トラックの運転手×町づくり/田舎の心細い夜道に

例えば、トラックの運転手さんが足を止めるような町づくりは考えられないかという話題を知人としたので、考えてみました。

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トラックの運転手さんから町づくりを考える

町づくりをするからには、どんな町にしたいか、そのためにはどんなモノで人に来てもらうか、どんな人を目標とするか、を考えなきゃいけないんだと思いますが、「トラックの運転手さん」というのは確かに盲点です。

トラックの運転手さんは朝日町に用はなくても町を通過する人ですから、呼ばなくても来る人ってことで貴重なんですよね。

しかし現実的なことを考えると、問題点はいくつかあります。

まず、トラックの運転手さんはお仕事中です。

時間と体力の勝負というお仕事だと思いますから、どこでどれくらい休憩を取るか、どのルートを通って行くかということは厳密に計画されているのだと思います。

この辺りで言えば、例えば剣淵町の道の駅のようなところが夜中の休憩スポットとしては妥当なのではないかなと思います。

ここなら、夜中であれば大きな駐車場ですから誰かの邪魔になることもありませんし、国道から離れることなくスッと入ってスッと出ていくことができます。

朝日町では、その気になればトラックを停められる場所くらいはあるでしょうが、それなりに道を外れなければいけません。

国道をまっすぐ走っている分には、ちょっと休んでいくかという場所はない。(夜中だったら別にどこで停めてもいいと思うけど)

また、朝日町を通過していくトラックは夜中にこの町に辿り着くことが多いようです。我が家は国道沿いにあるので僕の部屋からはトラックが通ると分かるのです。

印象としては日に一台か二台くらいは夜中に大通りを走っているのではないでしょうか。

日中も通っているのだと思いますが、昼まであればなおさら目抜き通り沿いにトラックを止める場所がありません。

それにちょっと気になるところがあったからと言って、業務中のトラックの運転手さんが足を止めるとは考えられない。

トラックの運転手さんがプライベートで訪れるようになる町にすれば良いじゃないかというご意見もあると思います。

だけど本当に朝日町が夜中に通るだけの町なのだとしたら、トラックの運転手さんで町おこしを考えるのは近いようで遠いのではないかと思います。

じゃあトラックの運転手さんと町づくりはやっぱり関係ないのかと言うと、そんなことはないでしょう。

 町だって人でできている

町づくりを考えるとき、町にどんなものがあれば良いか、どんな町にしたいかを考えるのは普通だと思います。

例えばスポーツで有名な町にしたいなんて考える。

そのためには例えばランニングコースを整えたり、合宿所を作ったり、設備が充実した運動施設を作ったりする。これでスポーツマンが生まれ、スポーツマンが集まるようになるかも。

だけど、ネフェルタリ・コブラも言ってた。ほらワンピースの、アラバスタ国王の。

「国とは人なのだ!!」って。

国だってそうなのだから、町だって同じはずです。

町づくりを考えるとき、町を考えるか、人を考えるかと問われれば、人を考えるべきなんだと思います。

結果的には同じことかもしれません。

スポーツが盛んな町にしたい。

そう考えればランニングコースを整えたり、合宿所を作るのだと思います。

だけど、町があって人がいるのではなく、人がいるから村とか、町とか、国ができるのです。

スポーツが盛んな町にしたいのであれば、スポーツが盛んっぽい設備を整えるより、スポーツをする人のことを考えなきゃ。そうやって作ったものって気の利き方が違うというか、心の行き渡り方が違うんじゃないかなと思います。

ちなみに朝日町はスポーツマンにとってはとても良いところだと思います。

士別市と朝日町は合宿生の受け入れが盛んで、夏には例えば陸上選手、冬にはウィインタースポーツの選手たちなどが大勢訪れます。

朝日町にはジャンプ台があり、スキー場があり、クロスカントリーコースがあり、ウィンタースポーツのトレーニングをするには事欠かない環境が整っています。

さらにランニングロードがあり、大きなグラウンドがあり、立派なパークゴルフ場があり、トレーニングセンターもあり、市民が体を動かすための環境はなかなかのもの。

それらは恐らくだけど町づくりのために作られたのではなく、スポーツをする人(運動が必要な人)のことを考えて作られたものなのだと思います。(今度その歴史について調べてみよう)

ニーズよりも解像度の高い想像を人に

さてトラックの運転手の話しでした。

トラックの運転手と町づくりは遠いように感じるのは、僕らが町づくりを考えるときに、町のこと(設備、仕組み)を先に考えてしまうからだと思います。

例えば休める場所があればトラックの運転手は朝日に足を止めるだろうとか、夜遅くまでやってるご飯やさんがあったら寄ってく人がいるだろうとか、町の発展のために人を道具のように考える部分があったのだと思います。

ダメだ、どう考えてもトラックの運転手はお客さんにはならんわと考えるような町づくりでは、何か大事なものを見逃してしまうのではないでしょうか。

綺麗ごとになりそうな気配だけど、確かに大事なことだと思う。

例えば、トラックの運転手さんは屈強なイメージがありますから怖がったりしないかもしれません。

だけど、普通夜中の田舎道ってなんだかんだやっぱり怖くて心細いものだと思います。気は優しくて力持ちの人もいっぱいいるでしょう。顔には出さないかもしれないけど内心ちょっとビビってるかもしれません。

朝日町は夜9時10時にもなると国道でさえ人っ子一人いないゴーストタウンです。車だって滅多に通りません。

屈強なトラックの運転手さんであっても、多少は心細い夜があるはず。怖い妄想が膨らんで、なんでもない陰や物音がお化けに見えたりして、ビビらせんなよ…とか言ってるかもしれない。

どうしても怖くて友達や家族に電話しちゃってるかもしれない。

だから例えば、何となく、何はなくともこの辺りでは人が生活してるっていう痕跡というか、今も誰かが起きているって感じられるってだけでホッとするものなんじゃないか。

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単純に明りがついているだけでも良いだろうし、人の声が聞こえても良い。怖い怖くないの違いって本当に微妙なところだと思うけど、きっと本当に気配とか空気って言うレベルで感じられる生きた人のにおいで安心できるんじゃないか。

だから僕はそんな漠然とした寂しくなさが生まれる町づくりが必要だと思うのです。人が必要とか灯りが必要とかって道具的なことを考える前に、遠回りでも人のことを考えることに意味があるのではないか。

トラックの運転手がどうしたら町に足を止めるかと考えるとき、休む場所があったらとか、食べ物があったらとか考えるのも町づくりかもしれない。

だけど、夜は心細いだろうなとか、コンビニもないこの辺でお腹空いたらもっと心細いだろうなとか、この先峠道だから疲れてたらキツイだろうなって考える方が先なんじゃないか。

経営とか戦略じゃなくて、共感できないかという話

こんなことは商売の基本なのかもしれないけど、ニーズを考えるとかそういうシステマティックなことではなくて、この辺夜怖いよねとか、夜中に運転って大変な仕事だ、って人を労われるのは、人が人だからでしょう。

そういう人らしい想像力の方が、何かを理解する上での解像度は高いと思われます。

トラックの運転手さんが足を止めて、町にお金を落として欲しい訳ではありません。

ただ、トラックの運転手さんにとって、夜中に朝日町を通るのが毎回少し楽しみになってくれるとか、なんか異様に安心できる町っていう印象が生まれるのだとしたら、それは良い町だろうなと思います。

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