消費者の役に立つより創作者の役に立ちたい

空き家を譲っていただきました

で少しだけ紹介した空き家の活用方法についてつらつらと考えているうち、僕が日ごろ強く強く思っていることを一言で伝えるとすれば「消費者の役に立つより創作者の役に立ちたい」ということなんじゃないか、と思いました。

これがどういうことなのか、あんまり伝えられる自信がないけど、考えながらメモ的に書いていこうと思います。

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消費者的な自分と創作者的な自分

ここで言う消費者とは何で、創作者とは何なのか。

多分そんなに説明する必要のないことだと思うけど、まず消費者って言うのは文字通り消費する人のことです。

お金を払った分だけ何かを得る。対価を先に差し出すことで、得られる価値を受け取る権利を持つ。

消費者思考を持つ人と創作者思考を持つ人がいるのではなく、僕らは誰でも、「消費者的な自分」と、「創作者的な自分」を持っているはずです。

例えば旅行に行くとき、僕らはどちらかと言うと消費者的な自分を表に出すと思う。

各種チケット代は払った、行く場所も決めた、食べるものも決めた。あとは現地で必要なお金を払えば、期待通りのものを得られて、消費者的な自分は満足する。

では、その旅行のために新しいカメラを買うときの自分はどうでしょう。比較的、このときの僕らは創作者的だと思う。

何故なら、良いカメラを買ったからと言って良い写真が撮れるとは限らないし、カメラの価値の分だけ写真の価値があがる訳でもない、ということを僕らは知っているから。

僕らが「今度旅行行くし、ちょっと良いカメラでも買おうかな」って考えるときは、そのカメラで良いものを撮ってやろう、プロみたいな写真を撮ろうって意気込んだりするんじゃないか。ただ記録しようと思うよりはちょっと高めの意識でいるんじゃないか。

単純にお金と引き換えにした価値を受け取るのではなく、この道具を使って、自分で価値を作ろうと考える。それが価値あるものになるかどうかは自分にかかっているという納得がある。

創作者の刺激になるような町になれば

この、消費者と創作者を比べたとき、今ある空き家をどちらのタイプの人に使ってもらえるようにしたいかと自分に問えば、僕は「創作者であるあなたの方に使って欲しい」と強く考えるのです。

その考えはまるごとこのブログのテーマであり、僕が「まちづくり」を考える上でのテーマでもあります。

ブログの一言紹介フレーズみたいなの書くところに「物語が生まれるノートのような町を作るにはどうしたらよいか」風のことを書いてたのですが(今分かりにくいから止めたけど)、その真意のようなものをかみ砕いて言えば「創作者心を刺激する町を作るにはどうしたら良いかな」という意味。

例えば本屋さんで小説や漫画を買おうとするとき、僕らは消費者的な欲求を満たすことを考える。だけどノートや原稿用紙を買おうとするとき、多分僕らは自分の創作者的な欲求を持ってそれを見つめるでしょう。何書こう(描こう)かな、何書けるかなっていう、作りたい心が刺激される。

そんな町になれば良い。だからせっかくの空き家も、そんな町で使える装置になれば良い。

カメラでもスケッチブックでも3Dプリンタでも良いんだけど、中でも「ノートのような町」と書いたのは、僕自身がノートを前にすると「何か文字を書きたい」という創作者的な自分が表れてくることに気づいているからです。

だからこれは完全に好みの問題なんだけど、この町が、大きく文芸に関する創作活動をする上で、創作者の刺激になるような町になれば良いなと考えていて、空き家もそのために活用できないかなと思っている。

例えばこんな人たちに空き家を使ってもらえないか

色々な創作者がいると思うけど、そういう人たちが使える空き家になれば良いなと考えています。何度も言うようだけど。

どちらかと言えば内向的な性質の、例えば高校や大学の演劇部・サークルの合宿所として利用してもらったり、小説家や脚本家を目指している人が筆力や読解力の向上に励むための合宿所にしてもらったり、写真部とか写真家の撮影旅行の拠点にしてもらったりしたら面白いんじゃないかなと今は考えています。

ただ漠然と色々な人が来る場所というんじゃなくて、「詩心」みたいなものを持つ人が使うゲストハウス(合宿所)っていうイメージが根底にあれば、なんか場所として感じ良いなって。

「文芸的な何かを創作するという共通属性を持った人が集まる場所」という設定を場所に付加することができれば、そんな創作意欲を強く持つ人が集まる場所になって、優れた作品が生まれる装置になりえる。

え、いやそれは良いけどわざわざそれお前んとこに行く必要あるの?って思うでしょう。僕も思う。

だって創作者の心を刺激するのはやっぱり「それなりのモノ」じゃなきゃいけないから。

チラシの裏よりは原稿用紙の方がその気になるし、インスタントカメラよりは一眼レフカメラの方がその気になる。ただのプリンターじゃなくて3Dプリンターだから、私も何か作りたい!とかって思う。良い道具を前にするから、創作意欲が湧いてくるってのはあるでしょう。

「これなら良いものが作れるんじゃないか?」っていう予感がなければ、それを使おうとは思いませんよね。

町がある、何ができる?創造性を引き出す装置について

文脈やデザインの力で、装置としての魅力を高める必要がある

そこのところが考えどころです。

仮にこれが言ってるだけでうまく行くのなら、どの地域でも同じことすれば良いってことになりますけどそうじゃなさそうだし、やるにしてももっと便利で普通に色々な人が行き交う刺激的な土地の方が良いに決まってますもんね。

だから僕の周辺をノートじゃなくて原稿用紙に、ボールペンじゃなくて万年筆にするにはどうしたら良いか?ってごりごり考える必要があります。「ああ確かにこれなら良いものが出来そうだ…」「私でも何か作れちゃいそうだ…」という予感を感じさせる何か。わざわざここに人が来てくれる何か。

それが文脈であったり、デザインであったりの力なのだと思います。

んー具体的に言えば、例えば僕は今、自分で書いた小説を自分で製本して自分の図書館を作るってことをやってます。(まあ同人詩ですよね)

旧佐藤医院の一角に置くんだ。

はしご型の本棚に、自分で作った自分好みの本(自分で書くんだから当たり前)を置いてニヤニヤする。図書館なので読みたい人は勝手に読んで良いし、返してくれたら持って行っても良い。まあ最悪無くなってもいい。

こういう愚にもつかないことをコツコツとやって文脈を持っていれば、本を作るっていう作業を例えば僕なんかと一緒にやる意味もあるでしょう(同人活動だよね)。これは僕にとって単純に創作活動でありながら、文脈作りでもある。

その一環というか派生で、僕は誰かが書いたものをじっくり読んで感想を言ったり誤字を指摘するマネージャーになったり、そもそも書くための体力づくりがしたいという人のトレーナーみたいなことをしたり、書くのが遅い悩みを持つ人に「何が何でも一日一万字書け!」みたいなコーチになったり、その人その人に合ったサポートをする仕事とか、楽しそうだなって思う。

眠れない夜にひたすら話を聞いたり、コーヒー運んだり、細かく細かく、お金を取らない部分で人と関わって、その人が納得行く何かが得られる手伝いがしたい。

一貫した個性がデザインになる?

それでも依然として、その同人活動をだからなんでお前んとこでやらないといかんのってのはあるでしょう。僕も思う。

そこで言いたいのは、何にしたってある程度僕らの行動は場所やイメージに依存すると思う、ということ。

例えば、小説の投稿サイトとかもいっぱいあるけど、「小説家になろう」にはなんとなくそれらしい作品が集まるし、「作家でごはん!」にはそれらしい作品が集まるし、「破滅派」にはそれらしい作品が集まる。あらゆる作品を募集してるって言っても、傾向ってのは自然にできるみたい。

僕らは何をするにしても、ほぼ無意識のうちに自分の個性と親和性のある場所を選んで、そこに相応しいものを作ったり、そこに相応しい行動をするんだと思う。

その、人の動きを規定する場所(プラットフォーム)の個性って言うのは自然に培われていくものでもあるし、作られたときにある程度設定(デザイン)されるものでもあるんじゃないか。

だから僕は自分の周辺とか空き家とかを個性のあるプラットフォームにするために、自分の嗜好とか癖とか傾向と言った個性をこうしてブログ上で表現し続けなければいけないと思うし、こうしてブログで発信し続けていれば、他ならぬこの個性に同調してくれる人も現れるのではないかと期待している。

その土台となるためにも、ただコツコツひっそりと同人活動をするのではなく、できるだけその過程を晒して、オープンな状態にすることが重要だと思う。感覚の話でしかないし、社会的な良し悪しは分からないけど、一貫性は一つの個性になるはず。

その他、写真部が合宿に来るならこんな風に町を使って欲しい、演劇サークルが合宿に来るならこういう風に使って欲しいっていう思惑がなんとなくあって、基本的には作る環境と見せる環境を変えて、手ごたえのある感じ、ただ自己満足だけじゃない、この町なりのマーケット感と公共感の中で創作者が成長していけるような場所づくりができたらなと思います。

抽象的すぎて訳わかんないですよね。追々、現実的になった順に整理していきます。

机上での創作に加え、まちづくりという創作活動も

極端なことを言えば、消費者は「それ」を使うだけです。

創作者は「それ」を使ってどうしようか?って考える。

そういう人がいなければプラットフォームとしての場の発展は在り得ず、そういう人がいるからこそ、その場所(プラットフォーム)はアップグレードを繰り返し、洗練されていく。

消費者よりも創作者の役に立ちたいというのは、僕自身が創作者的なときの自分を心地よく思っているということと、ここまでに書いた理由から、創作者が関わった場所の価値は高まっていくだろうと打算的に考えているからです。

僕だけでは限界がすぐに来るから、誰かに自分を高めながら、自分が作りたいものを作りながら、場所の価値を上げるっていう自分の身体を越えた創作活動をしてみたい人がいたら手伝って欲しいなって思ってる。

机上での創作活動をしながら、まちづくりという文脈の創作活動も併せてする。

「創作」にも「まちづくり」にも関心がある人がもしいましたら、動向を見守ってくれたらなと思っております。

しつこいようだけど消費者より創作者の役に立ちたいと思っています。僕があなたにできることがありそうなら、気軽にメッセージでも頂けたらと思います。

消費者の役に立つより創作者の役に立ちたい(完)

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