点と丸を意識する文章を書く。/あらゆる思考は世界の一部で世界の全部

前回は「伝える順番」に着目しました。

それに関連してもう一つ考えたことがあるので、ここにメモしておこうと思います。

それは、あらゆる思考は常に何かの一部であり、同時に全部なんじゃないかということです。これを意識することで、伝えること、そして理解することが容易になるのではないかという仮説を今は持っています。

意味分かりそうで分かんないですよね。

実はこれ、最近よく見ている「創造社会論」という講義で話されていた内容から考え始めたことです。

順を追って説明します。そして今回ちょっと長いです。すんません。

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専門性とは

創造社会論後半で、田中浩也先生が仰っていたことです。

「専門性って、それについて語れることじゃなくて、それで世界の何もかもを語れること」

なんだそうです(発言はそのまま引用していません)。

話の流れでファッションの専門家を例に出していたけれど、ファッションの専門家はファッションについて語れる人ではなくて、ファッション世界を語れる人なんだ、と。

なるほどです。

世のなかは言葉でできています。

なぜなら、言葉の枠に収めなければ僕たちは物事を認識して自分のものにすることができないから。固定して持ち運べるようにしなければならないのですね。

関連記事→赤ちゃんはなぜ泣くのか/生まれる苦しみと産む苦しみ

人は一人一人言葉が違います。

それは例えば、「嬉しい」という感情の意味を、「嬉しい」という言葉を知らない人(外国人にという意味ではありません)に教えるところを想像すれば分かります。

「嬉しい」は「嬉しい」だろ、と思う人もいるだろうけど、確かに出来ない、出来ても数万字が必要だと思う人もいるでしょう。

ややこしいからもう少し例を出すけど、もしくは「水」という言葉を発したとき、どんな水を想像するでしょうか。

水道から流れる水?

海とか河とかプールとか、ある程度まとまった量の水?

コップに溜まった水?

そしてその色は?温度は?

言葉はそれぞれの環境や経験や考え方の癖によって表すものが違います。

みんなそれぞれ自分だけの言葉を持っていて、自分だけの言葉で世界を認識しているのです。

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専門家とはつまり、そうやって培ってきた自分だけの言葉であらゆるものを語れる人。自分に世界を引き寄せる力を持っている人です。

一人で完結

専門家になるって、だからすごく難しいことです。

なぜかって言うと、自分一人で世界が完結していなければならないから。

完結っていうと語弊があるかもしれないけれど、自分一人の認識や行動が普遍的な領域まで達せなければならないからです。

意味不明ですかね。

例えば、じゃあ「文章の専門家」がいたとします。

この人はだから、「文章で世界を語れる人」です。

文章で世界を語るっていうと普通ですよね。そもそも「語る」ってまあ書き言葉じゃないにしても文が必要ですから。

だから混乱を招くかもしれないけれど、文章で世界を語るというのは、文章で世界経済を語るとか、恋愛を語るとか、もう色々なことが語れるってことではありません。

文章の専門家は、文章を書くとか作るとかって日常を通して世界を語ることができる人のことです。

どういうことかと言うと、まず、ある程度まとまった文章を日常的に書くのは全人類から見たら限られた人だと思うのです。

だからまあ、すごく特殊なことをしているということになる。

だけど、書くことを通して、やはり色々な経験をするワケです。出だしで超迷って、でもタイムリミットが迫ってるから焦ったり、スラスラと書けたかと思ったら読み返したときひどいことになってたり、人の文章読んで上手で凹んだり、逆に自信ついたり。

紙とかパソコンを前にしたときの気持ちとか、書き終わったときの気持ちとか怒られたり褒められたり自分なにやってんだろうって思ったりする。

ペンを探す、紙を探す、アイデアが生まれる、疲れる、あとは何だろうな。色々あるはずです。

文章の専門家なのだから、文章を書くという日常の中であらゆる経験をする。

すごく個別具体的な生活を送っているはずなのに、その日常で起こることや感じることはすごく普遍的なところがあります。

どんな仕事してたって、仕事してなくたって、自分の世界と誰かの世界が重なるところというのは必ずあって、誰もが自分の世界に引き寄せて考えるんです。

だから、文章を書く人と営業職に就いている人が「掴みって大事ですよね」とか、「口調とか基本とか崩して良いタイミングってなんとなくありません?」とか、違うことをしているはずなのに話が通じちゃうところがある。

一方は書き出しのことを考えてて、一方は「ごめんくださーい」ってチャイム鳴らすなりドアをノックするなりのときのこと考えてる。

誰もが自分の世界に引き寄せて、周りの世界(他者)を理解することもできるし、伝えることができるのです。

全体で一部

鋼の錬金術師が好きな僕にとっては親しみのある考え方なんだけど、世のなかというものは大きな全体の一部分でありながら、同時に個別に完成したものです。

「一は全、全は一」

この意味が分かったら合格だ、なんてエルリック兄弟は師匠に言われるワケですけど、これは錬金術においては基本的な考え方のようです。

関連記事→優越感なしには人は幸せになれないのか/『鋼の錬金術師』が刺さる、何度も。

前回の記事の関わりで、このブログ内の文章について言及すれば、意識していることは各エントリーが個別に完結するものでありながら、全体の一部分であることです。

一つ一つは点に見えるのですが、それらの連なりを俯瞰してみると大きな円(別の意味を持った完成形)になるようにしなければと思うのです。

でも近寄ってみると、実は点だと思っていたそれぞれが円とか球として完結した形であると。

人間の一人一人だって同じです。

それぞれがそれぞれの立ち位置で完成したものであると同時に、世界の一部です。

円滑という言葉があるように、、順調なものをほど形で言えばまるーくなって行きます。宇宙に目を向けて見れば分かるとおり、惑星は丸いし、円運動をしています。

そして円や丸や球というのは、どこが始まりでどこが終わりだか分かりません。全ての視点から平等の形です。

そういう形を意識するって大事だと思いませんか?なんかスピリチュアルな感じになってしまったけど。

「書き方」のエントリーじゃないよ

「点と丸を意識して書く」と言うと句読点の使い方みたいですが、ここでお話しているのは、自分が点(・)であり、丸(●)であることを意識すると良いんじゃないかなということです。近づいたり遠目に見たりするだけだし。

僕はこうしてブログやらを書いてるから「書くこと」で語ろうとする訳だけど、接客業だろうが営業だろうが事務だろうがスポーツ選手だろうがパティシエだろうが何だろうが

自分が見ているものは世界そのものであり、同時にごく一部のことなんだ。

と意識することが大事だと思います。

なぜなら、自分を過大評価するのも、過小評価するのも、理解や伝達を妨げるからです。

自分を過大評価するということは他人を過小評価することであり、自分を過小評価するのは他人を過大評価することになるかもしれないです。

同じように理解や伝達を妨げると思いませんか。

ニートより働いている人の方が立派なのでしょうか。

家にいる主婦より、外で苦労しているサラリーマンの方が優秀なのでしょうか。

子供より大人が、犯罪者よりスポーツマンが、加害者より被害者が正しいのでしょうか。

立ち位置や経験の違いで、僕らが住んでいる世界の普遍的な、共通部分に何か影響が出るでしょうか。

点と丸を意識しないとどうなるか

例えば、ドラマとかでよくある主婦と会社から帰ってきた旦那のケンカとかってありますよね。

帰ってくるなり旦那が、「部屋ずいぶん汚れてるね」とかって嫌味っぽいこと言って、「ごめんなさい、この子が一日中泣き止まなくて大変だったの。ちゃっと片づけるからちょっと見ててくれる?」

「いやそれよりご飯にするわ」「おソバで良い?すぐできるから」

「またソバ?まあいいけど…」

「あ、そうだ、今のうちにお風呂洗ってくれない?」「え、俺が洗うの?」

「良いでしょ何か一つくらい洗ってくれても。掃除も洗濯も食器洗いも子供のお風呂も全部してるんだからお風呂をたまに洗ってくれるくらい」

「疲れて帰ってきてまだ仕事しろってか」

「お風呂ぐらい良いじゃない!」

「なんで一日家にいて風呂掃除くらいできないんだよ!」

ってケンカになるって言う。

にしても寸劇が長いですね笑

これって、お互いがお互いの世界を理解しようとしないからこうなるんじゃないかなと。

自分のことで精いっぱいで、自分が全体の一部だという意識がないから、自分の方が大変とか偉いとか思ってしまう。

自分の専門(立場)で世の中を語ろうとしないのであればハンパなんだと思います。

語れないのではなくて、語ろうとしないことね。自分の経験を俯瞰して、世界の普遍的なことに当てはめて、「理解しよう、伝えよう」と思わなくなった瞬間、視界が自分の小さな世界でいっぱいになって、「お前なんか家にいるくせに」とか、「あなたなんて子供の面倒まともに見たことないくせに」とかって自分の世界の大きさ、困難さを押し付けようとする。

子育ての大変さは例えば何かしようと思ってもひっきりなしにクレームの電話とか営業先からの問い合わせとか来客がやってきて、しようと思ったことができないところにある、みたいな記事をどこかで読んだんだけど、そういう風に考えれば子供いない人も「子育て大変じゃん」って思うんですよね。

多分そういうことあると思うんですよ。千客万来で気付いたら夜。簡単な書類も出来あがってない。なんでこんなことちゃっちゃとやらなかったの?みたいなこと言われて悔しい思いをしたとかってことが。

反対に主婦業でも、ママ友に意地悪されて悔しいと思っても口を噤まなくてはいけなかったり、子供が悪さして私は悪くないと思いつつ言い訳が許されなかったり、子供と一緒に昼寝してて気づいたら3時間とかたってて、その時間眠ってさえいなければ掃除全部こなせました、でもこの落ち度を認める訳にいきませんみたいなサラリーマン的な要素もちょっとはあるはずなんです。

めちゃくちゃ個人的な世界で独特な生活を送っているけれど、俯瞰してみれば同じ地球って世界に住んでるんだから共通するところはいっぱいあって、理解する方法や伝える方法はある。

って話です。

ちなみにこれ、上にリンク貼った「赤ちゃんはなぜ泣くのか~」と微妙に矛盾するような記事なんですよね。僕的には矛盾してないんだけど、超時間ある人いたら見比べてみてください。

点と丸を意識する文章を書く。/あらゆる思考は世界の一部で世界の全部(完)

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