創作物が現実を豊かにする/人為は美しい

月曜は主にビジュアル面を中心に据えた記事を更新する日です。

画像とか映像とか、そういうものに関わる何か。

月曜の投稿を繰り返すことでいつかどこかの誰かにとって、この町がバーチャルに出来上がるようなことになると面白いなと思ってます(行ったことないけど想起できる場所という意味)。

さて5月上旬の北海道の景色はなんてことないです。だんだん南から桜前線がやってきてるようだけど、この辺りはまだなんてことない。

なんてことない景色だけど、最近遅ればせながら『ウィッチヤー3』(知らない人はあとでちょっと画像載せるから待ってほしい)をプレイしてる僕にとってこの北海道のなんてことない景色はなんかすごいです。

とりあえず近くで撮った写真載せます。

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現実の風景とゲームの背景を見比べる

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

うわゲームっぽい!って思ういまの僕は。

すこし倒錯してるようだけど、本当に作り物みたいに何も用意されていないフィールドです。もちろん観光地になんてならないし、写真を見ても別に感動もなにもしないと思う。別に見るべきものがないし。でもすごいなーって思う訳です。

ゲーム画面の背景と比べてみましょう。できるだけそれっぽい場面をキャプチャーしてみたんだけど、僕が言ってること分かってもらえるかもしれない。

ヴェレン

リンデンヴェイル

ヴェレン

もちろんゲームの方が現実に限りなく寄せて再現してるのは分かってるけど、圧倒的に美しい景色を見て絵みたいだって言うのと一緒で、現実の田舎の景色を見て僕はゲームみたいだって思った。

なんの変哲もない草原に、森林に、川に、湿った地面。無造作に生えた雑草、山菜、なにかのつぼみ。どれもこれももちろん自然に自然の姿で完成している。

ああこの自然を再現するにはどれだけの資料と観察力が必要なのだろうか。

桜とか、ひまわり畑とか、見世物を再現するのはこれに比べたら簡単なのかもしれないな。

それより、まったく人為とは美しいなと思う。

同じように何の変哲もないただの自然だけど、ゲーム画面の方がおーって思うんじゃないだろうか。

「人為」と書いて「偽」と読むのだから、人のやることなすことすべて嘘っぱちなんだろうけど、だからこそ現実よりも美しいことがある。

それが偽物でも、本物であろうとする意志があるぶん本物よりも本物だ、というような話を『偽物語』というアニメでしてるのを見たけど(うろ覚え)、その通りだ、少なくともそう思うのは良いことだ、と思ったものです。

人が成すあらゆる行為、人が見るあらゆる理想は、本物を超える可能性があるっていうのは単純に希望です。

『忘れらた巨人』とウィッチヤー3の世界観

さてついでにもう一個、脱線するっぽいけどもともと筋なんてないのだから書きたいことがある。

なんてことない景色に関わって、ゲーム、アニメと来たから、コンプリート欲にかられてある小説にも触れておきたいです。

カズオ・イシグロ著『忘れられた巨人』

これはウィッチヤー3やった人なら絶対面白いと思う。

なにを言ってるのかと言うと、以下に引用する文章を読んでもらえたら分かるでしょう。ちょっと長いけど。

「さっき入ってこられるのを見たときは驚きましたが、いまは喜んでいます。善良な方々だと分かりましたから。で、お願いがあります。嵐が去るのを待つ間、わたしの窮状を聞いてくれませんか。―中略―さて、ここからが問題です。わたしが来ると、それから一時間もしないうちに、このお婆さんがあのアーチから入ってきます。そこにすわり込み、昼も夜もなく、一時の休みもなくわたしをなじりつづけます。残酷で不当な非難を浴びせてきます。暗闇をいいことに恐るべき言葉で呪ってきます。一瞬たりと平穏な時間をくれません。いまご覧のとおり、ときには兎などの小動物を持ち込んできます。ここで殺して、その血でわたしの大切なこの場所を汚すためです。―中略―お二人さん、お願いです。このお婆さんを立ち去らせてくれませんか。それは神をも畏れぬ所業だと悟らせてやってくれませんか。外から来たお二人なら、この人も耳を貸すかもしれません。」49-50p

ゲーム的に言えば「クエスト」の発生です。老婆が呪いを浴びせかけてくるというのも中世の田舎みたいな空気ではないですか。

さらに引用。

今日、村人が一人、息を切らして、肩に怪我をして帰ってきたんですって。なんとか落ち着かせて事情を聞き出したところ、その人は兄さんと十二歳の甥と三人で釣りに行っていた人で、川沿いのいつもの場所で釣りをしていたら、二匹の鬼が襲ってきたんですって。しかも普通の鬼じゃなかったみたい。大きくて、動きが速くて、これまでに見たどんな鬼よりずる賢かったそうですよ。だから、村の人たちは、それはただの鬼じゃなくて、『悪鬼』だろうって言っています。で、二匹の悪鬼はその場でこの人の兄さんを殺して、じたばたもがく甥の少年をさらっていったそうですよ。―後略―」71-72p

この悪鬼騒動を通じてストーリーがまた展開する訳だけど、これも『ウィッチヤー3』でそのままありそうだなと。『忘れられた巨人』の主人公は老夫婦だから退治を依頼される訳じゃないけど、ウィッチヤー3の主人公であるゲラルトなら退治に行ってたとこだ。

「悪鬼」みたいな異形の存在が普通にいるって言うのがそれっぽいです。

以下はゲーム画面(クリックで拡大)

ノヴィグラド

怪物の仕業に違いない

ノヴィグラド

インプなんておとぎ話だけの存在だ、だがこの目で見たんだ…

ノヴィグラド

銀の剣で奴を懲らしめてくれるか?

何が嬉しいって、こういった創作物が僕の頭の中でちょっとずつかすりながら微妙に繋がっていくことです。

ウィッチヤー3に僕は今はまってるけど、そのことがきっかけで『忘れらた巨人』の世界観がイメージしやすくなって、没頭できる。

これらの世界に憧れて現実を見てみると、なんてことない風景だけど頭の中で重なる人為が立ち上り、あああれもこれも、このなんてことなさから生まれているのだと感じることができる。

創作物に触れることで、現実が豊かになるし、現実が限りなく豊かだからこそあらゆる人為を包み込むことができる。

豊かな自然が素晴らしいってそういうことなんじゃないかって思う。

創作物が現実を豊かにする/人為は美しい(完)

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