子育ては三人くらいでやるのがちょうど良いのではないかと思った。

「なぜ文明は崩壊するのか」のテーマに入る前に、若干息抜きというか息継ぎの記事を書こうと思います。

この動画見たことある人はいますか?

「World’s Toughest Job」

「世界一大変な仕事」という動画です。

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母の日はもうすぐ

世界一大変な仕事はMom Job。母親業だというお話でした。

とりあえず動画だけ見てくれたらこの後の話しは変に長くなりそうだし別に読んでも読まなくても良いですから、お母さんに何かしてあげようかなんて考えてみてはいかがでしょう。母の日はもうすぐだし。

僕も、母に何かプレゼント…はしないな笑

こないだ母が退職して新たな一歩を踏み出す、ということで、姉と共にお疲れ様の意味を込め、ちょっとしたプレゼントを送ったばかりなのですよ。

関連記事→やる理由、やらない理由

とは言え、母に育ててもらった恩は忘れたことはありませんし、母の子でなければ僕はこんな好きに生きられなかったのは間違いないから、日頃から感謝はしております。ありがとうお母さん!

色々雑用ならするから申し付けてくれ!…という感じで日頃の感謝の気持ちを表そう。

で、本題は母親業についてです。

石川にて

こないだ僕、姉夫婦と姪っ子に会いにいくために石川県に赴いたのですが、そのとき姉とこんな会話をしました。

「もしかしてなんだけどさ、子育てって夫婦二人だけじゃ無理じゃない?」

「うん、無理だよ」

「(早い…)あやっぱり?笑」

そりゃそうです、「世界一大変な仕事」なんだから、もしかしなくても無理に決まってる。

でも実際には忘れてしまうんですよね、母親が大変だってことは。

冒頭に挙げた動画だって見たのは一年前?二年前くらい?分かんないけどけっこう前で、この記事書くために探してきたくらいで、最初見たときはインパクトあったものの、やっぱり忘れてたもんね。

で、そのときは動画のことなんか頭になく、単純に目離したら何かしら怒られることやってる上の子と、まだ乳幼児で目どころか体すらなかなか解放してくれない下の子と、あと流しの洗い物と、洗濯物と、姉の場合はパソコンに入っている仕事と、多分他にも色々っていう複数のタスクを同時に解決しなければならない事態を見て、「無理じゃない?」と思った訳です。

僕は子育てしたことがある訳じゃないからあくまで疑似体験なんだけど、それでもこの環境で集中して書いたり読んだりするの無理だなー、姉ちゃんよく家で仕事出来るなって思ったもの。

子供っているだけでエネルギー出しまくってるというか、大人しくしてても存在感があって、普段小さい子と触れ合わない身からすると近くにいるだけで消耗させられるんだかエネルギーをもらってるんだか分からないけど落ち着かない感じになってしまいます。

子供とは一緒にいるだけで精いっぱいって感じ。

フルハウス(海外ドラマの)

会話の続きとしてはこんな感じでした。

「フルハウスって昔海外ドラマあったじゃん。あんな感じで丁度いいんじゃないか?」

「ああー、あの父親の奥さんがレズで結局親三人になった…」

「いやそれ多分フレンズと混ざってるわ」

皆さんはフルハウス覚えてるでしょうか…ってなんか復活するみたい。

大人気ドラマ『フルハウス』が待望の復活!新作の前にフルハウスメンバーの今をおさらいしよう!

三人の娘がいて、父親と、その義弟と、友人が一つ屋根の下に住んでるっていうアメリカンコメディ。

堅い父親と、ロックなおじさんと、道化じみたおじさんが三人娘の保護者です。

人数とか構成とかはまあバリエーションは何でも良いと思うけど、こんな風に一家庭に保護者が最低三人ぐらいいるってちょうどいいんじゃないかって思ったのです。

例えば稼ぐ人がいて、ご飯を作る人がいて、遊ぶ人がいてって細かく作業分担しないと子供のエネルギーについていけないし、絶対どっか妥協しなきゃいけないもん。

石川に行けば僕が多少家事を手伝って、ちょっと子供たちと遊んでってやったけど、それでもほんの些細なお手伝いだし、姪っ子たちを満足させるパフォーマンスは発揮できない訳です。

それでも一週間足らずでヘトヘトになるのですから、ママ業ってマジで信じられない。

子育てできるできないじゃなくて

『フルハウス』で言えば、三人いるとはいえ男三人ですから、女の子育てるのはすごく大変でしょう。

しかも子育て経験ない男ばっかり。それだけでどたばたコメディになることは目に見えていますよね。

だから、良い教育ができるとか満足な生活をさせるとかじゃなくて、良いなって思ったのは、子供たちにとって「心のやり場」がいくつもあるって状況が良いな、ということなのです。

堅い親父にはダメって言われそうなことでも、ロックなおじさんに話したら応援してくれたりする。

ロックおじさんが娘そそのかしたって親父にめっちゃ怒られてちょっと罪悪感も抱くこともあるんだけど、道化じみたおじさんが二人の仲を取り持ってくれたり、一緒にへこんでくれたりする。

あっちがダメでもこっちがいるって言ったら嫌な言い方だけど、あっちにもこっちにも頼れる(使える)大人がいて、その場その場で頼りにできる(利用できる)人を選べるってのが安心だと思う。

親に怒られたら終わり、私全否定ですって言うんじゃなくて、絶対どっかに拾ってくれる人がいるって思えるって精神的に良いと思うんだよな。

三人にまとめて怒られたら相当なことしたなって思えるだろうし。

多分今ほど核家族化が進んでいなかった頃はじいちゃんばあちゃんが当たり前に第二の親みたいなことができて良かったんだろうな。

しかも子育ての経験があって、精神的にも若い世代よりは余裕がある(はず)だから、よくある五人家族みたいなのって合理的な形だったのかなと。

文明と文化の話しにつなげよう

息抜きの記事とは言え、「文明と文化」というテーマからかけ離れたことを考えられていた訳ではありません。

子育てできるとかじゃなくて心のやり場という話をしたけれど、ここのところは本当に大事だと僕は思う。

子育てしたことないしパターンはホント色々だと思うからエラそうなことも知ったようなことも言えないんだけど、子育てって出来れば良いものではない、んじゃないかなって思うのです。

食わせることができてるから良いじゃないし、十分な教育を与えられるから立派という訳ではないし、子供が危険な目に合わなければオーケーではないでしょう。

それはお金かけたり設備を整えたりすれば実現できることだと思うけど、「正解」をいくら与えられても正しい人になる訳ではないのです。今現在の「常識」や「普通」はただの文明の利器です。

なぜなら正しさはいくつもあって、変わっていって、それは自分で選び取らなければいけないものであって、その選び取った正しさに納得できるかどうかが、自分の世界を肯定するに足る唯一の根拠のはずだから。

ここら辺は少し大げさな物言いになるけど、もし「正しさ(文明)」を与えられるばかりで問題や判断材料が与えられないなら、自分で考える余地が与えられず、心と脳みその拡がりを否定されるなら、端的に自分の人生は「つまらない」と感じてしまうと思います。子供でも。子供こそ。

そういうのはだから、学校とかで先生に怒られたりお友達との付き合いの中で自然に育まれるものなのでは?そういうことは教育の領域です、そのための教育機関です、という意見もあるかもしれないけど、確かにその通りではありますが、僕は子供が最も身近な大人である親の意見や考え方を差し置いておけるほどドライなものだとは思えない。

ママは印籠

姪っ子見てても、あの子ら基本的に全然言うこと聞かないけど、何だかんだ父ちゃん母ちゃんに言われたことってちゃんと覚えてるし守ってるなって思いました。

激甘であるはずの叔父の立場でもおいこらって思う場面は多々ありますが、そういうとき「ママに言うぞ」って言うのがほんと効果的でした笑。

ジョーカーとかそれこそ印籠みたいなもので、それ出されたらお終いっすわみたいな影響力があって、「親に怒られるかどうか」が子供に限らず何だかんだずっと正誤の判断基準になるのだと思います。

姉が怒り過ぎなだけかもしれないけど。

まあでも、だから、自分の「正しさ」を無条件に認めさせてあげられるもの親です。

「君が選んだものが正しい」と言われて、無条件に「そうか」って納得させることができるのも、最も影響力のある親に限られる訳です。

で、その最も影響力のある親って何も一人じゃなきゃいけない訳じゃないし、実の親でなきゃいけないなんてこともない。

一般的には自分を全肯定してくれるのは実の母親である確率が高いし、いれば絶対的な存在であることは否定しようがなくて、それこそ母親業が世界一大変な仕事である所以はそこにあると思うんだけど、だからこそサポーターが必要でしょう。

サポーター代表が父親なんだろうきっと。

子育ては時間と手間がかかる

母親がもしいないのであれば、子育てってそれこそ『フルハウス』みたいに大の男三人くらいで立ち向かっても返り討ちレベルのことなのでしょう。

子育てや教育は間違いなく文化の領域であります。

剣淵の夜①などに繋がるのだけど、子供にとって重要なのは、自分にどれだけ時間をかけてくれたかということだと思うのです。

絵本を与えれば良いのではなく、読み聞かせてあげるというひと手間に意味があるというのはこういうことで、絵本は確かに何かの教訓になるかもしれないけれど、必要なのはそこに辿り着くまでの時間なのです。

絵本のストーリーが示す正しさに思い当たるのはもしかしたら10年後とか15年後かもしれません。

思い当たるべきときにハッと思い当たれるどうかは、それを伝えるためにどれだけの手間をかけたかにかかっているかだと思いませんか。

だからこそ子育てや教育は文明が進んでも楽をすべきところではない部分であり続ける。

そして、それくらい大変で苛酷なことを経ればこそ、母に限らず親の立場の人はやっと人間一人を全肯定できるようになるのではないでしょうか。

適当に育てたら無条件に認めるなんてとてもできないでしょう。

あの子にはあれだけの手間をかけたのだから、自分の力で自分の正しさに行き会い、選び取ることができるはずだと信じるためには、それなりの自信がなければなりません。

苦しみと納得の作業、理解の作業、つまり文化的な領域の作業が親にとっても必要なのです。

赤ちゃんはなぜ泣くのか/生まれた苦しみと産む苦しみ

理解は創造的な行為だから、本気でやれば誰でも産む苦しみと産む喜びを味わえるはずだよ

産む苦しみを経てこそ納得できる、認められる。

母は物理的に産む苦しみを経たからその存在に初めから納得している、って言ったらこじつけっぽいですかね。

まあいずれにせよ、母がいないのは不幸せではないけれど、母がいることは幸せに違いない。

はじめからジョーカーみたいな存在なんだから、手札にあるかどうかで心強さが全然違うだろう。大富豪のときとか思い出してもらえれば思い当たると思うけど。反対に言えばその程度のアドバンテージなんだろう、とも思う。

色々言ってきたけど、上述したようなことで子育てだけでも大変なのに、他にもやることあってほんと大変だと思う、って石川で姉を見て思った訳です。

本人も無理だって言ってたし笑。

ちゃんとやればやるほど無理だと思う。

だから、結局何が言いたいかって言うと、子育てって夫婦(基本二人体制)でやるものだと思うんだけど、三人くらいでやるようにしたら丁度良いんじゃないかってこと。

都会では特に自分のことは自分でって風潮が強いようだけど、多少気抜いても誰か(第三者X)が見ててくれるだろうって余裕がある世のなかがやっぱりと良いなと。

田舎は比較的そういう傾向がまだあるから子育てしやすいって側面もあるのでしょうね。

子育ては三人くらいでやるのがちょうど良いのではないかと思った(完)

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