一瞬を切り取る人間の能力/映像・画像編集のゴール

月曜は僕が住む町、北海道は士別市朝日町のビジュアル面をご紹介する曜日です。

しかし、やっぱり僕はボケっとあれこれ考えるのが好きなので、今回は映像や画像というよりも「編集」ってなんでするんだろうな…って辺りから、ぼそぼそと考えたことを書いていこうと思います。

いや編集に飽きたとかじゃない、はずだけど、そういうメタ的なことを考えるのも上達には必要かなと思うのです・・・。

画像はいちおう終わりつつある雪景色を散りばめますが、「雪景色って白が中心だと思いきやかなりの割合で青とか黒が重要だよね」というテーマでお送りします。

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動画や画像、編集のゴールは?

動画とか画像の編集って、多分だいたいどんな人でも少なからず経験があると思います。

携帯電話で綺麗な写真が撮れる時代ですから、ちょっと色味の修正したり、モノクロ風に加工したりなんてありふれた編集作業ですよね。

僕だってそれくらいの経験は今までにもあった。

だけど「よし、編集するぞ」って意気込むと、だんだん欲が出てくるというか、編集しだしたらキリがないみたいな気持ちになることが最近分かりました。

もっと良くできるはずだぞ、もっと綺麗にできるはずだぞと。

そもそもそんなに数をやってないのですが、自分でちょっとやってみて、それから僕から見たら映像技術がすごい人たちの編集動画を見たり、はたまたこの写真どうなってんだろうなって分析的に見てるうちに、編集の奥深さみたいなものがほんのり分かってくるものです。

で、そうやって編集について面白くなってきた頃にふと思ったことが今日の記事テーマの中心になります。

「編集のゴールってどこ?」

岩尾内湖

忠実な再現では物足りない

編集のゴールってどこなんでしょう。

①自分が見た美しいもの、感動した世界をそのまま誰かに伝えること

②人の想像や能力を超えた世界を創り出すこと。

どちらも正解な気がします。

例えば、これも誰でも経験あると思うんだけど、「今日の星空綺麗だなあー」なんて思って手持ちの携帯やらカメラで撮影を試みるも、全然うまく撮れないなんてとき、これじゃダメだって思いますよね?

編集以前の問題なような気がしますけど、じゃあ仮に星空が見たまんま鮮明に撮れる良いカメラがあったところで、実際に星空を見て感動するほどの感動を写真に見出せるでしょうか。

目で捕らえられる程度の星空であれば、多分自分の目で見た方が感動するような気がします。

ということは、僕たち人間の目の方が基本的に高性能ということになる。

よって見たままを忠実に再現したのでは、見たままの感動を伝えられないということになる。

だから、①の「自分が見た美しいもの、感動した世界をそのまま誰かに伝えること」を達成するには、僕らが持つ目の機能を加味した表現(編集)がどうしても必要。

氷 湖

編集後の動画や画像は本当に人の脳を越えるか

②の「人の想像や能力を超えた世界を創り出すこと」の話題に移りましょう。

映像でも画像でも、はたまた絵でも、人の能力を超えたものを見せて、驚いたり感動してもらったりすることはあると思います。

例えば物理法則を無視した映像とか画像であれば単純に驚きますし、ドローンとか定点観測して早回しみたいな特殊な視点の映像であれば、人の能力を超えているから驚きますよね。

もちろん、あまり突飛なものでなくても、ちょっと色が違う(全体に青みがかった画像で不穏さや儚さ、脆さを表現)とか、一瞬を切り取る(稲光とか)とか言う方法で、人の能力を超えた視点を表現することもできる。

「へえー」って思う。

こう考えていくうちになんだか虚しくなってきます。

なぜって、いずれにせよゴールは「僕らの脳がおーすげーって思うこと(感動する)」という単純さに落ち着くことになりはしないだろうかと思うから。

じゃあ、やっぱり編集の目的は人の脳を越えることではなく、人の脳に到達することが目的なのだと言えるのです。

現実の忠実さを意識するにしても、驚きを狙うにしても、到達点は僕らの頭の中にあって、「完成」は頭の中にある。

頭の中に正解があるからこそ編集をしていても、「んーなんか違うな」とか、「もっと綺麗にできるはずだぞ」って思うのですよね。

氷の湖に影

人間にある、今現在を切り取る能力

僕らは間違いなく現実に生きているけど、僕らが見ている世界はとても非現実的だと思います。

僕はよく夜に散歩をするんだけれど、やっぱり何度見ても星は綺麗だし、春先の、速い流れの雲とか、雪解け進んでます!みたいな川の流れる音とかはなんか良いものです。

立ち止まって空を眺めたり、耳を澄ませたりすることも可能だけどよっぽどのことがない限りそんなことはせず、歩きながら身の回りの騒音というか躍動というか、そういうものを観察することが多い。

騒音とか躍動と言ったけれど、よく考えてみれば、世の中に立ち止まっているものはなく、全てのものが絶えず動き続けています。この点がすごく非現実的だと僕は思う。

人間だけが意識的に立ち止まったりできる、とは言え他の生物と同じく常に心臓は動いているし、日々劣化している。

自然はすべて常に変化して循環している、なんて話になると錬金術みたいな感じになっちゃうんだけど、それより面白いのは、僕らは意識を向けることでまるで身の回りの世界が止まっているように扱えるということ。

意味不明ですかね。

僕らの非現実的な景色をありのまま見せる

これは説明しにくいんだけど、普段僕らは、世の中すべてが機械仕掛けのように騒音を立てながら絶えず動いているなんて考えません。

だけど集中することで、あらゆるものが動いていることが実感できる。ちょっと立ち止まって、川の流れに集中したり、風を受けたり、星を眺めたりすることで、それがものすごい躍動感を持って絶えず流れ続けていることが分かる。

止まっているように扱えるというのはつまり観察する対象ではなく、その他の領域です。目を向けたもの以外を意識的に止めることができるからこそ、観察対象の速さとか重さとか明るさとかいう存在感をダイレクトに受け取ることができるのです。

つまりそのインパクトは相対的なもので、僕らは今その場で起こっていることを、今現在を切り取って、観察することができるからこそ現実を越えた景色を見ることができる。これはカメラが一瞬を切り取るのとは性質が違うものです。

頭の中では五感で得られるあらゆる「流動」を無視して、「今」「ここ」に集中することができる。

そして今から見た過去、今から見た未来をも考えることができる。

つまり、僕らが感じる「今現在」は、本当はあらゆるものを圧縮した今現在なのです。

カメラは本当にその瞬間を切り取ってしまうから、やっぱりどうしても物足りないし、編集なしでは僕らに追いつけない。

最初のテーマに立ち返ると、編集のゴールは「僕らが感じた非現実的な景色をありのまま見せること」なのではないかと思います。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

閃光少女

なんか好きなこと書いて伝わるのか不安な記事になってしまったけど、最後に、こういうこと考えてるうちに思い出した歌があるので動画を貼っておきます。

東京事変の『閃光少女』です。

右と左をつなぐ歌 という記事でも似たようなこと書いたけど、椎名林檎さんは芸術的だなって思います。

特にサビ部分の

切り取ってよ、一瞬の光を

写真機はいらないわ、五感を持っておいで

私は今しか知らない、貴方の今に閃きたい

がもう、流石と言うほかない。

一瞬を切り取る人間の能力/映像・画像編集のゴール(完)

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