地域は価値ではなく「価値観」を発信しなければ。/オリジナルの価値観で繋がるコミュニティ作り。

全然注目されない、小さなコミュニティで、誰もしらない冒険をしよう

では、割と個人的なレベルでの「コミュニティ形成」とか「生き方」みたいなのを想定して書いたのですが、「誰にも注目されない小さなコミュニティ」って考えてみれば僕たちの暮らす町がそうだったりしますよね。

僕の住む朝日町は人口1500人もいませんから本当に小さいんだけど、例えば5000人いるとか1万人いると言ったところで、200万都市と比べたら大した違いはない訳です。

虫の大きさを比べるようなもので、多少の違いはあれど等しく小さなコミュニティですよね。

そう考えて見ても、「誰にも注目されずに小さなコミュニティ」で頑張ろうという話は応用が効くと思うし、この場合「価値観で繋がる」という点はなおさら大事だろうという話をしようと思います。

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自分たちが小さなコミュニティだなんて知ってますけど?

いやそもそも頑張ってんじゃんと思われるかもしれません。

けっこうどこの地域も最近では将来を憂いていて、自分たちでできることを必死になって頑張ってる。そうやって各市町村がわが地域を盛り上げようと熾烈な競争を繰り広げているのだ。

最近では特に地域おこし協力隊とかに興味を持つ若者も増えてきたし、田舎への移住ブームみたいなところがあるし、その流れに乗じて生き残り戦略を打ち立てては波に乗る地域が増えてきた。

知名度も低いし、影響力だってさほどないし、でもだからこそみんなが自分にできることはなんだろうってよく考えて頑張ってる。

だから現状、言われなくても、小さなコミュニティで、しかもさほど注目なんてされないけど、その中でやりがいを持って生きているさと言う人はたくさんいるでしょう。何をいまさら、みたいな。

でも、僕が問いたいのは、まず「本当に小さなコミュニティの中で生きているのか」ということ。

そして「本当にそのコミュニティは自分(たち)の価値観で繋がっているのか」ということ。

文明社会という大きなコミュニティに飲まれていないか

僕らが自分の地域のためにやるあれこれは、どんだけひいき目に見ても大したことないです。

ほとんどの人には注目もされないし、関心も持たれない。

だから僕らはどんなに頑張っても小さなコミュニティで頑張るしかないし、望むと望まないとにかかわらず、小さなコミュニティでいるしかない。

もちろん、それを別に卑屈に考えることはなくて、その中にやりがいを見出し、充実した人生を送れるならすごいことです。それで良いよねってかそうするしかないよねって記事が

全然注目されない、小さなコミュニティで、誰もしらない冒険をしよう

とか

心を守るためのサバイバル環境で僕らが形成すべき「コミュニティ」について

でした。

だけど、「僕らは小さい」っていう実態とは裏腹に、誰もが「文明社会」という大きなコミュニティの中で頑張ってしまっている。それは「利益で物事の価値を計るという価値観」で統一されたコミュニティです。

そんな「文明社会」というものを通して自分たちのやってることを見たとき、僕らのやってることや隣の誰かがやってることはどうしても虚無的に見えてしまうものではないでしょうか。こんなことしててもなんの意味もないよなーみたいな風に。

地域おこし協力隊が役に立たないとか言う地域は

例えば各地に地域おこし協力隊の方がいたりすると思うのですが、恐らくそれぞれが自分の持てる力と知恵を最大限に発揮して、地域に「貢献」しようとしているはずです。

それができるかできないかは運とか実力とか地域との相性とか色々あるんだろうけど、少なくとも頑張れば障害を乗り越えて自信がついたり、悔しい思いをして逆に志が明確になったり、理解者ができて嬉しかったり、もう二度と来るかこんなとこ!とか思ったり、色々と得るものがあるでしょう。

結果如何に関わらず僕はそれで十分だと思うのですが、地域はやっぱり「成果」を求めるものなのでしょう。社会的な貢献を期待して協力隊員を募集してるのだから当たり前と言えば当たり前です。

知名度が上がるとか、広告塔になってもらうとか、画期的な商品のアイデアを出すとか、新しい観光事業を先導してくれるとか、そういう成果です。

それは地域が得る利潤、つまり文明的な価値、ざっくり言えば「経済効果」です。

そういう成果が得られなかったら、地域にとって協力隊は、「全然役に立たなかったな」ということになる。何しに来たんだって。

社会的な利益が生まれれば個人のやりがいや達成感に繋がることは予想できますが、個人のやりがいや達成感が必ずしも社会的な利益になる訳ではないということです。

別に誰の役に立てなくても、誰にも注目されなくても、自分の価値観を満たせればオーケーという「生き方」はある。

もしそんな生き方を許容しないものがあるのだとしたら、きっとそれは文明社会という利益で価値を計るという価値観で統一されたコミュニティなのではないでしょうか。

オリジナルの価値観が無いならそんな地域無くても良いじゃない

いやでも実際お金は大事だよ?

何だかんだお金がなきゃ地域を存続させることはできないからね。そのための地域おこし協力隊な訳でしょ?仕事はしてもらわんと。

確かにこういう言い分もあるでしょう。

だけど、そもそもコミュニティとしての共通の価値観がお金にあるんだったら、その地域存続させる必要ないじゃないですか。吸収合併して大きくなった方が経済的には得策なんだったら迷わずそうすれば良いです。

いや馬鹿言うなよ!ここにはお金じゃ計れない価値があるんだよ!そこを引き出して、世間に認めてもらうためにあれこれするっていう辺りを外の目と若い力を持った協力隊に期待してるんだよ!

自分たちの価値観をパッケージングして売りに出せるようにしてくれってことですよね。価値があるったらあるんだから売れるだろ。売れないならそれはそういう役目を全うできない協力隊員の力不足で、居ても居なくても同じってことですかね。

世間に認められない価値ならば無いも同然だと言うのであれば、その地域がまさに無いも同然なのです。だから、やっぱり合併しても差し支えないはずなのです。だってもともと無いも同じなんだから。

地域は価値ではなく価値観を発信しなければ

社会的な利益が個人のやりがいや達成感に繋がるのと同様、地域では個人のやりがいや達成感がそのままその地域にとっての価値になるようなコミュニティにする必要があると思うのです。

つまり、各構成員が自分だけの価値観を持って、ときに仲間を集めたり困難に立ち向かったりして、結果全く注目されなくても、誰にも認められなくても、幸せで充実した人生を送っているという満足感に価値を感じられるコミュニティです。

それぞれの価値観を許容し、共存できるコミュニティであれば、構成員の満足度は増すでしょう。きっとそういうコミュニティは小さくても強いし、多くのドラマが起こり面白いのだと思います。

じゃあ、この地域はどんな価値観を満たせる場所なのか、どんな価値観を持った人が満足できる場所なのか、という風に突き詰めれば、それこそが地域の個性になり、オリジナリティになり、仮に地図上から名前は消えても、強烈なアイデンティティの維持ができることになる。

あってもなくても同じ地域なんかじゃなくなるのです。

価値観で人と繋がるためにも、各地域は価値ではなく、価値観を発信しなければならないと僕は思います。

価値を生み出すのはその後にでもついでにやる感じで遅くないのではないでしょうか。

地域は価値ではなく「価値観」を発信しなければ。/オリジナルの価値観で繋がるコミュニティ作り。(完)

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