自分の中がからっぽにならないために、ジロラモはどうすれば良かったか。

きっかけは絵本の里けんぶちでの経験から文明と文化について考えだしたこと。

地域にとって、絵本の役割ってなんだろう?文化的なものの役割ってなんだろうと考えているうちにふいにミヒャエル・エンデのこと思い出して読み返すことになった『モモ』。

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しつこいくらいに『モモ』の話しをしてしまったけれど、なんか突然モモから離れるのも寂しいので最後にもう一個『モモ』の話題を書きたい。

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灰色の男にまるめこまれるジロラモ

今まで色々なものにこじつけてモモの話しをしてきたけど、この記事はただ心に残ったシーンの紹介です。

それはジロラモという観光ガイドの男の子の話し。みんなからはジジと呼ばれています。

口が達者な若者で、ぺらぺらとでたらめの歴史や事件の話しを(一方的に)話して聞かせてお金をもらい生計を立てていました。

ジロラモはモモと会ってからというものの、空想の翼が広がる一方です(つまり作り話が上手になりました)から、モモのことがとても大事な存在となっていました。

『モモ』第5章 「おおぜいのための物語と、ひとりだけのための物語」

という章タイトルの通り、ジロラモはいつも大勢の人にむけて面白い物語を聞かせるのですが、一番大事にしていたのはモモにお話を聞かせる時間でした。

でもジジがなんといってもいちばん楽しみにしていたのは、ほかの人がだれもいないときに、小さなモモひとりに話をきかせることでした。

たいていそれは、おとぎ話でした。モモがおとぎ話をいちばん聞きたがったからです。しかもほとんどいつも、ジジとモモのふたりを主人公にしたお話なのです。

それはふたりだけのためのもので、ほかのときにジジが話すものとはぜんぜんちがう感じのお話でした。『モモ』70p

しかし、灰色の男たちの毒牙はジロラモにも及び、次第に彼も灰色の時を過ごすこととなりました。

ガイドのジジをまるめこむのは、灰色の男たちにはわりあいかんたんにできました。

まず手はじめはこうでした。一年ほどまえ、モモがあとかたもなくすがたを消したすぐあと、新聞にジジについてかなり長い記事が出ました。

「ほんとうの物語の語り手として最後の人物」

という見出しです。

そのうえ、いつどこに行けばこの人物に会えるかも書いてあり、これほどおもしろいみものを見のがしてはならないとまで、推奨してありました。

それからというものは、ジジに会って話を聞きたいという人が、ひきもきらず円形劇場あとにおしかけてくるようになりました。ジジはもちろん、うれしくないわけがありません。れいのごとく、思いつくままに話をして、おわるとぼうしをもってひとまわりし、そのたびにコインやおさつでいっぱいにしてもらいました。『モモ』254p

この後ジロラモはすごく忙しくなって、大金持ちになりました。

いまではもちろん、いぜんのようにたえず新しい話のたねを考えだすことなど、とっくにあきらめていました。

そんなひまはないのです。

そこで、思いついた話のたねをうまくやりくりして、経済的につかうことにしました。たったひとつのたねから、五つものちがう話をこしらえあげることだってあります。『モモ』255p

うわ、僕も『モモ』で5記事(これ入れて6記事)も書いちゃったし耳が痛いな。実際小分けにして数を稼いでるところはあるしな…。忙しくないしお金もらえる訳じゃないから全然違うけど。

ジロラモに泣いた

まあ、こんな風にジロラモも灰色の男たちの思うつぼな感じになったのです。

そこである日、ジジはゆるすべからざることをしてしまいました。

モモだけのためにつくってあった物語のひとつを、話してしまったのです。

でもこの話もほかのとどうよう、みんなはよく味わいもせずのみこんで、またたちまちわすれてしまいました。

そして、あとからあとから話を要求するのです。

ジジはすっかりこのめまぐるしいテンポにまきこまれて、立ちどまって考えなおすいとまもなく、モモのためだけにとっておいた物語をつぎつぎと話してしまいました。

そしてついにさいごの物語を話してしまったときには、きゅうにじぶんのなかがからっぽになり、もうなにひとつ考えだせなくなっているのを感じました。『モモ』255,256p

ここキツかった。

ここだけ引用されても何とも言いようがないと思うけど、ジロラモの取り返しのつかないことをしてしまった感、プライドを自ら傷つけてしまった感が痛々しかった。

もしかしたら、世の有名ブロガーとか(最近稼げるようになってきたブロガーとか)、ニコニコ動画で作品とか挙げてる方とか、もちろんミュージシャンとか作家とかの中にはこのジロラモのような思いをしている人がいるのかもしれないと思いました。

求められるがままに生み出してきたけど、群衆の前ではとっておきのモノも野犬に放った生肉のごとくに荒々しく扱われて、あとには原型を留めない何かが残る。

あーあ、なんて思うけどソレをまた拾って大事にするなんて惨めったらしくてとても出来ないから、こういうもんだって頑張って割り切る、の繰り返しだったりして。

ジロラモはどうすれば良かったか

ジロラモの話しから何か教訓を得ようと思っても、僕にはジロラモがどうすれば良かったかなんて分からないのでどうしようもありません。

表現者である以上見られてなんぼのところもあるし、それが自分の思ったように扱われないなんてことで本来ならばへこんでられません。

仮にそれがとっておきの物語だという事情があっても、目まぐるしく流れる時間の中で判断力を失って、ついついそれを手放してしまって後から自己嫌悪に陥っても、それはジロラモ自身の問題です。

地位とか名声とかお金とかを全部捨てれば良かったとも言えず、正解はなく、よって教訓でもなんでもなく、ただ灰色の男たちって怖いなと思わせるエピソードとして心に残っているのです。

さて、『モモ』の話しは今のところこのくらいです。

とりあえず書きたいことは書いたので僕は満足。

実を言うと今回の記事は、『モモ』に出てくる主要人物全員出さないとなんとなく気持ち悪いという理由で書いたものでもあります。

もちろんジロラモのエピソードが大変切なくて心に残っていたのという理由は本当だけど、それよりも面白かったのは、はじめて読んだときにはなーんにも感じなかったこのエピソードが今になって読むととても心に残るシーンだったということです。

その年代によって感じ入るところが違うのは当たり前だろうと言われるかもしれないけれど、でもだからって実際に過去に読んだものを読み直すなんてこと滅多にありませんよね。

同じ話を何度もなんて、それこそ時間がもったいない、こういう類の有名な話ってのは要点だけ知ってれば良いんだよ、と言って憚らない灰色の大人もいるでしょう。

まだ読んだことがない人はもちろんだけど、もし、かつて『モモ』を読んだことがあって、何となく懐かしい気持ちになったのだとしたら、次の休日にでもお近くの図書館に行ってみてはいかがでしょうか。

自分の中がからっぽにならないために、ジロラモはどうすれば良かったのか。(完)

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