地域が活性しなくても、人の感情が動けば。

こちらも創造社会論をもとにした記事です。

つながるカレー/コミュニケーションを「味わう」場所をつくるっていいな!

では、社会学者である加藤文俊先生のカレーキャラバンという研究をご紹介しましたが、加藤先生はこの他にもキャンプを研究の場に使う活動もしているようです。

キャンプといってもいわゆるキャンプではなく、キャンパスとは別の場所に学びの場を作るというコンセプトのもと、外に出て、地域コミュニティ等、学ぶと。

具体的には、一例ですが学生が地域のポスターを作るという形で学びを還元するようなことをしているようです。

カレーキャラバンとキャンプ。

こういったフィールドワークを積極的に行っている加藤先生に、創造社会論の井庭先生がこんな質問をしました。

「これは、研究とか学びとしてはそうだと思いますけど、活動全体は…例えば地域活性とも違うじゃないですか、そのよく言われる地域活性とも。そこらへんは色んなものが重なってると思うんですけど、何が重なっているのかとか、それが融合してるならその形をどういう風に見てるかとか、聞いてみたいです」

その答えが大変面白かったし、このブログのコンセプトというかテーマにとっても大切なことだと思ったので、加藤先生の発言をほぼまんま引用する形で記事にしたいと思います。

これまでのブログの流れをまとめた記事みたいになりそう。

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「まちおこし」だけど「まちおこし」じゃない。「地域活性」のためだけど「地域活性」のためじゃない

誰に対してこの活動を語るかによって、僕も言い方が変わってくると思うんですよね。やっぱり研究会のシラバスなんて言うと、学生に来て欲しいから「まちづくり」とか「地域活性」みたいな言葉を入れるんですよね。

入れていながら、でもこれ地域活性じゃないよみたいな、書き方を僕はしてしまうので、それで人が来ないみたいな。矛盾があるんですよ。

で、地域活性とかコミュニティとかコミュニティデザインとか、まちづくりみたいな話って、やっぱりみんなすごい関心を持っていて、大事な領域だと思うんですけど、僕はやっぱり慎重に使いたいなって思うんですよね。

大事であればこそ、どういうつもりで自分が使ってるかってことはクリアにしておかないと、なにかの期待をしてきた学生なり、別のオーディエンスに対して、失礼なことにもなるし、謙虚に、かつ慎重に使いたいと思ってる。

この点、僕も基本的にいつも悩んでるところで、もちろん片や大学の研究で片や個人ブログだからレベルは違うんだけど、このブログのテーマに関して、どっちつかずなところがあるんですよね。

ブログ書き始めた当初は、僕が住む朝日町というところの活性化のためにあれこれやっていこうみたいな気持ちで、「まちおこしブログ」だった。

だけどその内、そもそも「まちおこし」ってなんだ?みたいなことを考えるようになって、コミュニティって何?なんでコミュニティが壊れてしまうの?みたいな流れになって、あえて学問っぽく言ったら「メタ町おこし論」的なブログになった。

だんだん、「町おこし」に関わる人々、関わろうとする人々とかが記事テーマになるかもという予感もあるくらい、まちおこしって言葉とかそれに携わる人達って変な境界線で囲まれているように見えます。

でも朝日町がというか僕の周りだけで良いからちょっと賑やかになったら良いなとか人が増えら良いなと考えることは変わってなくて、だからこれはれっきとした「地域活性」を目的としたブログでもある。

じゃあ素直に「朝日町の魅力発見!」とか「自然に囲まれた田舎の豊かな生活」とか「空き家整備してます!」みたいな記事を書けばいいんだけど、全然書かない。町のあれこれは必然性があるもの以外は紹介するつもりない。

「まちおこし・地域活性」は目的ではあるんだけど、別に「まちおこし」やってる訳じゃないよっていう、傍から見たら訳の分からないことになってる。僕も相手によってどういうつもりでブログ書いてるのかを言い換えなきゃと思ってるんだけど、「まちおこし」のブログって言うのが多分一番適当でどうでも良いと思ってるときです。

でもこのどっちつかず感が真実であって、ブログとか書くなら分かりやすいのは大前提なんだけど(一応ターゲット設定みたいなのがある訳だし)、矛盾を含む形が一種のスタイルになっている、というかいつかそんな風に受け入れられたら良いなと思う。

思考はなかなか一本筋が通ったものではないし、これもブログのテーマの一つなんだけど、迷走してんな、っていう経過を見せて、それでも少しずつ形になっていく当たりを見せられるのがブログという形式の長所だと思うのです。

迷走っぷりは

これは町おこしについて考えてるうちにまちおこしに関心がなくなったブログです

とか

「まちおこし」「地域おこし」に感じる違和感/運動会を彩るのは

とかに表れてると思う。その他にも定期的にこういうこと書いちゃってる。

「成果」を求める地域コミュニティ

ポスターを作りますと。見かけ上は大学生による地域の魅力の再発見。それをポスターという形で、見える形にして、その成果を公開していくので、これで地域、元気になる、みたいなストーリーは語れるんですよ。

けど、よくよく考えたらあんなポスターで地域活性するくらいだったら、地域活性なんて問題になってるはずがなくて、もうすでに活性化してるはずなんですよね。

あともう一方でこれをやると必ず言われることは、ポスター作ってどういう効果があるんですか?みたいな。

つまり大部分、多くの、まあもちろんどういうスタンスでやるかにもよるんだけど、多くの地域活性化みたいなのコンテクストは結局は経済の問題。これはもうあたりまえの話しなんだけど、高齢化の問題と、経済が落ち込むっていうかな。つまりお金が、地域の外から入ってこないという問題に直面してるってことは間違いないので、地域活性とうたった途端に、それへのソリューションを多くの人は期待する。

これはホント当たり前のことではあるんだけど、だからこそ気安く「地域活性」とか「まちおこし」を目指してという風にこのブログが明確な筋道をつけられない理由でもあります。

どうしても「町おこし」というと経済に絡む。

それが悪いんじゃなくて、最終的に経済という評価だけで良し悪しが判断されてしまうから、そこに至るまでのあらゆる経緯がないがしろにされてしまう。

いや「繋がり」とか「盛り上がり」とか「地域の人たち」のやりがいが大事なんだよと言われても、いやそんなの大事ならそれぞれやりゃいいじゃん。趣味見つけて、一人で寂しいなら仲間内で盛り上がれば良いじゃん。なんでそれを外部に知らせて、盛り上がってますって伝える必要あるの?ってひねくれたこと言ったら、気分を害する人も多いかもしれない。

「結果じゃなくて経過が大事だ」とか言うけど、限定的な価値基準によって経過が揺らいでしまうなら、結局大事にしてるのは結果だろうということ。

そういう結果ありきの、ゴールが定まったレースだから、自ずとみんな最短距離をダッとまっすぐ走るしかなくて、つまらなくなるんじゃないかなと。自由な仮装大会なのにみんな同じ服みたいな。

そしてなにより、「成果」とか「結果」を求めて何かやるとすると、例えば地域活性プログラムみたいな、「こうすればこれこれこうなるから地域が活性しますよ」って言うのはただの「お買いもの」なんですよね。地域住民のためというよりは、「消費者」を相手にすることになって、ここでちょっとした矛盾がまた生まれるんですよね。

その当たり、この創造社会論の4回目だったかな?の講義を元に書いた記事で詳しくグチグチ言ってます。

多様なものを多様なままにしておく工夫

あ、あと、我々が問題解決できない理由みたいなのも書いてた時期がありました。

その理由に、例えば「目先の解決策に飛びつく」とかというものがあります。

僕らが問題を解決できないワケ/問題に対する態度の話し

なぜ文明は崩壊するのか。なぜ夫婦やカップルの関係は破綻するのか。きっと原因は同じだ

この辺り。

インパクト。感情と行動

加藤研の学生来て、フィールドワークするぞってなると、暗黙のうちになんらかの、ソリューションとか何か今後のビジネスチャンスとか、Uターン、Iターン、移住する人増えるみたいなそういうこと、ただちに結び付けて考える人がどうやら多いのではないかってことがやってるうちに分かった。

気持ちも分かるし、状況も分かるし、それに対して僕たちがなにかをできるのであればやりたいという使命感もあるし、気持ちは十分にあるんだけど、実際僕たちがやってることは何だろうと考えたときに、これ地域活性プログラムですとは呼べないですよね。で、だからやっぱり呼ばない方が良いってスタンスを僕は言っていたんですよ。

無理矢理にこれもね、これは最初の一歩だから、これによって住民たちが、日々の生活、もう一度気付いて、そっから何か皆さん活力を得て、結局やっぱ地元の方が自律的に動くようにならないと、地域はダメなんですよみたいなことを言おうと思えば言えるんだけど、それはなんかね、僕は真心を持って言えないんですよ。

長いけど最後大事なのでさらに引用させてください。

だけど確実に何が起きてるかって言うと、学生の学びの場ってのは置いといて、地域の人はやっぱり、今ちょっと後半に言ったように、一瞬何か、えと、気付いてる風な顔をするときがあるんですよ。

これも非常に繊細だし、僕が勝手に感じ取ってるだけの話しなんだけど、やっぱり、機能まで知らなかった誰かが自分の写真をとってポスターにしたっていうそのポスターを見たときに、あきらかに揺さぶられてる人がいるんですよ。

それは何かすごく大事だなって思うんですよね。それが地域活性だとは思わないんだけど、やっぱりインパクト、あるコミュニティの人に対して、インパクトを与えてる活動だと言うことは、多分間違いないんですよ。

こんな理屈っぽいことばっかり書いておいてなんだけど、人は理屈で動くのではなく、感情で動くものだと思います。

感情にインパクトを与える活動は、いわゆる地域活性には繋がらないかもしれないけれど、誰かの生活や人生に彩りを加えるという、もっとも直接的なコミュニティデザインの方法かもしれません。

地域が活性しなくても、人の感情が動けば。(完)

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