ドリアン・グレイ効果と狐憑き

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『顔を読むー顔学への招待ー』を読んでいると途中で出てくるのが「ドリアン・グレイ効果」という言葉。

だから今月のテーマ「顔」に寄せて、『他人の顔』『顔を読む 顔学への招待』+『ドリアン・グレイの肖像』をピックアップしたんだけど、こういう風に本がつながっていくのって楽しいですよね。

僕は『顔を読む 顔学への招待』を手にとって初めて『ドリアン・グレイの肖像』を読もうと思ったわけです。それまではタイトルは知ってるくらいの存在だった本が、読んでみようかなという本に変わる。

本が好きな人にはこういう出会いのエピソードが多数あるはずで(音楽とか美術でもそうかな)、個人的にはそういう繋がりって面白いなと思う。人により出会い方も違って、人生みたいだなと。

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ドリアングレイ効果ー性格にあった顔になる

話がそれそうなので戻すけれど、ドリアングレイ効果というのはまさにこの『ドリアン・グレイの肖像』からつけられた名前で、主人公が後ろ暗いことをするたびに肖像画の容貌が次第に醜くなっていくことに由来するそうです。

ドリアン・グレイ効果について、『顔を読む 顔学への招待』では端的に「性格に合った容貌を発達させる」と説明されています。

つまり、普段から怒っている人は次第に怒った顔になっていき、普段から笑っている人は次第に笑い顔になっていくということ。

当たり前じゃんと思うかもしれないけれど、「ドリアン・グレイ効果」が認められるということは、顔から性格がある程度推し量れるということ。

いやいや、でも怒り顔に見えてもめっちゃ優しい人いるよ?とか、優しそうな顔なのにめっちゃ冷たい人いるよ?みたいな経験談は枚挙にいとまがないと思う。

「性格は顔に表れるのだ」ではなく、「性格が顔に現れることもある」という程度に理解を抑制しなければなりません。

ところが、意識的に抑制する必要はありません。

このほか、『顔を読む 顔学への招待』では、「容貌と性格特性の四つの関係」

という図が用意してあり、そこには、

(a)期待充足的予言:他人が容貌から期待する性格を発達させる

(b)期待打破的予言:期待と反対の性格を発達させる

(c)ドリアン・グレイ効果:性格に合った容貌を発達させる

(d)策略効果:性格をかくす容貌を発達させる

これらの関係が干渉して性格や容貌に影響していると説明されています。

ここから言えるのは皮肉なことに「人を見かけで判断してはいけない」ということのように僕は思うが、いずれにせよ、顔と性格に相関関係があるということは面白いなと思う。

結果はどうあれ、内面が外見に表れることがあるということだから。

この『顔を読む 顔学への招待』は 人間観察からの卒業 の内容を考えるに至った原因の一つでもあります。

人の容貌に限らず、行動や持ち物、癖や口調などその人を構成するほとんどすべてのものが、どのような経路で表れたのかは絶対に知ることができない。直接確認するしかない。見たままに判断したことが合っている確率は乏しく、合っていたとしても意味がない。

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狐憑きの顔

さて、「ドリアン・グレイ効果」を知って僕が思い出したのは学生時代に先輩から聞いた怖い話でした。

先輩のお母さまが子供のころ、こっくりさんが流行ったそうです。

何度もやれば自然に飽きていくものですが、仲間内に一人、いつまでも飽きない子がいました。

その子はしつこく「こっくりさんやろう、こっくりさんやろう」と言っていたそうですが、あとで当時の写真を見ると、その子の顔は目が吊り上がり口が大きく開いて、まるで狐のように見えたそうです。

ちょっとちがくね?と思った方もいると思いますが、僕はとにかくこの話を思い出した。

狐がとりついていたから狐のような顔になったと解釈するのが普通だと思いますが、もしかしたら他の子がその子をそのように見たかったからそうなったのではないか。たまたまその写真がそのように見えただけで、背景事情から「狐のような顔」と意見が一致したのではないか。

また、この話の子が狐憑きだったとはもちろん言えないけれど、本当に狐憑きだったとして、それでもいわゆる狐憑きは「精神疾患」の症状とされるのが現在の通俗なのではないかと思います。

このように、考えようによって不思議は不思議じゃなくなって、怪奇は薄れていく。

ドリアングレイの肖像も、何か後ろ暗いことをする度に肖像画の顔が醜く歪み、その代わり主人公は若々しさを保ちます。

なんか話が逸れてしまったまま終わりそうですが、本を読んでるとこういう風に微かな繋がりの間で脳内信号が行ったり来たりするもんなんじゃないかなと思います。

 

ドリアン・グレイ効果と狐憑き(完)

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