オーストラリアで引きこもり。旅のノートは小説のプロットでいっぱいだった

自分で考える創作論

ワーホリ中の根無し草だった半年間、ぼくは自分のまちのことをばかり考えていた

ワーホリ中の根無し草だった半年間、ぼくは自分のまちのことをばかり考えていた
「理由があれば人はどこにでも行くんだ」と感じたのは、オーストラリアのある小さな町に降りた夜のことでした。 PM8:00。 閑静なまちで、明かりがあまりない。夜道を歩きながら、ここは田舎だなあと思いました。 ブリズベンという都市からバスで2時...

という記事を書いたのだけど、その当時持ち歩いていたノートをめくってみると、小説のプロットがたくさん書いてありました。

いや旅のこと書けやって思ったけど、多少どこに行ったとか何があったとか書いてあるだけで、ほぼ全ページに渡って書いてあるのは小説のこと、文章のこと、そしてまちのことでした。これらを組み合わせて考えていたようです。

このブログの原型みたいなノートだなあと思って懐かしく見ていたのですが、その中に、「帰ったら10コ作品を仕上げる!」と書いてあって愕然としました。

あれから5年経ってるのに、最後まで書けた長編(10万字前後なので中編?)は5つだけ。半分。

しかも一つは同じテーマの書き直しがあったので実質4作品。

でも、ああそうか…僕が海外に行ったのはこれを求めていたのね…と今更ながら客観的に思ったので、「これ」って何?ということを整理して書こうと思います。

結論を言えば「これ」というのは、「人目を気にせず創作できる環境」です。

そして僕は自分のまちに「これ」を作りたいと考えたのだと思います。

僕が謎に小説を書く人なんかを応援したいと言ってる理由が何となく伝わればと思います。

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オーストラリアで引きこもり

オーストラリアとか言ってるけど僕は全然旅人タイプじゃないんです。そんなタイプがあるのかって話だけど、見聞の欲求というか、「あれ見たい!それ食べたい!これしたい!」っていう感情がやたら乏しいです。

だからオーストラリアにはいたのに、観光地というか有名スポットみたいなところにはほとんど行ってません。

ワーホリ期間の後半はシドニーのニュータウンというまちに住むことにしたんだけど、僕ここ気に入り過ぎて、後半はじーっとしてました。ひたすらバイトと、部屋の中で読書。そしてノートにプロットと書き出しを書く。そのルーティンがとても心地よかったのを覚えています。

ここにたどり着くまではでたらめに電車に乗って色んなまちを歩いたんだけど、今考えたら僕は安心して引きこもれる場所を探してたみたいです。

多分誰かが当時のぼくを見たら、「そんなの日本でもできるじゃん」って言うと思います。

そんで当時のぼくに言わせたら「いやいやできないでしょ」って返すと思います。

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人の目から逃げる逃げる

僕みたいに自意識過剰気味の人間は、人の目をやたら気にします。

日本じゃ創作に打ち込めない理由の大半がこれです。

誰も人のことなんか気にしてないというのが真実なんだろうけど、こんなことしてたらどう思われるかな…こんなこと考えてたら誰かに軽蔑されるんじゃないかなという気持ちでどうしようもなくなる。

就職活動をしなかった僕は、学生時代に勉強していた日本語教育に関わる現場を見たいという微かな意思を持ってオーストラリアに行きました。

でもそれならなんでオーストラリアなん?と自分でも思います。中国に行けば日本語教師の職があるとゼミの教授に言われていたのですから、その気持ちが本物なら迷わずそっちに行くべきです。

でもそうはせずに、過去に一度行ったことがあって親近感のあったオーストラリアを選び、結果的に日本語教育のことなど忘れて放浪し、そして気に入ったまちを見つけて引きこもった僕は結局、勉強してきたことを大義名分にして、海外に逃げたのです。

「人の目」を避けたくて海外に行きました。

自分探しというやつか

「人の目」とはなんでしょう。

いろいろ割り切れず、言われた通りにできず、だからと言って自分が何を求めているかも分からなかった僕は、そんな恥ずかしい僕を人に見られないために、海外に行きました。

言わば自分に対する不信感から、誰も自分のことを知らない海外に行って、仕事見つけて、住む場所見つけて、旅を楽しんで、立派にやってるという自信が持てさえすれば、僕は自分の好きなことを探して良いんじゃないか、自分の道を作って良いんじゃないかと考えられるような気がしていたのです。

これは今考えれば、という話であって、無理に言葉にすればという感じで、当時はほとんど無意識だったけど。

こういうの自分探しって言うんですよねきっと。

でもほら、こういう風に「自分探し」という言葉に含まれるくすぐったさというか、大人から見た微笑ましい視線、もしくは不審げな視線のようなものを浴びるのが、当時の僕はすごく怖かったのです。

実際どう思われるかなんてどうだって良いはずなのだけど、内側に迷いを抱えることで「迷走してると思われるんじゃないかな」って思ってしまうのが怖かった。

だから僕はそういう自分自身の目から逃れるために、ガラッと海外に引きこもりに行くことを望んでいたのだと思います。

ひとりで感動したって仕方ない

オーストラリアでは、実際に色んなことがうまいこと行きました。そりゃ順風満帆ではなかったけど、トータルで見てほんと「うまいこと行った」と言うしかないようなことばかりでした。

自分の実力はどうか分からないけど、「運が良いぞ」みたいな実感はいつもあった。

そうして自信がついた頃から、文章への欲求が高まっていきました。

僕には見聞の欲求が乏しいと言ったけれど、誰かとどこかに行くのは好きです。一人で観光をすることはないけれど、好きな人や信頼している人と一緒ならばわりとどこへ行っても、何もなくても楽しめます。

反対に一人では、美味しいものを食べても、綺麗なものを見ても、「もったいない」と思ってしまう。

誰かと一緒ならもっと素晴らしかっただろうなと思う。

視線を共有できないとき、文章への欲求が高まります。

これを伝えるにはどうすれば良いか、この経験を共有するためにどうすれば良いか。

写真を撮る人、歌を歌う人、絵を描く人、色々いると思いますが、そういうとき僕の場合は文章を使おうと考えるようでした。

小説という形式について

「論理は伝えるのは簡単だけど、感情は伝わらない」

オーストラリアにいたとき、文章のことを考えるとき、強くつよく感じたのはこのことです。

これが美味しかったこと、この景色が素晴らしかったこと。強く感動したこと。それは言えば伝わります。才能が無くても、絶景のすばらしさは写真に撮ればよく分かると思います。

そういう論理・理屈を伝えるのは比較的簡単なんです。

だけど、それを誰かに伝えてもその人が「感動」することはありません。

例えば、仲間内で腹を抱えて笑った話を、あとで誰かにしてみても、その人は同じようには笑えない。「ほんと面白かったんだって、マジでツボだった」と言えば、「面白かったこと」は伝わるかもしれないけれど、だからと言って同じように笑ってくれるわけじゃない。

「論理は伝わるけれど、感情は伝わらない」

鮮度の高い感情を再現するのは難しい。

そう考えると、「すべらない話」をする芸人さんがどれほどプロの芸人なのかが分かります。

「なるほどなるほど、論理を伝える道具として文章は優れているけど、感情の再現ができれば芸になるのだな」と僕は思いました。

感動したことを伝えるのではなく、読んだ人の内側に感情を再現する。

「あーそれが小説という形式なのか、な?」と思ってからは、そういった文章に対する憧れがそれまでよりも募っていくようでした。

海外で得たものは創作意欲

言葉が伝わらない環境、普段身近な人と体験を共有できない環境は、創作意欲に繋がりました。はっきりと小説を書きたいと思うようになっていました。

オーストラリアにまで行ったのにほとんど引きこもって、本ばっかり読んでノートにプロット書いて、何してんだって思われるかもしれないけど、僕にとってはそれが大事な体験でした。

この記事はそれだけの話です。

わざわざ海外に行って「放浪生活で強靭なバイタリティを培った」のでもなく、「英語力を活かせる」わけでもなく、誰も僕のことを知らないひとりぼっちの時間が増えて、創作意欲が湧いたよというお話しです。

むしろバイタリティも英語力も無いです。人より無いくらいです。

でも見知らぬ土地で引きこもって、よく内省するのは本当に良い経験でした。

とは言え海外行くのはちょっと大げさだなという人は、田舎に来たらどうだろうかというのが僕のスタンスです。

そして創作者を歓迎する気持ちが僕にあるから、作家になりきりたい人が編集者から身を隠すように田舎に引きこもりに来たという体でゴリゴリ書く遊びを一緒にしませんか。

そんで、僕は誰かの視点や感情にどっぷりつかりたい。

誤解してほしくないのは、「小説でまちおこしをしよう」とは考えていないということです。

「アートでまちおこし」がしたいのではなく、「小説を書くような人が人目から逃れてどっぷり内省できるような、異空間的まちをつくりたい」のです。

「精神と時の部屋」みたいな。

自分のまちを舞台にした小説を書いてもらうとかじゃなくて、自分の小説を書いて欲しい。書いて欲しいって何様だって話だけど、ずっと書こうと思ってたこと、もう少しで書けそうなこと、再現率がまだ40%くらいのやつ。そういうのを田舎で引きこもって、集中して書いて欲しい。

僕は「役に立つ小説」を望んでいるのではないのです。

小説は実用的じゃないからこそ芸術なのではないですか。

ただ一緒に、でもそれぞれ小説を思いっきり書くという経験を通して、人によっては僕の図書館を作る計画を手伝ってもらって、そういう記憶がポジティブなものとして誰かの心に残ったら良いなと思っているのです。

誰かと一緒に何かを見るというのは、それだけで芸術に勝るのだ。

だって、感動を共有できるなら何万字も使って感情を伝える必要はないと思うから。

オーストラリアで引きこもり。旅のノートは小説のプロットでいっぱいだった(完)

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