田舎暮らしにかかる期待/消費行動の延長としての人生に終止符を

田舎暮らし、田舎で悠々自適な生活と言うと、ある種のイメージが付きまといます。

自給自足のイメージです。もしくは、世俗から離脱した生活でしょうか。

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田舎の時間、都会の時間

「ゆったりとした時間が流れる田舎で自然に囲まれながら野菜でも作って趣味に生きる」みたいな。これはリタイア後な感じでしょうか。

じゃあ、「都会の喧騒から離れて人間本来の自然な生き方を」みたいな。

田舎と都会では時間の流れ方が違うような気がします。
都会では10時とかでもああ、まだ10時か、みたいな感じだったけど、田舎にいると、お、もう10時か、寝る準備しよ、みたいになる。

実際には僕は10時に寝ることは滅多にないんですが、それでも田舎の10時ってすごい夜遅くに感じます。10時過ぎたらもう出かけないでしょ、って感じです。

で、どちらが自然かと言われればやっぱり田舎の時間感覚の方が自然だと思う。今までよくあんな夜遅い時間にご飯食べたたな!って思います。

札幌に住んでいたときは、今よりも若さがあったということもありますが、夜遅くに何でも食べてました。こないだ久々に9時以降にご飯を食べる機会があって、翌日胃もたれしてて驚愕でした。

弱くなったのかバイオリズムが正常になったからなのかは不明ですが、今までこんなに胃に負担のかかることをしていたのかと思ったものです。

都会の目まぐるしさはも捨てたもんじゃない

さて、じゃあ田舎万歳かというと、個人的にはそうでもありません。
田舎の生活、自然な生活ももちろん良いんだけど、都会の喧騒も夜中のピザも良いもんです。

自分で自分の食べ物作って、うちにはペットはいないけど野良猫が庭に来たり、スズメに餌やったりしてって生活も良い。

だけど、都会のちょっと暇だから街に行くとか、夜はどこのお店でご飯を食べようか考えたり、夜中にDVD借りに行ったりするのも良い。

人が多いところは疲れるって言うのもよく分かるけど、所詮はないものねだりで、田舎にいれば騒がしい雑踏が懐かしくなったりもするのです。

都会なんて物騒だとか不健康だとか言うのも一方では正しいことなのかもしれないけれど、だからといって俗世から離脱ことを目指すのってもったいないことだと思います。

俗世って部分に注釈が必要でしょうか。

それは、「消費」が基本となりがちな、システマティックな構造としての俗世間ってことです。

もっと漠然とした言い方をすると、田舎から見たら都会の人は大変ねえと思えるようなこと。

生き馬の目を抜くような競争の数々、流行に価値観を委ねること、そして多くの雑多なものから自分らしさを選び取ること。さらに自分で選び抜くわりには他人の評価なしでは価値を感じられないという自家撞着。

他人に認められるような自分の価値観が大事なのですよね。

田舎らしい生活を買いますか?

田舎に来て、自分の畑で好きな野菜作って、山菜獲ったりして、最低限の肉やら魚を買って、雨の日には静かなところで本でも読んで、という毎日を送れば、それなりに健康的な、充実した、余計なものを持たない生活ができるでしょう。

お金稼ぎなんて俗世間のやることだよね、コロコロ変わる流行に流されるのなんて馬鹿らしいよね。

自分はもっと人間本来の幸せを追求した、動物的な幸せを得るんだ。

自然に囲まれ、太陽と共に起き、夜には星を愛でるんだ。

そういう価値観があるのは良いのですが、価値観だって気分で変わるものですし、田舎らしさというイメージにあなたが忠実になる必要もありません。

田舎ではこうやって生きるもんだ、都会ではこうやって生きるもんだってものがあるのだとしたら、都会にいるのと変わりません。

大学生が大学生らしく朝まで遊ぶこととか、ビジネスマンがビジネスマンらしく終電に乗ってることとか、いつの間にか○○系女子とか言われているのと一緒。

「自然な生き方を求めて田舎に移住する若者」というくくりです。

世間から見たら、田舎に癒されに行く図に見えるかもしれない。競争に辟易した人に見えるかもしれない。田舎に行くのはこういう人だというイメージって、少なからずあるはずです。

一定の行動をとれば一定の成果を得られるというのが、「消費」だと僕は思います。消費するのは何もお金だけじゃなくて、時間とか、人によっては心とかもそうだと思う。

完全な消費者であることは楽しい

もしくは得たもので以って意味を感じるのも同じく消費者意識のなせるわざだと思います。

旅行に行って、これ食べたし、これ見たし、ホテルも安い割に充実してたし、「良い旅行」だった。

「旅行」を、「買い物」と言っても意味はほぼ変わりません。やるべき場所で、やるべきことをやって、残すべき思い出を残す。「払った分と同じだけ得たものがある」ということに満足を覚える。こなす作業です。

多くの人がそうだと思いますし、それが楽しかったりもします。

消費者であることは楽しいです。

丸一日の時間があって、ある程度まとまった額のお金があったら、その時間とお金で最大限得られるものを効率良く得たいものです。

完全な消費者になることは安心ですし満足感を得られることです。払った分必ず成果としてかえってくるのですから。

だけど、その消費者意識を惰性で人生にまで転用して良いものでしょうか。

田舎暮らしを選ぶギャンブルは勧めない

考えてみれば、人生は壮大なお買いもののようです。

どこを水準にしているのかは分からないけど、普通の生活をするためには大学くらい出てなきゃ話しにならないし、大学だって良いとこでないと就職や出世や初任給の面で話にならないし、大学入るためには良い塾入らないと話にならないし、英語くらい話せなきゃ話しにならないし、てか留学経験ないと、資格持ってないと…ってやってくと最低3,000万円かかる、みたいな。

まあ確かに3,000万円子供一人にポンと使えて、本人もそれなりに努力してある程度の運があれば、パッと見わたした限りの中ではまあ優秀な方、勝ち組の部類に入れるかもしれません。

そりゃお金出した価値あるわって食べ物が食べられれば幸せだけど、3,000万円払ってそういう人生を歩んだからって払った分に見合う幸せが得られるとは思えない。「普通よりちょっと上」の生活の初期費用半端ない。もちろん維持費用も。

そういう、人生をお金で買うみたいな価値観、消費者意識が渦巻く世俗から離れて、田舎で悠々自適、ゆるい生活、エコ生活っていう人生を夢想するのは分かるけど、「田舎に行けばこうなる」って期待を持っていて、田舎側もそういう人たちを狙って町づくりをするのであれば、結局相手は「消費者」であることに変わりありません。

何を払うかは分からないけど、何かを払って、思った通りに幸せになれなかったり、飽きてしまったりしたときにどうしようもないというのでは、「田舎を選ぶ」ことは一種のギャンブルだし、なにより面白くないです。

田舎でもどんな生活になるかはあなた次第です

町に仕事を作り、その入れ物を特等席として提供することで朝日町への移住を応援するという部分は人生をパッケージ化して提供する消費者向けのアイデアかもしれません。

お金もそれほど必要ないよね、みたいな価値観はこのブログにも何度か書くと思います。

だけどそれでも、ここに来ればこうなるとか、ここでこういう風に幸せになれとは言いません。

「パッケージした仕事」のイメージとしては、乗り物を与えるような感じでしょうか。

車でもバイクでも船でもなんでもいいのですが、乗り物です。

旅程は決まっていません。乗り物を好きなように使って、どこかに行くなり、一か所に留まってただの小屋のようにするなり好きにしてください。もちろん乗り捨てても構いませんし、乗り換えても構いません。

そのままお店にしても良いし、休憩所にしても良いし、趣味のスペースにしても良い。

ただ走るにも暖房冷房つけるにもライトをつけるにもガソリンとかバッテリーとかが必要ですから、必要なら自分で確保してほしい。

その方法は自分で見つけても良いし、難しそうなら協力します。大した力ではありませんが協力はします。

それが気に入ったらずっと持っていてもいいし人にあげてもいいです。

もちろん最終的に都会に落ち着くのもありです。

漠然とした言い方で申し訳ないです。

僕が用意したいのはポータブルな居場所であり、道具です。

それっぽく生きるのではなくて、あなたらしく生きられるところが必要だと思うのです。

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