自信はいつ得られるのだろうか。/「自信を集められる場所」を作る

「単位じゃなくて自信を集めなければならない」 という田中浩也先生の発言から、本記事は始めたいと思います。

創造社会論」という講義を見て、このブログでは「まちおこし」に関するパターン・ランゲージ(←前回の記事を参考にしてください)を抽出していこうと思っているのだけど、この講義、どこにヒントがあるか分かったものではありません。

創造社会論は井庭崇先生の講義で、毎回ゲストスピーカーと対談するという形式なんだけど、これは「答え」があって、それを生徒に教えるのではなく、対談の中からそれぞれが「答え」を見つけるというもの。

もちろん先生方も例外ではなく、先生の二人が一番学んでるという面白い講義です。「町おこし」には本当に参考になると思う。

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自信という言葉の不思議

で、「町おこし」のパターンの一つして、「自信を集められる場所を意識する」というのはとても大切なことだと思いました。

言わば僕が抽出した「パターン・ランゲージ」です。

創作や表現、つまり創造で以ってコミュニティを作るというのは僕にとってとても大事なポイントであり、だからこそ「創造社会論」にも惹かれたのですが、今回の記事ではそう思う理由が説明できる気がします。

トロトロと考えながら説明して行こうと思います。

まず「自信」という言葉の不思議について。

自信の何が不思議って、これって「自分を信じる」と書くくせに、なかなか一人では得られないですよね。

誰かに認められないと得られない、ような気がする。

というか、自分に多少でも自信があることって、少なからず人に認められていると自負してるところな気がしませんか。

僕は例えば、文章を書くことは少なくとも苦ではない。

うまい下手の議論は避けるけれど、不満があろうと嬉しいことがあろうと「書いて残したい」と思うのですから、多少なりとも自信がある領域ではあります。

ではいつからそうなったのかと言うと、やっぱり褒められた経験があるのです。

それも多分僕にとって良かったのは、不意に、定期的に、いずれも違う人から褒められたという経験があって、少しずつ芽生えていった、というより縋り付いたものなのかもしれません。

幼い頃は「難しい言葉知ってるね」くらいの褒め言葉で、小学校でも中学校でも高校でも、ちょいちょい文章は「うまいな」とか「なんか良い」とかって褒められたことはあって、大学に入ると「エッセイストになったらどうですか」とまで言ってくれた先生もいました。

いやその程度の褒め言葉なら誰でも言われてるだろ、くらいのものです。

本気で受け取ってんの?みたいな。

文章じゃなくたって、人によっては運動神経とか、絵とか、声とか、顔とか色々。

他人から見ると大した褒めてるわけじゃないんだけど、何度も言われることで刷り込まれて、いつの間にか自信になってるみたいなこと。

ただ、些細なことでも、褒められて嬉しくて、今でも覚えているというところにみんな多少のプライドがあって、それが才能なのかもしれません。

じゃあ、自信ってどちらかというと他人ありきであって、自分一人じゃ持てないものなんじゃないか?自信って言葉おかしくない?

自信あるけど自信ない

じゃあ自信を集められる場所とか環境とかって、やっぱり学校とかそういうところとか、お互いに褒め合って高め合うサークルみたいな場所か?

いいえ、自信は他人にもらえることもあるけど、それじゃ違和感がある、というか欠陥があります。

「あそこなら正しい評価をしてくれる」と思える場所に僕らは帰る/獲物を見せに来る猫のような人

でも書いたけど、他人の評価って場所によって超変わりますよね。

親には褒められたけど友達にはめっちゃ貶されたとか、反対に友達には喝采されたけど親にぶちのめされたとか。 Face bookで超「いいね!」ついたけど、ツイッタ―では同じこと言っても「こういうこと言う人って往々にして会社で後輩に嫌われてるよね…」みたいなことになったりするでしょう。

自信が他人にあるとしたら、環境によって自分が揺らいでしまうということだから、本当に本当の意味で「自信」ではなくなります。

上記の記事はそういう認めてくれるところが色んなところにあると良いよねって話ですけど、今回はそれとは別に、「本当の自信を集められる場所」について。

やっぱり、自信というからには「自分が大事」なのです。

僕も、ある程度の自信を持って文章を書いている訳ですが、良い文章か悪い文章かはやはり人によって評価が分かれるでしょう。

というかどちらかというとこんな文章誰にでも書けるとか、鼻につくとか、長いとか、まとまってないとか、つまらないっていうネガティブな感想ばかり頭に浮かんできますし、そういう被害妄想的な意識と戦いながらいつも何かしら書いているのです。

めちゃくちゃしんどい。

え、自信ないじゃん。 うん、ないです。

でも、今は自信があるから書いているのではなく、むしろ自信がないから文章が書けるのかもしれません。

自分の中に毎回ダメだしするヤツがいるから、今度こそちゃんとやろうって思える。

でもこの自信がないっていうのは、いわゆる他人ありきの自信であって、本当の意味での自信はちゃんとある。

じゃあ、その本当の自信っていつつくのか、という話をここではしたい訳で、創造社会に必要なのは、「本当に意味での」自信を集められる場所だと思う訳です。

再現度と自信

僕はほぼ毎日何かしらの文章を書いているんだけど、そんな生活を繰り返しているうちに自信のありかが変わって来たという実感があります。

僕にとって、最初の方でも言ったけど書くこと自体は苦ではありません。

それこそ子供の頃に褒められた経験だけで、書くことに対するハードルは十分下がっている。

でも書こうと思ったことを書くのは簡単ではありませんし、めちゃくちゃしんどい作業です。

自分の頭の中にある理想を再現することってすっごく難しくて、必ずどこかでズレが生じて、最後には最初思っていたものを全然違うものが出来上がります。

もしくは、思っていた通りのものができたのに、思っていたように良いものでなかったということもあります。

思った通りのものが出来て、思った通り良いものだったことなんて、一度もないと言っても過言ではありません。

だけど、ここではあくまで自分の経験に引き寄せて文章の話しだけど、例えば「この一文」だとか、「終り(締め)の文章」だけはオーケーだということはあります。

もしくは、気持ち良い文章なんて一つもないけど構成は間違ってない、とか、構成もクソもないけど感情を乗せることができたとか、そういう小さな成功体験は数打ちゃ当たる程度の量はあります。

それが自信となっています。

自分が目指したものを再現できたという経験は、人に褒められるよりずっと大きな自信になります。

そしてその自信は人に貶されても簡単に崩れるようなものではなく(だからって悪口は言わないで欲しい)、失敗しても失敗しても「次こそはちゃんとやろう。できるはずだ」と自然に思わせてくれる類の自信です。

創造も他人ありきではなく自分を軸にするとすれば

創造とか創作ってゼロから1を的な印象、もしくは「今までにないもの」という印象があると思います。

そのときにも、他人を軸に考えるのが普通だと思う。

「今、世のなか」にないものとか、「まだ誰も」見たことないものとか。

商売ならそういう考え方も大事かもしれないけれど、自信を得るための創造とか創作というのは、やはり他人を意識することはありません。

僕が思う「自信を集められる場所」は、人に褒められる場所ではないし、自分が人に認められる場所でもありません。

そんな場所があったって、ゆるい趣味サークルにしかならないでしょう。

居心地は良いかもしれないけど、他人ありきの自信しか集められません。

本当に自信になるのは、自分が思ったものを、自分が思った通りに再現するという創作意欲の根本を追求できる場所です。

だから何度も言っているのですが、僕は「出来るまで」に着目する。

とりあえずのモノなんていくらでもできるけれど、本当に自分が「できた!」って思うのはめちゃくちゃ後になってからだったり、1000回に一回だったり、全体のほんの一部分だったりするのです。

もしくは、その時にはできたと思っても、次の日には不満になってるとか。

その過程があまりに孤独だし、その過程にこそ面白いことはたくさんあるのだから、注目しなければもったいないと思う。

モノの完成は終りではなく、新たなる創作の原動力になるから、常に過程でしかない。

だからこそ、「創造」には自信を集める力があると思うし、「創造社会」はコミュニティとして強固だと思う。

だって全然終んないんだもん。

でもやればやるほど自信が集まっていく。

「終らない」って考え方によっては超お得ですよね。

そういう創作の場ってなんまらしんどいし、全然優しくはないんだけど、だからこそなれ合いじゃなくて色々なものを越えた戦友になれる。

コミュニティを意識するのであれば、「繋がることを目的」とするのではなく、「目的があるから繋がる」というのが理想です。

以上のようなことを前提とした「自信を集められる場所作り」が「町おこしのパターン・ランゲージ」の一つになるのではないかと思っています。

次回は今回の記事で書けなかったこと、書いてみてやっぱり納得いかないことを題材に書こうと思います。

こういう風に、言い足りないとか、ここはおかしいだろって不満があるから次が書けるんだよな。

あ、この辺は悪口/悪口って記事とか、創造に至る病って記事とリンクするかもしれません。

  自信はいつ得られるのだろうか。/「自信を集められる場所」を作る(完

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