文芸を志す人にうらやましいと思われる場所を作りたい

自分は「他人にうらやましいと思われたい」と思っているのではないか、「人の嫉妬を煽るような存在になりたい」と心底で思っているのではないかということに気付いてちょっと自分が嫌になることがあります。

かつて

優越感がなければ人は幸せになれないのか/『鋼の錬金術師』が刺さる、何度も。

という記事を書いていて、優越とは、あるとしたら他人のためのものだろうという結論に至ったのだけど、そんなことを書いておきながら、やっぱり自分が何かをしたり、人生設計らしきものを考えたりするとき、基準や指針の一つに「それをして自分のことをうらやましく思う人がいるかどうか」があるような気がする。

「いいなあ、うらやましいなあ」と思われて、自分が相対した人間の劣等感をくすぐるような存在になりたいと思っている。

自分にはないものを持っていると言われれば気持ちが良いだろうなと思う。

それが完全に悪いことだとは思わないし、善悪の区別をつける必要もないと思うけれど、ただ、そういう感情がある。そういう感情が強くなる瞬間がある。そして、そのときの自分はちょっと嫌なヤツだと思う。

そもそも別に自分のことを100%良いヤツだなんて思っていないので、自分のちょっと嫌な面が見えたところで大した問題ではないんだけど、こうして記事にするのはちょっと躊躇するような面ではある。

もちろん、100%完全にそういう嫌な奴の思考で動いているという訳ではありません。

自分が持て余しているものがあるとすれば他人のために使いたいと思うことはあるし、むしろそっちの方が感情に占める割合としてはメインで、究極的な話をすれば、自分が持っているものを誰かに分け与えるためにどうすれば良いかをこのブログでは考えている、というのは決して嘘ではありません。

本質的には自分は良いヤツと言って良いのではないかと普段は思っています。

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マイナーでローカルな小説に価値を生み出すまちづくりのビジョン

ついでなので余談として僕の具体的な野心を少しお伝えさせてもらうとすれば、まず、僕は小説でお金が稼げるようになりたい。

20歳くらいのときから小説を書くようになって、そのときから小説家になりたいと思ってはいたはずなのだけど、小説家になりたいなんて非現実的なことを真剣に考えるのも恥ずかしく思っていたから、小説家になりたいのだと気付かないようにしばらく生きていたように思います。何も書いていない時期が何年もありました。

ところが時間が経って、ネット上で自分が書いた小説を見せる場所がたくさんあること、電子書籍はとても低いコストで出版することが可能なことなどが目に付くようになり、小説というモノの生きる場所や行く道が増えているのだと知るようになりました。

これは単純に嬉しいことでした。小説の価値も多様化しつつあるのだと思ったし、一昔前であれば世に出ることがなかった傑作を目にする機会が与えられたということでもある。

もちろん、自分が小説を書く上で目指すべきは何が何でも文学賞を取るというだけではなくて、ネット上で公開するとか、電子書籍を自分で出版するという方法も十分に立派な道だと思えるようになったということもある。

うまく言えないけど、商業的な意味で市場に出す価値があるかどうかとはまたちょっと違った基準で、小説が作られることになる。

スーパーに売ってる野菜は色形味どれをとっても素晴らしいけれど、自分で作った野菜やおすそ分けしてもらった野菜も美味しくて、そういう価値が価値として認められ、生きる糧になりえるという嬉しさ。

メジャーとマイナーの区別だけではなく、グローバルとローカルの区別が小説でなされるようになると思いました。

グローバルと言えばちょっと「ん?」と思う方もいるかもしれませんが、現在プロの世界でトップにいるような作家はすでに世界的な視野を持って文学界にその価値を寄与していると思うのです。

そしてこれは同時に日本という国の単位でのローカルな文化価値を認められるということであり、グローバルとローカルの意味合いは入れ子構造になっている。メジャーとマイナーの区別も同様。

よく分からないかもしれないですね。僕も雰囲気で書いてる。

ローカルでマイナーに振り切ったままの小説の存在を知ってもらう方法

さて、余談と言いつつ僕の野心の公開が本題になりそうなんだけど、仮に縦軸にメジャーとマイナー、横軸にグローバルとローカルを置いた座標を作るとしたら、作られる小説のバリエーションは多岐に渡るだろうと思う。

そして将来的に(もうすでにそうなってるかもだけど)そのどの座標に位置したとしても、小説には社会的な価値が与えられるようになる。

つまり、小説家が増える。

一昔前まで切り捨てられていたローカルでマイナーな領域で書かれた小説が、そのままの位置にいながら、価値を生む可能性がある時代が今だと思う。

しかし、考えるに、座標のどの位置にいるとしても、どこかに振り切れる必要というのはあると思います。

つまり、マイナーでローカルな作品は、マイナーでローカルな作品として振り切れているからこそ価値があるという感じ。

でも、マイナーでローカルな作品は人目に触れないはずです。だからマイナーでローカルなわけだし。それじゃダメじゃないか。これまでと変わらないじゃないか。

この価値を振り切れたものにするためにはどうすれば良いだろうと考えたとき、僕は、「そこでしか読めない小説」があれば良いのではないかと思うようになりました。

オリジナル図書館に興味を持ってもらえるように頑張る

「そこに行かなきゃ読めない作品」、「そこで読むから価値がある作品」

そういうものが集まる場所を作ったらどうだろう。ここでしか読めない作品、ここで生まれる作品ができる町。

現在でも例えばある小説投稿サイトに集まる作品はローカルな雰囲気が漂っていると思う。だけど僕が作りたいのはもっとアナログな、アクセスが困難なローカルさであって、野暮ったさです。

これが、今最もカチッとした僕の「まちづくり」のビジョンであって、このブログはそこを目指す過程で考えるいろいろを残すログであります。

具体的に何をしているかというと、「完全オリジナルの図書館」を作る。

ぼくの町、我が家の近所に「旧佐藤医院」という、元病院で、和洋折衷建築で、ちょっと不気味で、昭和モダンな雰囲気を持つコミュニティスペースがあるのですが、そこの二階物置をオリジナル作品が陳列されている図書館にする。

ひっそり人の目に触れないように作られる図書館がある。

このこと自体はこうして人に伝えるけれど、その中にある作品はそこでしか読めない。

つまりそういう場所があるという部分においてある程度人の目に触れることができれば、マイナーでローカルでありながら誰かに認知されるという立場の本を作ることができる。

そこに小さなマーケットを作ることができれば、作品を作る人の生きる糧になる可能性もある。

もちろん、そういう本に興味を持ってもらうためにはそこに並んでいる作品のクオリティが保証されているとか、期待できるものだと思ってもらうものがあります。

きちんと、「メジャーでは読めない良い小説作品が作られる町がある」ということを知ってもらう必要があります。

そのための手段の一つとして、僕自身がなんらかの場所で小説家として認知される必要があると思っていて、そのために今、ネット上に公開する作品、文学賞に応募する作品、図書館に置く用の作品作りをしています。書くべきものが多すぎるけど、どこかで何かになる日を信じて書いています。

文芸の合宿地として知られたい

図書館作りと同時に僕がやりたいのが、文芸を志す人による合宿です。

昨年譲っていただいた空き家で、現在僕と奥さんが住んでいる家を、民泊新法を利用してゲストが来られるような場所にしたいと考えています(民泊新法の施行が必須なので現在は待ちの状況なのがもどかしい)。

そこでは、小説について話し合ったり、お互いに校正のようなものをし合ったり、アイディアを深めたりする時間を過ごすことができる。

さっき言ったメジャーマイナーとグローバルローカルの座標において、自分がどこを目指すのかみたいな相談もできたら良いなと思う。

ローカルを極めるなら僕の図書館作りを手伝ってもらいたいし(お礼として宿泊費が格安になるとかそういう風にできたら良い)、メジャーを目指すなら一緒に執筆ペースを決めてマネージャーみたいなことをしたり、文学賞応募の締め切り前に食事買ってきたりコーヒー淹れたりして追い込みをサポートしたりできたらと思う。

人によってはまず読む量が圧倒的に足りないなら一緒に読書マラソンをしたり、書く体力が足りないなら普通にマラソンをしたりするのも面白いと思う。

とにかく、誰かが自分のなりたい作家像に合わせてスケジュールを作り、画一的じゃなくてオリジナルの体験ができる合宿をする場所を提供できるようになれば町として面白いんじゃないか(この関わり自体がそれぞれの人生の記憶に残るものであれば、創作の糧になるようなものならなお良いですね)。

なにより、創作という孤独な作業を分かち合えるのが嬉しいし、僕の勉強にもなるし、お互いにとって良いことだと思う。

僕が住む士別市はそもそも「合宿の里」として有名であり、スポーツ選手がよく来てくれます。

市内から少し離れた、僕が住む朝日町は特にスキーが盛んで、スキー場、クロカンコース、ジャンプ台まであって、スキーヤーなどのスポーツ選手はよく来てくれるのですが、ここにもっとインドアな分野における合宿があれば、もっと市として、町として、奥行が出るのではないかと思う。

イメージとしては田舎の静かな環境で寝泊まりし、それぞれが旧佐藤医院で集中して執筆する。引きこもって創作に打ち込むこともできるし、誰かと話したり、外で運動したりもできる環境を作る。

欲を言えば、ちょっとバイトでもしながら執筆活動ができるような町になれば良いとも思う。

そういう場所として認知され、町として面白いと思ってもらえれば、僕が作らんとする図書館への注目も集まり、ここでどんなことしてるのだろう?という興味も湧くのではないか。

そこに、合宿の様子自体はこうしてネット上で情報公開されるけれども、書かれる作品については外に出ない町外秘としての情報として守る。

うらやましい場所を作り、うらやましい人になる?

この話を書くといつも長くなってしまうのだけど、簡単にまとめると、小説家として生きられる人を増やす手段がまちづくりであり、まちづくりの手段が小説家として生きる人が来たくなるような場所を作ることなのです。

さて、冒頭で触れた「うらやましいと思われたい」とか「人の嫉妬を煽るような存在になりたい」云々の話ですが、これまで話したように、僕は持っているものを人に与えたいという気持ちがあって、幸いなことに、僕ら夫婦+3人くらいであればおそらくストレスなく寝泊まりできる家があって、旧佐藤医院という自由に使える素敵な建築あり、文芸を志す人の役に立ちたいという情熱がある。

こういう環境に足を踏み入れる人が傍から見てうらやましいと思われるような場所を作りたいと思う。

一方で、最初の方に書いた通り僕自身が小説で稼げる小説家になりたいという意思もあって、そういう点で人の嫉妬を煽る人になりたいとも思っている。

誰かと一緒に創作活動をする環境を作りたいけれど、その中で僕が秀でた存在になりたいと思うし、その環境の管理人になることで、僕は自分で作った文芸を通じた仕事だけで生きていけるようになるかもしれない。

つまりどっぷりこの町の自分で作った文芸的な環境に浸かることができて、小説の面白いところをたっぷり見ることができるようになる。

そうなったらそういう立場をこそ羨ましいと思う人が現れるかもしれない。そして心の底で僕はそれを目指している。

そういう自分の欲求のために僕は他人を利用しようとしてるのではないかという気持ちになることもある。

一方で、やっぱり純粋に他人のため、「小説で生きるなんて無理」と考えて欲求を封印したかつての僕のような人が希望を見出せる場所を作って、全力で「小説で生きる」を実現する手助けができたらとも思う。

んーでもこれってかつての自分のためであって、純粋に他人のためと言えるのだろうか?とも考える。

この複雑な感情の正体は、たぶん今考えていることを一つずつ実現して、目の当りにしなければ分からない部分だと思うし、この感情は何なんだろうか?キレイなものなのだろうか?なんて、それこそ小説のために考えれば良いことだと思う。

文芸を志す人にうらやましいと思われる場所を作りたい(完)

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