自分の壁を越えるってかっこいいけど、僕は段差をタンタンと行きたい派。

僕らには限界があります。

「領分」と言っても良いし、「分際」と言っても良いし、「境界線」と言っても良いかもしれないけれど、世のなかにはあらゆる種類の越えられない壁がある。

その壁はそれぞれ違うし、目に見える訳ではないけれど、僕らにはなぜか自分の壁がはっきりと理解することができます。

さらに言いかえると、それは「タブー」なのだと僕は思う。

一方的に阻まれるのではなく、実は自分から危険地帯認定をしている領域、誘われても行かない場所、足を踏み入れたらダメだと思い込んでる世界。

最近、僕にはそういうところが多く、割り切っているようで実は弱虫なだけなんじゃないかと考えるようになりました。

壁は越えるべきだと言う訳ではありませんが、自分で作り出した壁によって窮屈を感じるときがあるのなら、考え直しても良い部分なのではないか、という話をしようと思います。

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お金を稼ぐ必要がないっていう言い訳が壁に

例えば、僕の場合最近最もよく考えるのが、「お金を稼ぐことについて」です。

こないだ先輩にも話したばっかりなんだけど、「必要以上のお金必要ない」って日頃から考えてる僕は、実は「お金を稼ぐ能力がない自分から目を逸らしてるだけ」なんじゃないか、と思うようになりました。

僕はサラリーマンではありませんから、固定の賃金というものはありません。

働いた分だけお金がもらえるし、働かなかったらその分お金がもらえない。

それを不安定と言う人もいるけれど、心当たりのないお金を貰うことや、どれだけ頑張っても労力を度外視した固定の賃金しか得られない方が精神的な安定を損ねるので、その変のバランスが良い今の働き方は気に入っています。

お金なくても、今月働かなかったもんな~!来月がんばろって思える。

こういう風に言ったら余裕で儲けてるみたいに思う人もいるかもしれないけど、僕はめちゃくちゃ貧乏です。

車?買えない。てか維持できないんじゃないか。

海外旅行?10万20万ポンと飛んでくのはムリ…。

幸い、田舎に住んでいるとお金を使う機会もなく、物欲もあまりなく、海外は1年程度だけど住んでて堪能したからまあ後回しで良いし、車はマイカーではなく家族のだけど必要なときは使わせてもらえるから足の問題はなし。外食しなければ食費なんてそうそうかからないし、野菜は庭にあったりで夏は毎日新鮮なサラダ食べれる。冬もなんだかんだカボチャもらったり白菜もらったりしてるし。

「お金いらない」ってナチュラルに思います。

だけど、こういう風にお金使わないですよアピールをすること自体が、事実にしろ、もう言い訳くさくて堪らないです。

必要以上にお金を稼ぐことを遠ざけているようで、僕を取り囲む精神的な壁で、その向こう側がタブーなのです。

お金に関する自問自答と自分の壁、そしてタブーの発見

自問自答しました。

お金あったら使うだろ?

使う。

お金ないから、お金使わなくても良い理由を探してるんだろ。

うん、でも…

でもじゃない!お前は人並に働いて人並みにお金を稼げない自分を見るのが怖いんだ。だからお金稼ぐ必要ないですよって余裕ぶってるだけなんだ!

え、そこまで言う!? 確かにその通りだと思うけどさ。

言われて痛いってことはタブーなんだよ。

そう、タブーなのです。誰にでもあるはずのタブーで、無理やり割り切って、自分はこうだからって言って足を踏み入れようとしない領域です。

ただし、最初にもちょっと言ったけど、それを打ち破れ!成長し続けろ!と言う考えが至高だとは僕は思いません。

だって、そういう動かしがたいものって自分の軸と呼ぶこともできるし、芯と言っても良いし、その人らしさでもあるから、守れるものなら守っていけば良いとすら思う。物は言い様です。

女性にモテる限界と自己保身、という壁

こんなパターンはどうでしょう。

例えば、「女なんかいらねえ」とか言う人っていると思うけど、それって暗に本気だしたら彼女や結婚相手の一人や二人作れるけどその必要ないから今は本気ださないだけって言ってるように聞こえることもありますよね。

実際本当にいらないときもあると思うけど、自分からわざわざ言う必要はないよね、っていうことは…って言う風に勘ぐられて優しく微笑まれる感じ。

必要以上に遠ざるような言い方をするとき、そういう風に壁を作り上げているのだと思います。

思春期ならそんな感じだけど、ちょっと大きくなるとそう言うのがかえって恥ずかしいし損だって気付くから逆に女おんな言うようになって、「モテねえーモテてえー」って言っちゃう。

そうやって、異性には興味あるけどいかんせん素質とか運の部分に難があるから目的は達成できていませんというアピールができる。

潔いように見えて、実はオープンな状態にしとけば誰かが声かけてくれたりするんじゃないかとかって打算があって、周りの友達とのモテない協定っぽさも出せて、さらにそうやって「モテない自分」を口に出し固定することによって、異性にとって魅力的な自分になる努力を放棄している。

これもタブーだろうし、僕も一男子としてガンガン心当たりある部分です。これも一種の壁。

言わねえでくれ!って部分。軸なんて全然ないだろって部分。

僕らが壁を乗り越えたりする「とき」ってあるんだろう

こういうのがみーんなある。

お金とか異性のことみたいなオーソドックスなのばかりでなく、みんなそれぞれ絶妙なタブーを持っていて、その壁を容易に越えられないでいる。

あるときそんな風に小さく収まる自分に疲れて、ちょっと前向きに、少し惨めな思いをする勇気を出せば乗り越えられることなのかもしれないけれど、そういうタイミングって鳥がたまごから孵るようなもんで、「そのとき」ってのがあるのだろうと僕は思います。

お金の件にしても、ある人に相談したら「今お金が必要ないと思ってるならそれで良いと思うけど、お金を得るチャンスがあったら掴む準備はしておいた方が良いんじゃないか」ってアドバイスをいただきました。

ああ、その感じだと思った。

何となくだけど、みんな壁を越えるタイミングとか殻を破る適切な時期ってのがあって、そういう「とき」が適当な間隔であるのだと思うだけでタブー感は減るんじゃないかと思うのです。

自分で作った壁をちょっとした段差にするためにコツコツ頑張るっていうマイルドな越え方

タブー感が減るって言うのは、今はお金ないし、稼ぐ方法もよく分からないけど、多分そのうち必要になるときもあるし、お金を得るチャンスってもんがあるだろうから、ちゃんと勉強しておこうとか、腕を磨いておこうとか。

今はモテないけど、多分近いうちにすごく好きな人ができて、毎日が後悔の連続になって、そのときになってロクな服一着も持ってないから何にも誘えないとかってことは避けようとか。

で、こう、タブーな領域に対して自分の体が大きくなればもう割らざるを得ないって感じが良いんじゃないか。

いや、もう「限界」の比喩である「壁」とか「殻」とかって単語に「乗り越える」とか「打ち破る」って物騒で大袈裟な複合動詞が付きまとってしまうとこがありますよね。そのせいで実際大したことないのに「限界」に見えてしまって、必要以上に遠ざかってるってあると思う。

「ほら、助走つけなきゃアレでしょ?」って後退りしてそのままみたいな。

そうやって自分で儲けた限界があるのは怖いこととかキツイことも多いと思うから、あらゆることを「ちょっとした段差」くらいに甘く見られるように準備しとけば良いんじゃないかって話です。それが例えばむっつり勉強したりこっそりお洒落を意識したりすることだと思う。

そう考えると、僕は「今タブーと向き合わなければならない!壁を越えなければならない!」みたいな焦りもなくなって、何となく楽で、自然に勉強する意欲とかコツコツ仕事する意欲が出て来た感じがします。

いやいやそれも思い切って壁を打ち破る勇気とかガラリとスタイルを変える自信がないからそれらしいこと言ってるんじゃないの?とかって勘ぐられたれたらそりゃもうグウの音も出ないんだけど、割とコツコツ頑張るのは僕の軸と呼んで良い部分だと思うんですよね。

自分の壁を越えるってかっこいいけど、僕は段差をひょいっと行きたい派。(完)

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