まちとコミュニティについて考えるとき、きっとそれは「広がって」「繋がって」いくものが望ましいのだと思います。
確かにそれはそうで、まちという単位のコミュニティがどうなっていけば良いのかをまちづくりの観点から考えれば、多くの人が、内外とゆるく混じり合い、ときに固く結び付き、その土地に根付いた独自の文化と文明が生物のように成長していく姿が理想形なんだろう。
ただ、個人的な好みの話だけど、僕はそれとまったく反対のベクトルを求めてもいるのです。
僕の場合はいつもどこか「フルメンバー感」に憧れる。
フルメンバーっていうのは、誰かがかけてもダメだし、誰かが増えてもダメっていう、一番収まりが良い小さなコミュニティの中にある関係。
こうして文字にすると排他的な思考のようだし、排他的っていかにも良くないことのように感じるけど、きっと誰の中にも存在する感覚だと思います。
だって小さい頃、学校で遊ぶグループだったり、もう少し大人になってサークルの仲間だったり、趣味の集まりだったりそういう色んなところで、自然に誰が欠けてもダメだし、誰が増えてもダメっていうフルメンバー感が作り上げられてきたと思うのです。
もしくはもっと小さく、「家族間の関係」とか、「親友と私の関係」とか、この領域においては、みたいなところで同じような感覚を抱く瞬間はわりと誰にでもあると思います。
「私は代替不可能だ」という感覚はたぶんすごく心地よいもので、誰もが代替可能であるということが歴然としてる(ように見える)現代に生きる多くの人は、僕も含め多分それを求めている。
「この中の誰がかけてもダメだし、誰が多くても収まりが悪かった」という実感のメンバーの中にいたいという感覚。
そんな強い感覚があるんだけど、僕はたぶん何か肝心なことを書けていないどころか考えられていない気がして今すごくモヤモヤしてる。
フルメンバーを探してる(完)
コメント