「帰る場所」とかいう恥ずかしいフレーズと守るべき故郷について

帰る場所があるとかないとかって言うときの「帰る場所」って、なんだか接着率が高く、違和感がないわりにやたら感傷的で、口にするのは何となく恥ずかしいです。

イメージで言えばネガティブな年月の経過を「三度目の冬」とか言うような歌詞っぽいワードは、書くのならまだしも、口に出すのは到底難しい。

「君」とか「あなた」とかって言葉が詩的すぎて(意味深すぎて)日常では使いにくいのと同じかもしれない。

いま別にこんな話をしたい訳じゃないんです。今回、最初は何の話してるのかなと思うかもしれないけど、最終的には「帰る場所」としての故郷というのは大事だと思うし、だから僕は日々故郷のことを考えてブログを書いているのだと思うという話をしたい。

多分少しだけ恥ずかしい話だから、あんまりくさくなりすぎないよう、恥ずかしげもなく書いてる訳じゃないという言い訳をしておきたかったのです。

スポンサーリンク
スポンサードリンク

こういうの多分マッチポンプって言うんだろう

僕は過去にとても良い経験をしました。

大学卒業後、ワーキングホリデー制度を利用し約1年間オーストラリアに住んだことです。

日本では全く予定を立てず、ただ行きました。お金なかったし、自分でビザ取って、エージェントも利用せず、片道の航空券を買って行きました。ジェットスターで4万円程度で行くことができました。

飛行機に乗って、外国に着いただけ。その時点で現地のお金も持ってないし、仕事もない、今日泊まる宿も決まってない、知り合いもいないし、本当に何もない状態です。

こういう経過を話すと「すごい」というようなことを言ってくれる人もいるんだけど、すごい人は日本にいながら(もしくは現地で)ちゃんと情報を集めて計画を立てられるし、その通りに行動できるのです。

僕は怠惰で、計画能力がなく、志も低く、度胸があったのではなく多分何かを舐めていただけ。すごいと言えばその無知さというか、「なんとかなるでしょ」っていう楽天的な思考が甘え以外の何物でもないということに気づかない幼稚さでした。

よく考えて行動する人、そしてびくびくしながら、ときに尻込みしながらも人を頼る能力のある人の方が生き方として誠実だと後から考えるようになりました。

タイプにもよるんだろうけど、これは本当に難しい。

今は「行けばなんとかなる」「やればなんとかなる」「とにかく行動」というような思考法やアクティブさがもてはやされる傾向にあるし、実際その方がトントンと物事は進むかもしれません。

オーストラリアにいた約一年の間、宿が見つからないことは幾度かあったものの結局一度も野宿することなく、仕事にありつけず困ることもなく、それどころか貯金までして帰って来られたのだから、たいていのことは「とにかくやればなんとかなる」というのは一応本当のことのようです。

「無謀」とは分けて考えなくてはならないけど、日常レベルのたいていのことは考えるよりさっさと行動にうつる方が時間の節約になったりする。

ワーキングホリデーの期間に関わらず、「とにかくやればなんとかなった」ことは多いです。

しかし何とかなったのは、驚くべきことに全て縁とか運のおかげです。

「支えてくれたみんなのおかげで」とか、「ご縁に感謝」とか、「一人じゃ何もできなかった」とか、「運命的な出会いが」とか、これだってそれぞれ接着率の高いフレーズで、今となっては口に出すのが恥ずかしいフレーズだと思っていますが、そうとしか言いようがない。

だって本当にみんなのおかげで、自分の力じゃないんだから。「自分の能力で頑張りました」「僕が想定した通りにみなさんが動いてくれたから成功しました」って言える人ってめちゃくちゃ少ないだろうし、実際に色んな人が助けてくれたりするから物事が進む。

川の流れに乗っているようなもので、あれよあれよと自分の身体は進んでいくけど、泳ぐ能力なんか必要ない。溺れたって誰かが助けてくれる。

微かに残っている「自分」と言えば、「とにかく行動した(川に飛び込んだ)」というだけの部分で、勝手に溺れて、引き上げられて、修羅場をくぐったつもりになる。

どこで転換するのか分からないけど、いつの間にか、口ではみんなのおかげと言いつつも「これまでの運とか縁とかは自分の行動力が呼び寄せた」という風に解釈してしまう。

オーストラリアにいる間、僕はそうでした。ひどく傲慢で怠惰でした。無計画だから困り、そして助けられ、頭が悪いくせに勉強しないから教えてもらうことに期待して、そんなんで縁とか人の優しさに痛み入って無暗に感謝して、世界は素晴らしいとか思っちゃう。

こういうのマッチポンプって言うんだろう。

せめて人に甘えているとか、生かされているという意識が強くあれば良いのだけど、それすら多分なかったと思う。海外でなかなか上手にやれてるって思ってた。

確認地点としての帰る場所

一年を通して、僕は建設的な旅をしませんでした。観光スポットにはもともと興味がなかったから良いのだけど、行く場所とか、住む場所とか、仕事とか、ほとんどのことは無計画に、辿り付くままにこなしました。

投げやりな気持ちもあったかもしれません。

「どうせ帰るとこなんてないし、歩けるだけ歩いてみようかな」って延々と歩き続けたこともあるし、「どうせ帰らなきゃいけない家なんかないんだから適当な駅に降りよう、遠くに行こう」とか考えて、適当な切符を買って出かけたこともある。

あと、「どうせ海外だし、別に誰に嫌われても良いや」と思ったこともある。図々しく生きようと。

まさに「行動する自分」に酔っていた頃です。でもこの話はもういい。どのように行動するのが正しいかなんて時と場合によって違うだろうし、人によっても違うんだろう。大事なのは納得できるかどうかなんだから。

この記事で言いたいのはどちらかというと、「帰るところ」がどうこうというところです。

オーストラリアにいた当時は、よく動いたおかげで(良い意味でも悪い意味でも)見れたものや出会えた人やたどり着けた町があって、それはそれで良い旅だったんだけど、もともと内向的な性格だからか、そういう根無し草みたいな生活に疲れも感じていました。

セーブポイント見つからないから止められないゲームみたいな疲れ。

いやわざわざセーブポイントとか比喩にする必要なんてないんだけど、単純に宿がないから休めないっていうだけなんだけど、それは身体的な疲労よりも精神的な疲労の方が多かったです。

しかもその精神的な疲労感を生む不安が特殊で、それこそゲームの例えで言えば、ダンジョンとかで分岐点がちょっと多すぎると感じることってないでしょうか。あれみたいな感じ。

ひたすら道は前に続いてるけど行ってない道もめちゃくちゃあるのがわかってて、どうしよう戻るの?いやめんどいだろ、でも気になるしな、そもそもこの道であってんのかなみたいな不安です。

そして結局、せっかくここまで来たんだしという気持ちが強くなり、戻るのは無駄足に思えて、進むことを選ばざるを得ない投げやり状態です。

ゲームやらない人向けに言えば、理想は一点を中心にして、同心円状にかつ網羅的にテリトリーを広げて行きたいって気持ちがあるのに、ずんずん前に進めちゃうものだからただ直線的な移動があっただけで、進んではいるけど自分のものになった感じが全然しないという気分。

だから確認地点とか経由地点としての「帰る場所」って必要なんです。一旦戻る場所。「とにかく進む」暴走状態を落ち着ける場所。肌感覚レベルで自分の行動をモノにするというか、整理して糧にするために。少なくとも僕にとっては必要だと感じたのです。

帰る場所は神聖だ

きっと僕らはこれから、「帰りたくなること」っていっぱいあると思います。

僕らの世代(20代)で言えばもしかしたらもっとずっと後の話かもしれない。

自分の親がいよいよ衰えてきて、自分の生活も惰性的になってきて、生きる意味とかこれまでの人生とかを考えるともなく考えてしまう頃。

自分のルーツはなんだろう、自分の核は何なんだろうと考える頃。

孤独を感じるときや、幸せすぎて怖いわみたいなとき、それら精神的な現象の骨格というか原型は多分故郷で培う人が多いのではないか。

何も故郷に限らないし、そもそも有形かどうかも限らないと思うんだけど、人生に広がりが生まれたとき、「ここを起点に広がってる」という確認作業(セーブ)は、しなければ気が済まない日がきっとある。

そんなとき、故郷はなければ困ると思うのです。

繰り返すけど「帰る場所」って故郷とは限りません。「特定の人」かもしれないし、「仕事」かもしれない。

そういう性質のものをひっくるめて、象徴としての意識も込めて「故郷」と言うけど、いわゆる場所としての故郷がなくなるというのは、精神的にはあまりに大きな喪失だと思います。

だから故郷は維持しなければならないと感じるし、このブログの出発点は「まちづくり」なんだけど、こういう経緯だからこそ、その方法が「地域の経済的な活性」とか「移住促進」とか「雇用の創出」とか「田舎の魅力を発信」とか、そういう即物的な発展の話によりすぎることに違和感がある。

僕らの故郷は成長しなければならないのか。立派でなければならないのか。魅力的でなければならないのか。人の役に立たなければならないのか。

そうであることはいずれも喜ばしいことかもしれないけど「帰る場所」としての故郷に、そんなことを求めるのだろうか僕は。

むしろそうじゃなくて良いという気持ちの方が強い。

例えば「友達」が別に働いてなくたって、モテなくたって、少々偏屈だってたいてい変わらず友達であるように、故郷が社会的に衰退したところでダメだ、何とかしてあげなきゃとは思わない。そんな動機で「まちづくり」に興味を持ったわけじゃない(少なくとも今はそう言い切れます)。

僕にとって良い町(故郷)に求めるものとは、”機能”ではなく”神聖さ”のようなものです。セーブポイントみたいな安心感というかホッと一息つける絶対的な領域の感覚。

僕が守りたい故郷は、あの異国の地で、重いリュックを背負って十何キロも歩いているうちに日が暮れて、喉乾いたけど店どころか自販機の一つもなく、ついに月が高くのぼり、宿も一向に見つからないままクタクタ彷徨った夜に、「うわぁー!帰りて―なー。」と思ったあの場所です。

絶対に帰れない距離にいたからこそ、極限に心細かったとき「帰る場所」が恋しくて仕方なかったし、そこに求めるものがただのベッドや食べ物や屋根ではないのだということが分かるような気がしました。

共有できる記憶が神聖さ

「帰る場所」に求めるものは神聖さであって、ちょっと飛躍しているように見えるかもしれないけど神聖さとはすなわち記憶なのだろうと僕は考えています。

愛郷心の正体を探れ/なぜ愛着は生まれるのか

記憶というのが曖昧なら、イメージとか面影とか、心象風景とか、言い方は何でも良いのだけど、ふとしたとき自動的に想起され立ち上がる何か。自分の中で光り輝く何か。

本当に失われるのが怖いのはそういうものです。

だから僕は記憶のような無形物をしっかり保つようなことがしたいのだと、ブログを書き始めた当初から心のどこかで思っていたに違いありません。「帰る場所」としての故郷を保つというのが僕のまちづくりなのです。

はじめからそのような意識はあったと思うけど、このことを言語化したのは始めてのことで、ようやく少しずつ文字にすることができるようになった気がします。

そして文字にするということが、無形物を有形物に変えるための立派な手段の一つなのだと感じられるようになったのも最近のこと。

じゃあ、それをどうしてブログに書くのかというと、文字は伝わってはじめて存在するからです。そしてそれは記憶の性質と似ています。

さっき、ちょっと「故郷」は「友達」みたいなもので…みたいなことを書いたけど、友達がたいてい変わらずいつまでも友達なのは、「記憶」があって、それが神聖だからです。

「僕たち確かにここにいたよなあ!」っていう記憶を口に出して、共有できたときにはじめて既にないものが確かなものになる。記憶の中にあるものなんてもう誰も触ることができないのに、人と共有できたときだけちょっと有形物になるのです。

人に忘れられたときさ

前もどこかで書いた気がするけど、漫画『ワンピース』16巻で、Dr.ヒルルクが言うセリフにこんなものがあります。

「人はいつ死ぬと思う?

心臓をピストルで撃ちぬかれたとき…違う

不治の病に冒されたとき…違う

猛毒キノコのスープを飲んだとき…違う!!

人に忘れられたときさ」

ドルトンはこのあと「国も…同じだろうか…」と問う。

実際にはストーリー・文脈があって、こんな風に都合よく端折って引用したってどうしようもないんだけど、僕は町のことを考えるとき、これらのセリフを思い出します。

国もそうだし、町だってそうだと思う。

町が無くなるのは吸収合併したときでもなく、学校が取り壊されたときでもなく、お店が軒並み閉店していくときでもなく、人に忘れられたとき。

「帰る場所」がなくなるのは、災害に見舞われたときでもなく、遠くに移り住んでしまったときでもなく、自分がどこから来てたのかを忘れてしまったときです。

帰る場所を考えたとき思い出す故郷の中に何があるか。

有利でも便利でも人気でもなく、あるのはあそこが僕の町だ、僕が育った町だ、暮らした町だという記憶と実感です。

そんなことを考えて記事を書いているから、このブログはいつまでも人の役に立たないんだろう。

でもそれで良いです。

時代が進めば、この町は社会的に言ってより衰退か活性かのどちらかの風景にはなる。知らない人で溢れるにしても、人口がゼロになるにしても、いずれにせよ「帰る場所」としての故郷がなくなる可能性はある。

どんな未来になるかは分からないけど、世の中はずんずん進む。一歩進んで二歩下がるのを無駄足だと笑い、立ち返ることもせずとにかく進む。

ずんずんとにかく進んで行ってしまった先で、「確かに思い出せる何かがある」ということは有価値だと僕は分かっているから、「帰る場所」のことを思いながら僕はブログを書いている。

「帰る場所」とかいう恥ずかしいフレーズと守るべき故郷について(完)

スポンサーリンク
スポンサードリンク