会話中の笑顔(笑い)とひとりで笑うときの違いについて/顔と声の共鳴をぼくらは知っている

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日常でのコミュニケーションでは、比較的簡単に笑顔を作ると思う。

普通、ある程度仲が良い同士で話をすれば、「笑顔」や「笑い」は頻繁に起こる。

笑顔、もしくはニヤケ面がデフォルトということもあるでしょう。

対して、文字のやり取りや、読書中に笑顔を作ることはほぼありません。真顔。

たまに文面が面白くて笑っちゃうことはあると思うけれど、実際のコミュニケーションの場で生じる「笑み」の頻度に比べたら極端に少ないのではないか。

それはもちろん、例えばコメディ映画を見ているときでさえそう。会話時の笑顔と比べると、極端にと言って良いほど笑顔の出現頻度は乏しい(ツカダ調べ)。

これは昔から疑問でした。

電車の中で携帯や本を眺めて笑っている人はほとんどいない。

しかし、友達と話している人は高確率で笑顔を作るか、会話の中で笑顔や笑い顔を作るケースが多い。

なんでだろう。

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笑顔はコミュニケーションツール?でも使ってる感覚はあるか

ほとんどの人は、いやそれはさ、「笑顔」もコミュニケーションツールの一つだから……って思うはずです。

実際、コミュニケーションにおいて、言語が占める割合は10%に満たないと言われているので、ほとんどの情報は表情や身振りなど非言語コミュニケーションに依存しているということは間違いありません。

だけど、僕らそのことを自覚する前からコミュニケーションツールとして笑顔を獲得してるのはなぜだろう?というのが僕の疑問なわけです。

後から「笑顔もコミュニケーションツールの一つ」と言うことは簡単なのですが、実際の会話で「笑顔を使うぞ」という意思はありません。

お仕事であれば意識的に笑顔を使うと思います。だけどその、意識的に笑顔を用いるときと、友達と話しているときに自然にこぼれる笑顔には差があると思えてならない。

好きな人、と言わないまでも親しい人といるときは思わず笑みがこぼれるというのであれば、本を読んでるときに思わず笑みがこぼれることが少ないのはなぜだろう。

顔が伴わないと声が出ない

仮説の一つとしては、「話すときに笑顔を作ってしまう」ということ。

考えたのですが、違いがあるとすれば、自分が黙る状況か、そうでないかだと思いました。

本を読むとき、普通の人は黙ります。

一方会話をするときは、二回に一回くらい自分のターンがやってきて、声を発する必要がある。

それで思い至ったのですが、声に感情を乗せようとすれば、ある程度表情が伴っていないといけないということです。

機嫌が悪かったり話題がシリアスでない限り、場のテンションを保つのにふさわしい笑顔で会話を続けるんじゃないか。

表情が伴わないと声が出ないという点に関して、分かりやすい例がジャルジャルのコントにあったので貼っておきます。

顔を作らなければ相応しい声が出ない。赤玉ローリング(2:00)のところは顕著。

つまり目的は笑顔を作って見せることではなくて(それもあるだろうけど)、おそらく無意識に作られる笑顔のほとんどは適切な声を出すために、起爆剤としての役割を持ってる。

接客業の方なんかだと常識なんだろうなあ。

赤ちゃんの泣き顔も見ようによっては笑顔(目が遅くなり、口が横に大きく開く)だけど、この時分から悲しくて泣いてるわけじゃなくて声を届けるために泣くのかもしれないですよね。

つまり、コミュニケーションのために表情を作るのは、かなり先天的な能力なのかな、と思った、みたいな話です。

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