漕いで流れてくる人たちばかりじゃない。

むしろ猛者たちは自分の好き嫌いをコンパスにして、潮に抗い、サメの群れを越えてやってくるのです。手漕ぎで、多分船に穴の一つもあけながら。

そのコンパスはちょっとやそっとの磁力では方向を示さないから、航海者を待つ立場にある側は強力無比な磁場、唯一無二の電波、絶対概念の気配を発し続けなければならない。こっちだこっちだって言い続けなくちゃならない。

なんかわざわざややこしく書いちゃったけど、類は友を呼ぶ。だから強力な類になろうという話です。

でもそれがめちゃくちゃ難しい。

誰もが強力な個だからこそ唯一になるのが難しくて、○○系とかってカテゴライズされてしまう時代でもあるから、「自分」を探すのが極端に難しいですよね。

どれだけ自分らしさを求めてもどこかに一括りにされて安易で不本意な理解をされてしまう。

それは個人も、個人を受け入れる側(地域)も同じ。

オリジナルであろうとすることを肯定するコミュニティ

これはもうそれこそ好みの問題で、冒頭付近で書いた「まちおこしとか地域づくりをしようとする人、コミュニティの在り方を考える人は社会学者であるよりはむしろ芸術家でなければならないと思っている」というのは、僕が単純に潮の流れに乗って来て、潮の流れに乗ってどこかに行ってしまう人よりも、自分自身のコンパスを信じてやってくる人のことを考える方が好きだと言うことなのです。

流行とか時代の流れとかを読んで、こうすれば人々が集まってくる、こういうものを売れば人々が反応すると考えるのが好きな人もいると思うし、そういうまちおこしや地域づくりもあると思う。

だけど僕は、世にあるカテゴリーの渦の中で、無駄と分かりつつ少しでもオリジナルであろうとする人たちにとって心地よい場所を作りたいと思っているし、そういう人たちを理解する頭が欲しいと思っている。

少しでもオリジナルであろうとするという辺りが創造の領域で、純粋な自分らしさを探し続けるということは新しい言葉を創るようで、物語を書くようなものです。

このブログで掲げている「創造で繋がるコミュニティ」とは、みんなで創作しよう、僕が小説や芝居好きだから面白い物語を創ろうという意味でもあるけれど、そういう創造的な思考を肯定する土台(コミュニティ)の中で、一人ひとりの創作活動を応援し、一人ひとりが人生をオリジナルなものにしようとする努力を手伝えないだろうかと思ってる。

だから僕はまちおこしと創作を同じ土台で話しているのです。

まちおこしと創作は同じ土俵で語れるか。(完)

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