自分で見つけることの大切さ/大事なものは見つかるまで探したい

自分で見つけるって大事だ。

たとえそこに辿り着くまでの道のりが周到に用意されたものであっても、少なくとも自分で選んだのだという意識が保てることは大事だと思います。

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これは自分で選んだ!って思えるライン
まずは見つける難易度

ではその、自分で見つけたという意識が保てるラインってどこなんだろう。

僕が思うに、ポイントは二つ。

・見つけるまでに、ある程度の難易度があること
・見つけるまでに、自分の感性を発揮できること

まず難易度の話し。

例えば、その人はお友達と飲みに行くことが多いし、一人で食事をするのも好き。いつもいつも良いお店を探そうとしている。よってよく食べ歩きもするし、雑誌の特集やネット上の口コミにも日ごろから目を通している。

そこで次の二つのようなパターンがあったらどうでしょう。

①ネットで検索して評判の良いお店に行ってみたら評判通りほんとに良い店だった。

②何となく立ち寄った店がすごく良い店だった。

①と②では違う店だったとしましょう。

この二つのお店が自分の頭の中にインプットされているとして、知り合いにどこか良いお店しらない?なんて聞かれたとしたら、とっさに①の方を教えると思いませんか?

僕なら②の方は本当におすすめのお店を教えたいと思える人にしか教えないと思う。

なぜ②の方を出し惜しんでしまうのかというと、自分で見つけたという意識が強いからです。

②は自分の中の、文字通りとっておきのお店であって、別にそれほど仲の良い訳でもない知り合いに簡単に教えるようなものではない。どこか良いお店に連れてってくれと言うならまだしもね。

この例から分かる、「自分で見つけたという意識が保てるライン」は、まず難易度にあると思います。

どこか良いお店を探すにしても、ネットで探すのと自分の足で歩いて見つけ出したときの労力は全然違います。

何店舗めに訪れたお店が良いお店だったかは分かりませんが、自分で実際に食べ歩いている人にとってはそこに辿り着くまでの道のりが蓄積されていますから、出会ったときの喜びはその分上乗せされるでしょう。

一方、ネットで検索したお店はたどり着くまでが簡単だし、期待通りの良いお店だったとしても感動は少ない。まあ書いてあった通りだな、と。

だからこそ、②は自分で見つけたという意識が強くなります。

そして自分で見つけたという意識があるものはとっておきになり、出し惜しみされるものになる。

自分の感性に従って選んだかってライン

次に感性の話しです。

お店の例のままでも良いのですが、次はお部屋探しにします。

お部屋探しをするときは、不動産屋さんに行って、自分が探しているお部屋の条件を伝え、お店側はそれを踏まえ、好条件のものをおすすめしてくれますよね。

普通、じゃあここなんか良いと思いますよ、なんてお店の人に言われて、じゃあそこで、とはなりませんよね?

お店側がどれだけ勧めてたって、じゃあそこで、って即決されたら、え見に行かないんですかってなるでしょう。

よっぽど急いでいるなら別だけど、条件に合っていればオーケーという訳ではない。

普通、お部屋って自分の目で確かめに行って決めるものです。
もちろん、言葉に尽くせない条件があるからでしょう。

わざわざ言わなかったけど近くにローソンがないと嫌とか、壁の色とか床材とか、窓の形とか色々、言うに尽くせない好みやこだわりがあるものです。

考えてみればお部屋探しに限らず、あらゆるところでこういった言うに尽くせない好みや条件ってあるものですよね。

晩御飯を食べるためのお店ならせいぜい2時間の付き合いに対し、お部屋って普通年単位の付き合いですから、おすすめだからそこっていう発想にはなりません。

思い入れに違いはあるかもしれないけど、普通この二つを比べれば大事なのは部屋探しの方です。

ということは、大事なものは自分の目で確かめ、自分の足で訪れなければ分からないということはみんな分かっている訳で、探すものの大切さに応じてそれを探すのにかける労力も調節しているのだと思います。

そしてお部屋探しはお店側にとってでさえ見に行くのが普通。ということは、大切なものである程、自分の感性を十分に満足させられるものでなきゃ嫌なものだし、その気持ちは皆一緒だと言うことでしょう。

じゃあ仕事や住む場所はどうやって選ぶ?

見つけるまでにある程度の苦労をして、かつ自分の感性にぴったりのものって大切です。

晩御飯を食べるだけのお店もそうですし、しばらく住むことになるお部屋もそう。

じゃあそれよりもっと大切であるはずのお仕事とか住む場所はどうでしょう。

就職活動なんかまさにお仕事を探す活動だけど、良いお店を探したり、自分のお部屋を探すようには探しませんよね。

そりゃ苦労はするけど、探すというよりも探してもらうというか、自分で選ぶというよりも選んでいただくという感じです。

それはそういうもんだからいいのでしょうか。

いやいや、大事なもの程苦労して探さなきゃいけないし、自分の感性に従って見つけられなければいけないでしょう。

働く方が給料とかやりがいとかそれこそ社内の雰囲気、立地、習慣やルールを見て、お気に入りの職場を見つけられた方が良いでしょう。

何甘いこと言ってんのって感じかもしれません。

仕事は選ばなければあるとか、このご時世働けるだけありがたいとか、仕事もできないのに選べる分際じゃないとか色々ごもっともな話はあると思います。

だけど、そういうわがままがまかり通らないから優秀な人は海外行っちゃうって話でしょう。

仕事を見つける難易度はめっちゃくちゃに高いけど、感性は押しつぶさなければならないって言うのは、超見つけにくいところにあるそれなりに雰囲気のあるお店にふらふらと入ったらめっちゃ料理まずかったというのと一緒では?踏んだり蹴ったりだって感じです。

誰も来られないような奥地にあって、条件は超悪いのに汚くて家賃高い部屋と一緒では?誰が好き好んでそんなとこにいますか。

それでも食べれるだけありがたいですか?
住む場所があるだけマシですか?

これから日本がそんな時代になったらそうとう末期だと思います。

仕事に関しては働けるだけマシだし選ばなければあるから良しとする、そういうもんだって思っている人が多いというのであれば、つまり、仕事に関しては退廃に向かっているということにはなりませんか?

住む場所はオプション程度の扱いになってませんか

じゃあ住む場所は?

仕事に合わせて住む場所も決まったりしますよね。

だけど肝心の仕事は自分の感性では選べない状況。つまり付随して、住む場所もあまり選べない状況。

幸い多くの地域は住めば都で、住んでいればそれなりに気に入るからまだ良いでしょう。

だけど、部屋はまだしも、住む地域を自分の感性で選ぶなんてことは多くの場合出来ないしやらない。大事なことなんだから、できても良いと思いますけど。

住む場所は部屋探しの延長みたいな感じで感覚はまだ分かると思うけど、仕事探しだって自分が納得できるまで自分の足と感性で探せるようになる時代が来ると良いと思いますし来てると思います。

探して探して、日本じゃ無理だって話になって、仕事したいって心から思っている人程海外に行っちゃうなんてすごい損失だと思います。

だって自分の感性に従って、自分の足で見つけた仕事なら、誰もないがしろにしないし、大事にして、よく考えてくれるからです。

そんな人がする仕事の方が面白いし発展するのは当たり前です。

それは地域にも言えることです。

もしその地域が、自分の足で探して、自分で選んだ場所なのだとしたら、きっとその人は自分の住む地域を大事にしてくれるし、そんな人たちが住む場所は発展していくに違いありません。

誰かの感性を満たせる町に!

だからこそ、このブログでは遠回りでも朝日町が誰かのとっておきの町になれるように考えて行きたいと考えています。

調べれば簡単に出てくる情報としてではなく、結局行ってみなきゃ分かんない、でも興味深いって思ってもらえるような部分を大事にして、そういう風に感じてくれる人を受け入れられるようにしなければいけないと思います。

また、どこかの誰かの感性にぴったりはまるようなお仕事を探して待っていたいと思います。

住む地域があって、お仕事があって、部屋があって、お店がある。

人生の重要度で言ったらこんな順番になるのではないでしょうか。

僕はそう思うから、一番自分の力で探すということが難しいお仕事について考え、それで魅力的な町をイメージしてかつ住んでも満足だと思ってもらいたいのです。

そういう人が増えれば、この町の未来は明るいから。

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