どのコミュニティにも「個性的な人」や「変わった人」がいるワケ。

自分が属するコミュニティについて、「個性的な人が多い」と評する話はよく聞きます。

自虐的に「変なヤツばっかなんだよな」と言ってはいるけれどそこが面白いと思っていて、「こんなメンツが揃うことなんかなかなかない」と思ってる。

そんな人がたくさんいる。

この「どこにでもいる個性的な人々」っていう言葉の意味のねじれ方が面白くて不思議で、よくどういうことなんだろうかと考えてたんだけど、今となってはやはり人間関係はカラーでできているのだなと考えることで落ち着いている。

カラフルな人間関係/カラーで見る人間関係

クレヨンとか絵具セットみたいに、5色だろうが12色だろうが36色だろうが、入れ物の中にギュッと詰まってパッと見カラフルであれば、その中の一つひとつは独特で、その色なりの役割を持っていて、欠けてはならないように見える。

しかし「社会」という大きな入れ物に照準を合わせ、少し俯瞰してみてみれば、それぞれの小さなコミュニティ内の個性やユニークさなんてありふれている。

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個性的な人が集まっているコミュニティは、自分が気に入っているコミュニティ

「個性的な面々が集まる」コミュニティにはもう一つ特徴があって、それは、自分の属するコミュニティのメンツは個性的なヤツらばっかりだと言うとき、決まってコミュニティに対する満足度が高いということ。

自分が気に入っている人たちが集まる場所、自分が一緒にいて楽しい場所に対してしか、「個性的」とか「変な奴ら」と言った評価はしないものなのではないかと思います。

誰でもいくつかのコミュニティ(学校のクラス、サークル、部活、バイト、職場、趣味の集まりなどなど)に属したことがあるだろうから思い出してほしいんだけど、いて面白くなかったところの人たちって別に個性的には見えなかったのではないでしょうか。

ありていに言えば有象無象、特に私が仲良くなる必要性を感じないと思う人ばかりだったのではないでしょうか。

さらにこんな経験もあると思うけど、僕たちはほとんどの場合、最初はあまり興味なかったけど、その人たちと付き合っていくうちに「個性豊かなメンツが揃っている」と感じるようになったのではないでしょうか。

単純に時間を経てその人たちの個性を知ったというだけではなく、こちら側が、「それぞれ個性的に見えるようになるような変化があった」のだと思います。

コミュニティのメンツが個性的に見えるようになるとき

その変化というものは、それぞれのカラーとしての役割、つまり個性を知ったというよりも、自分の役割を知ったという側面の方が強いと僕は思う。

そのコミュニティの中で自分のカラーを色濃く表せるようになったからこそ、頭の中で役割分担ができるようになり、自分(たち)のアイデンティティが満たされ、そこにいるのが楽しくなる。

自分の役割を認めることは相手の役割を認めることで、だから自分の居心地の良いコミュニティ(自分の役割がはっきりしているコミュニティ)のメンツはみんな個性的に見えるようになる。

だけど、はじめに書いたように、少し照準を広げて見てみると自分の個性も仲間の個性もごくありふれたものだと分かります。

「変わり者」というポジションに落ち着く人はどこにでもいるし、お調子者だったり、しっかり者だったり、トラブルメーカーだったり、この人がいなければ話が始まらない、まとまらない、収拾がつかない、面白くないって人が絶対にいる。

それぞれがコミュニティの大きさに合わせて、必要なキャラクターが、必要なだけ揃うようになっている。

みんながみんな、そのコミュニティをコーディネートする社会性を持っているからでしょう。

本当に俗に言う個性的な人ばっかりだったら、その集まりはコミュニティとして機能しないと僕は思う。

完成度の高いコミュニティがあるのは素晴らしい

ここまで皮肉めいた言い草になってしまったけれど、悪意は特にありません。

僕の周りのことを考えても、一緒にいて気持ち良い人たちの集まりは個性的に見えるし、変わり者が多いように見えるという実感があって、できればそういう人たち、つまり自分のアイデンティティが満たされるようなコミュニティとだけ付き合ってたいと思っているくらい。

それって大きさはどうであれ全色揃ったクレヨンのセットを見るようなもので単純にうれしいし、世の中がそんなカラフルな、いやフルカラーなコミュニティで満たされれば、俯瞰してみたときもさぞ面白いんだろうなと思うのです。

そのためには、コミュニティは小さくまとまった方が、結果的に構成員の満足度が高まるってことなんじゃないかなとも思う。

欠点があるとすれば、完成したコミュニティは異色を嫌うということ。

個性的な面々が揃っていると言っておきながら、新しいカラーを採り入れることに対して臆病だ、という点です。色がかぶったらどうしようって心理があるのかもしれません。

しかし、本当に完成されたコミュニティであれば、カラーの組み合わせによって違った特色が表れて、それはそれで面白いし、それ自体にデザイン力があるので、仮に異色が混ざってもナチュラルに対応できる臨機応変さがあるものだと思います。

そういうコミュニティに遭遇するのは本当に珍しいことだと思うから、そういった人たちを観察するのはコミュニティ作りを考える上で参考になるんじゃないでしょうか。

「嵐」のメンバーカラーと役割が、完璧な「表現」を生み出している

どのコミュニティにも「個性的な人」や「変わった人」がいるワケ。(完)

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