コミュニティスペースの利用料金について/利用料ではなく成果物に価値を与える方が良い。

コミュニティスペースは道具だと思う。

文明の利器だと思う。

コミュニティスペース「旧佐藤医院」のサイトを作ったよって記事をこないだ書いたけど、多分中には、「まーたコミュニティスペースだよ」と思った方もいるのではないでしょうか。

どうせまた、「誰でも気軽に使えて、ゆるい繋がりを生んで、面白い人が集まるコミュニティスペース」だろ?って。

なんだよその装置。定価販売でもされてんじゃないのか。

って小馬鹿にしてしまうくらい「コミュニティスペース」というものは既に人口に膾炙した概念だと思います。

「ゆるい繋がり」とか「面白い人が集まる」とかっていう美辞麗句?とか宣伝用の、しかも既に手垢に塗れたキャッチコピーにはうんざりしてしまうかもしれないけど、それは少なくともそういう機能がコミュニティスペースにはあるということは周知の事実だということなのかもしれない。

そういう機能って言うのは、コミュニティスペースは「コミュニティ」を生み出すという仕組み。

そして派生物として、会話が生まれ、アイデアが生まれ、協力関係なんかが生まれるかもしれない。コミュニティスペース内で疑似的な社会が生まれれば、そこには需要が生まれ、供給体制や、仕事でさえ発明されるかもしれない。そういうクリエイティビティを刺激する場にもなり得る。

感覚的には、コミュニティスペースってコンパクトな社会実験装置みたいなところがあるのかなと思う。

少なくとも運営者は、「人が集まって嬉しい」とか、「会話って大事だね」とか平和っぽいことに満足しないで、言わば道具の開発者なのだから、そういう機能面をドライに考えた方が良いのではないか、そして運用に当たって避けることのできない資金面に対してはどういうデザインをするべきだろうか、という話を書きます。

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コミュニティスペースは文明社会で発明された概念だから、やはり文明の利器だ

ちゃんと調べた訳じゃなくあくまで僕の感覚の話でだけど2010年越えたあたりから「コミュニティスペース」は各地で作られるようになってきて、概念そのものが浸透して、特にまちづくり界隈では注目度が高いのではないかなと思う。

まちづくり界隈で注目度が高いと言っても田舎にあるものという訳ではなく、あくまで一般社会で自然に形成される同僚同士とか趣味で繋がるコミュニティとは少し性質の違う「コミュニティ」の形成を必要とされる場所で注目されるということ。そういう意味でまちづくり界隈。

ではなぜそういうところで注目度が高いのかというと、それはやはり「機能」に魅力があるからでしょう。

人間関係の希薄さを払拭する可能性を持ちつつ、かつてのお隣さん同士の付き合いみたいな面倒臭さもない、まさに「ゆるい繋がり」を生む装置。

何かを強制される訳でもなく、協力の義務があるわけでもなく、それでも社会に生きる人が孤独にならないための装置。

何かと面倒な社会の中で、「しがらみ」ではなく、「ゆるいつながり」を生む仕組み。

概念をデザインすることでこういった場を生み出すってのはすごい知恵だなと思います。

そういう装置がこの文明社会で発明されたということは、やっぱりコミュニティスペースも文明の利器なんだろうなと思うのです。

文明の利器としてのコミュニティスペースの市場価値はどんどん下がる

コミュニティスペースがある機能を持った装置なのだとすると、そこを運営する人は言わば装置の開発者であります。

装置の開発者なんだから「作りました」ってだけで満足はしないでしょう。

実際に使って、その使い心地とか、それによってどんな変化が生まれるのかとか、誰を満足させるのかとか、色々と検証すべきことはたくさんある。

さっき社会実験装置って書いたけど、運営者にとってコミュニティスペースは一個の実験室でもあるのです。

そんな、装置としてのコミュニティスペースはしかしありふれています。

そりゃ見た目とはシステムに多少の違いはあるけれど、機能はほぼ一緒。

メーカーは違うけどパソコンはパソコンみたいなもんで、それぞれに独特の赴きはあるんだろうけど、コミュニティスペースはコミュニティスペース。

利用者からしてみれば特に「コミュニティスペース?はいはい最近多いよね」って認識程度のもの。乱暴な言い方をすれば、「どこも一緒」な訳です。

ここで開発者は思い知らなければなりません。

文明の利器・装置として見れば、コミュニティスペース自体の価値は、今やそれほど高くない。一番最初はそりゃ高価なものなんだけど、実用化する段階になるとモノの価値ってめちゃくちゃ下がりますよね。

ひと昔前はすっごい高かったパソコンですら今は年に一回買い替えられるレベル。

ありふれた道具は安くなるものです。

それを踏まえて、コミュニティスペース(旧佐藤医院)の利用料金について考えたい。

次世代的なコミュニティスペースは利用料無料?

色んなコミュニティスペースのサイトやらを覗いてみると、意外にスペースの利用料金を取るところが多いんだなという印象です。

旧佐藤医院は基本スペースを利用するのは無料なんだけど、(多分)別に思い切った判断とかではなく、そもそも辺鄙すぎて利用者の量なんてたかが知れているので初めから利用料で儲けようと思わなかった(のだと思う)。

維持費とか設備の充実とかを考えるとお金はどうしても必要です。

だから他のコミュニティスペースみたいに利用料金取りたい気持ちもある。

でもさっき言ったように、コミュニティスペース自体の市場価値はそれほど高くありません。

それがコミュニティデザインにとってどれだけ優れた機能を発揮する装置であっても、やっぱりありふれた、どこにでもある道具なのです。何度も言うけど。

機能がありふれてるというのだから、機能自体の恩恵は誰でも安価もしくは無料で享受できるようにして、利用後の成果に価値を見出すようにしなきゃ、コミュニティスペースの価値はどんどん下がっていく。

まだコミュニティスペースがある「だけ」で価値のある段階であれば利用料やら見学料をとっても良いと思うし、利用者も納得すると思うけど、残念ながら旧佐藤医院はそんな類のコミュニティスペースではない(ここは今度詳しく書くべきかも)。

利用する方はもちろんどのように使っても良いんだけど、少なくとも運営者・開発者は「装置があるだけ」で満足せず、機能の方に主眼を置いて捕らえた方が良い。

維持費など最低限の資金は必要だけど、利用料にお金を取るのは「旧佐藤医院」ではこれからも避けた方が良いと思う。その方が次世代的な運用になるはず。

それはなぜか。

3Dプリンタという装置で利用料金について考える

絶対分かりにくいのでまず3Dプリンタを例を挙げて、世に普及した装置の価値が下がる部分を説明します。感覚で分かると思うけど念入りに。

もし3Dプリンタがある図書館があれば、そこはそれだけで価値がありますよね多分今のところ。おおー先進的、ってなると思う。

でも3Dプリンタもどんどん実用化されてきて、一家に一台くらいにまでなれば、図書館に3Dプリンタがあるだけでは全然価値になりません。

その段階で、図書館での3Dプリンタ一回の使用料が500円ですとかってことになったらどうでしょう。家でやった方が安くね?って自然になるはず。そしたら図書館の3Dプリンターはむしろ誰にも相手にされない遺物みたいになるかも。

装置が「あるだけで価値がある段階」というのは、ほんの最初だけなんです。

そしてほとんどのコミュニティスペースはもうとうにこの最初の段階を越えている。

じゃあコミュニティスペース資金面はどうするの?という話ですが、コミュニティスペースは幸い一家に一台置けるようなものではないので、最低限の利用料だけで、とっとと次の段階に移行することができます。移行するべきだと思います。

それが「成果物に価値を与える」ということ。

コミュニティスペースは成果物に価値を与えた方が将来的に良い理由

3Dプリンタが図書館にあって、有料で使用できるのであれば、利用者がいればいるほど儲かるってことになりますよね。コミュニティスペースもそうだと思うから、利用者を増やすことに注力しているところもあるはず。

ところが、利用者を消費者にしてしまうと、それはサービス業になってしまうので、公共性が高まってしまいます。しかもだんだんマジでスペースが必要な人しか使わなくなるでしょう。すると生み出されるモノのバリエーションも先細るような気がします。

公共性が高まることでコミュニティスペース(てか旧佐藤医院)にどんな不都合があるかは前回の記事を読んで欲しいのですが、そういう意味でも利用料を取るのは得策ではないし、こんな人口の絶対数が少ないところにあるコミュニティスペースでは、利用者数を増やすったってすぐに頭打ちになる。

公共性を高め場の可能性を損ねた上、利用者(つまり売り上げ)も頭打ちになるようでは、発展がありません。

だからこそ、利用者が生み出した成果物に価値を与える作業が必要。

3Dプリンタで例を重ねるとすれば、それを使うことで一方ではデタラメに作った「何かの塊」を作ることもできれば、熟練の建築家がデザインした模型を作ることもできる。

機能は同じでも、そこから生み出される成果物の価値に大きな違いが生まれるということ。

発展の幅で言えば、利用料でお金を取るよりも、機能面に対する成果でお金が生まれる仕組みを作った方が、絶対に先がある。その仕組み自体がクリエイティビティを刺激するし、コミュニティスペースは自宅におけるものじゃないんだから頭打ちになることはない。

旧佐藤医院では、スペースの利用は無料だけど、収益の発生するイベントとかをしたらその売り上げの10%をいただくシステムにしています。

また、建物全体がフリーマーケット的なスペースとしての使えるので、小物とか手作りの品を置いておいて、売れたら同じく何割か(同じ10%だったかな?)貰って、後は本人にという感じ。

こういうバリエーションをこそ増やすべきだと思う。

無形の成果物に価値を与える方法を考えよう

さて、コミュニティスペースの機能で言えば、しかし有形のものが生まれる可能性は主という訳ではありません。

コミュニティスペースが生み出す可能性のあるものは、第一に「コミュニティ」であり「会話とかアイデアの交差」であり、「小さな協力社会」です。

つまり無形のものが生まれる可能性の方がずっと高く、それを価値(運営資金)にかえることなどできるのだろうかという疑問が生まれる。

できます。ただし漠然と「できるだろうな」と思ってるだけなので正直僕には根拠も確信もありません。

むしろ無形のものに価値を与えることができるかどうかが、これからのコミュニティスペース運営の柱になると思うので、それこそ実験と検証を繰り返していかなければならないなと思うのです。

だって有形のものの価値のやりとりなんか、それこそネット上のやり取りで十分で、場なんて必要ないんですよね。

だから無形のものにこそ価値を与える方法を考えなければならない。

それがメディアだったり文芸だったりなんだろうなと思ってはいるけれど、かなりの試行錯誤は必要だろうなと思う。

少なくとも、単純な利益の出し方では発展していかないのが、モノに塗れた現代の基本設定ですよね。

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