まず与えることが大事だって言う人がめっちゃ増えたなと思う。
以前お仕事の関係で話をする機会があった人も、まず与えることなんですよって熱めに語ってた。
よく考えたら実際にそんなどこぞの成功者が言いだしたことそのまんまみたいなことを恥ずかしげもなく言う人ってそんなにいないのだけど、またその話かよって気分になった。
くれくれ君には誰も与えようとしない。まず与えて、与えすぎってくらい与えて、そのお返しにちょっと何かあげたいと思うんだ。
まずは惜しげもなく与えること。それが大事。
分かる。分かるんだけど、なんか違和感。
その違和感の正体は単純に、結局得るために与えるんだったら、マインドがくれくれ君じゃん、ってこと。
結局自分が得たいわけだろ?
得たいからこそ先に与えるって単純に手続の問題であって、もしくは名を聞くときはまず自分から、みたいなマナーもしくは精神的なブロックを外すトリックみたいなもんじゃん。
割り切ったギブ&テイク
もっともこれはマインドの清さの話じゃなくて、ただドライに手続として与えるという作業が必要だよって話かもしれない。
もしくは返報性の原理的な、心理学的なアレで、与えられたらお返ししなければ気が済まない心理を利用して、与えたもん勝ちだぜって話かもしれない。
むしろはっきりそう割り切った方がさっぱりしていていいなって思う。
変に善意とか男気とかそういう資質の問題じゃなくて、ビジネスの法則としてまずギブ。みたいな話ならまだ納得する。
いずれにせよ自分に与えられるものはなにかな、自分が世界に提供できるものはなにかな、自分がいることで喜ぶ人は誰かなって考えるきっかけになるから、ギブの精神は持っておいて良いと思う。
自己と他者を巡る欲望のルゥープ!
ああでも僕最近、人に必要とされたい気持ちが強くなりすぎて、うあー誰かに喜ばれたい!誰かを楽しませたい!って思うようになった。
でもその感情を深堀すると、お金が欲しい!って気持ちかもしれない。つまり価値を生みたい!価値になりたい!って思う気持ちはお金が欲しいの言い換えであって、結局僕が得たいのはお金ってことなのかも。
いやでも、お金が欲しいって思うようになったのは結婚して子どもができたってことが大きいし、お金があれば僕の計画している町づくりが加速するな、僕が会いたい人に色々与えられるなって思うからで、つまり他者のため?
いやしかし、そういう物質的な面では他者のためかもしれないけど、自分が得たいのは精神的な充足というか、やっぱり人に価値のある人間だと思われたい承認欲求のためだから、自分のためなんだよな。
こんな風に欲望が自己と他者でループしていて、それが普通なのかもしれないけれど、自分の欲望を見つめれば見つめるほどもやもやもやもやする。
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