あってもなくても構わない人生の小説的な面白さについて

世にある仕事は、もうほとんどがあってもなくても別に構わないものだと思う。

文明が進むにつれて、僕たちの命を繋ぐための仕事よりも、僕らの暮らしをもっともっとより良くするための仕事が増えていく。

まあなくても困らないちゃ困らないけど、あるとちょっと良いよねという「贅沢品としての職業」の方が、圧倒的に多くなっている。

あなたの仕事もそうだと言われればたいてい不快だろうし、どの職業も無駄と思っているわけではないけれど、自分の職業も含め、冷静に考えて僕らの文明には「別になくても構わないもの」は増え続けているのではないだろうか。

その贅沢感が自然な文明の発展の仕方なのかもしれないけれど、そんな飽食ならぬ飽職の時代でなおもあくせくと働かなければならない僕らは一体どんな風に自分がやっていることの必要性とか、人生の意義とか、そういうものを作り出せば良いんだろう、と思う。

というより、多分ぼくが言いたいのは、この時代に生きる僕らの人生は「あってもなくても構わない」という前提がはっきり目の前に突き付けられているからこそ、「僕らは一体どんな風に自分がやっていることの必要性とか、人生の意義とか、そういうものを作り出せば良いんだろう」というテーマを抱えていて、望むと望まぬとに関わらず創造的で装飾的にならざるを得ないんじゃないかなということ。

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創造的になっていく仕事

ちょっと言い方を変えると、働くことはこんな風に変化したと思います。

仕事というのは生きる上で容赦なく襲い掛かってくるトラブルを解決するためのものだったけれど、時代が進むにつれて仕事はトラブルを生み出す、もしくは見つけ出すこと自体がメインになった。

そして掘り返され作り出されたトラブルも言われてみれば割と切実というものもあれば、もはや人によってはトラブルとは言えない領域のものへと変わっていく。

トラブルの質がどんどん公から個へと降りていくイメージなんだけど、個のレベルにまで降りてきたトラブルというのは端的に欲望のことだと思う(自分のものにしたい、私が食べたい、私が見たい、私が知りたい)。

例を出さない感覚的な話ですが何となく分かってもらえると仮定して駆け足気味に話しを進めるんだけど、こんなことを考えているとある日、「ああ、なんか今の仕事って、小説を書くみたいなもんだな」って思いました。

だって小説ってまるまんまトラブルのでっちあげ作業です。言うなれば人間の欲望をでっちあげる作業でもあると思う。

作者が作者の意向で欲望を持った誰かを生み出し、欲望を持っているが故のトラブルをでっちあげて、そのトラブルを解決する。本来なかったトラブルをわざわざ作り出して、解決して楽しむ。それがざっくり小説だと思う。

こんなにあってもなくても良いものって無いと思うけど、僕らの仕事もだんだんそうなってきていると思う。つまり創作めいてきていると思うし、ヒマつぶしの手遊びみたいなものへと変わってきていると思う。もしくはファッション的なものへ。

まるごと小説を書くみたいな人生

仕事の性質があってもなくても構わないけど、あったらちょっと良いもので、トラブルを勝手に作って勝手に解決する小説みたいなものだとしたら、「僕らの人生も丸ごと小説みたいだな」と思う。

基本的にあってもなくても構わなくて、別にやらなくても良いことをやる贅沢品としての人生。欲望や表現自体が目的のファッションとしての人生。

勝手にトラブって(欲しがって)、勝手に解決して(手に入れて)、勝手に満足して生きていく。

誰かのための献身や犠牲という公の意識は薄くなり、例え誰かのためと口では言っていても「私が救いたい」「私が与えたい」という風に個の欲望の存在感が増していく。

丸ごとマッチポンプみたいな人生を僕らは生きている。

本当に文字通り自分の人生の主人公は自分だっていう時代で、じゃあいかにこの物語を充実させようか、この小さな世界で自分はどんなヒーローになって、どんなものと戦おうか、どんなものを救おうかってまるで自作のゲームをプレイするように生きる。

この僕の一連の言い方がこの時代の生き方に対する不満に聞こえたり、危機感の表出だと思われたとしたらちょっと誤解です。

僕はこんな創造的な人生を生きられるのが心底楽しいと思う。

もっともっと自己完結的な、贅沢品としての人生を楽しみたいとすら思う。

俺の人生が面白くないわけがない!

全然注目されない小さなコミュニティで誰も知らない冒険をしよう

っていう記事を昔書いたけれど、良くも悪くも僕らの人生が作り出す物語はとても個人的でオリジナリティに溢れたものになっていくと思います。

「あってもなくても構わない人生だ」と言えば多くの人はなんか嫌な気持ちになるかもしれない。

でも僕は自分の人生があってもなくても構わない贅沢品だと言われた方がなんか気持ち良いです。なんかフラットで良い。みんなかけがえのない命って言われた方がなんか困る。どんな人生も無駄じゃないと言われてもちょっと苦笑いになっちゃう。

あってもなくても構わないものだからこそ、でもあったらちょっと良いよねって人生にしたいとみんな思うし、なくても全然かまわないしなきゃ無いでなんとでもなるんだけど、あった方が良いよねって命でありたいと思うからみんな成長や向上を愛してるんじゃなかろうか。

本当にもともとこの人生や命に価値があるのなら、僕は一切の努力を放棄します。

でも実際、どうすれば「無くても誰も困らないけどあるに越したことはない命」になるかなんて分からないまま必要そうな努力をしている。

「なくても構わないけどあったらちょっと良い人生」を過ごすにはどうすれば良いかなんて分からないまま人のことや自分のことを考えたりする。

とは言え他人に賞賛や承認を求めれば僕は自分を見失うし、他人に誹謗中傷を受ければ僕の人生は簡単に無価値以下になってしまう。

他人に自分の価値を委ねるのは危険だと思う。

だからみんな自分の人生は自分で作り出して、自分で自分なりの意味を与えながら納得するしかないのだと感じる。

そして今はそんな自分本位が許される時代なのだと思うし、その意味のないものに自分なりの意味を見出す行為によって生み出されるものを、僕らは物語と呼ぶのでしょう。

こんなに創造的で、まるで小説を書くような人生が、趣味で小説を書くような僕みたいな人間にとって面白くないわけがない、という話でした。

あってもなくても構わない人生の小説的な面白さについて(完)

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