六道のなかの人間道に生まれた意味/人間になる方法

こないだ「写経カフェ」ってのに行って来たんだけど、そこで書き写したお経の意味も教えてもらって面白かった。

六道って聞いたことあると思いますが、このお話しもちょっと聞きました。

命は生まれ変わっているという教えが仏教にはあります。

生まれ変わりには6つの行先があるんだけど、その中に餓鬼道とか畜生道とか修羅道とか地獄道ってのがあって、これはネガティブな行先、苦しい道。

マシなのは天道、もしくは人間道。なぜマシという言い方なのかと言うと、仏教の教えではこの人間道とか天道とかも含めた六道からの解脱こそが最終的な目的だと言われているから。

僕たちは今人間なので人間道にいることになるんだけど、ところでこの人間になる確率っていうのは恐ろしく低いらしい。

「盲亀浮木」の例えってのがあるらしく、なんでも、100年に一回くらいのペースで海の底から海面に上がってくる亀がいる、とする。そんでその海には中央に穴が開いた一片の木切れが偶然浮いて流れてるんだけど、その亀が浮き上がってくるとき、この木切れの穴に偶然顔を出すことがあるだろうか、という話らしい。

いやいや在り得ないでしょ。

うん、でも人間になるってそれくらい確率の低いことだって言われてて、とてもありがたいことなんだよ、と。だから生きてれば色々あるけど、餓鬼畜生になるよりマシでしょ?地獄に生まれ変わるよりはマシでしょ?だから頑張ろうやというような教えが仏教にはあるらしい。

そう言われれば自分の「人間」として授かった生が貴重で、ありがたいもののようには思うけど、思いはするけど、それも多分一瞬のことですよね。人間に生まれついただけラッキーというのは、やはりその場しのぎの方便な感じがする。

自分のことならまだしも、今当たり前に生きている人間、駅やなんかですれ違う無数の人の中にあって、どれもこれも貴重でありがたいものだといつも感じるのは難しい。

全ての命から見れば人間に生まれつくのは大変珍しいしありがたいことなんだろうけど、人間うじゃうじゃいる状況ではあーんまピンと来ないなーというのが正直なところではないでしょうか。

そう言えば昔、先輩とこんな雑談をしたことがある。

「美人に生まれた人とか、イケメンに生まれた人って、あとは性格良くすることを頑張れば良いから良いですよね、やっぱいくらか人生楽だと思うんですよ」

先輩はごく冷静な人なので

「んーでも美人に生まれた人は美人っていう領域で比べられるだろうし、それを職業とかにしたらなおさら高いレベルのものが求められるから頑張らなきゃいけないのはみんな一緒じゃないかな」

「その通りすぎますね」と僕が答えたのは言うまでもないが、きっと僕は当時イケメンが憎いその一点でのみで世の中を見て、ひねくれていたのだと思う。

生まれついて容姿に恵まれている人、生まれついて頭が良い人、生まれついてお金持ちな人などなど、羨ましい人はたくさんいる。

持っていない側からすれば、容姿が良いってだけで人生楽だよなとか、頭良いってだけで単純に有利だよなとか、お金あるんだから好きなことできるしょとか、ついついそれだけで十分だろって気持ちになって、妬ましくなる。

本当はそれぞれの領域で受けた生を最大限に活かす努力をしなければ苦しいのは一緒なのに、自分はあの人と比べると恵まれていないと感じて腐る。自分は何もしないのに、自分の不幸は人のせいだとか思ったりする。

でも僕こないだ気づいた。

この妬んで、腐ってる心境って、餓鬼道とか畜生道にいる連中がただ人間は良いよなーとか言ってる状況を表してるんだって。自分で自分を高めようとせず、置かれた状況に文句を言い、ただただ低レベルの生を貪る。

つまり、人を妬んでいるとき、僕は餓鬼畜生の分際とほぼ同じであって、人間を羨む、人間には見向きもされない生命であって、人間ではない。

「六道」をウィキペディアで調べるとこんな記述がありました。

仏教では、輪廻を空間的事象、あるいは死後に趣(おもむ)く世界ではなく、心の状態として捉える。たとえば、天道界に趣けば、心の状態が天道のような状態にあり、地獄界に趣けば、心の状態が地獄のような状態である、と解釈される。

第一印象でよく分かんない!

でも、都合よく解釈すれば、仏教で解かれる輪廻の話は、単純に今は人間ですが死んだら餓鬼畜生の世界に行くかもしれませんというファンタジックな話というばかりではなく、餓鬼や畜生のような心境に陥ればそいつはもうほぼ餓鬼畜生なんだって話ということ、だろうか。

で、餓鬼畜生な心境の生を送っていると、高確率で生まれ変わったら餓鬼畜生そのものになるから気を付けようね人間のみんな!というのが仏教の教えなのかもしれない。

じゃあそもそも餓鬼や畜生ってどんな状態なの?と思い調べてみましたが、やさしい仏教入門というサイトの六道輪廻の項目が分かりやすかったです。

餓鬼 嫉妬深さ、物惜しみ、欲望の塊の世界。この世界から抜け出るため、さらに無理を重ねる世界。

畜生 弱肉強食が繰り返され、互いに殺傷しあう世界。人を蹴落としてでも、自分だけ抜け出そうとする世界。

じゃあ人間は?というと

生病老死の四苦八苦がある世界。

なのだそうです。

なんというか、救いようがないけど、人間の道は苦しいもので、みんな苦しい生を全うしている。だから苦しいのを人のせいにすんなよ、羨んだり妬んだりすんなよ。そうなればもう人間とは言えなくて、餓鬼畜生と一緒だから。という感じでしょうか。

ここで、あっち行ったりこっち行ったりして申し訳ないんだけど、今度はまたウィキペディアの人間道の説明を引用します。

人間道は人間が住む世界である。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。また、唯一自力で仏教に出会える世界であり、解脱し仏になりうるという救いもある。

救いがあるとすれば、人間は苦しいばかりではなく、楽しいとか気持ち良いって感覚も味わえること。あと解脱する可能性があること。

人間じゃなくなれば、苦しい憎い羨ましいばっかりで、苦しみから逃れる余地がないぞと。

だから、少なくとも僕ら、解脱はちょっとハードルが高いにしても、もう少し楽に生きたいと願うのならせめて人間でなければならない。

そのためには、人間になるためには、人を羨んだり妬んだり、もちろん蹴落としたりすることなく、「苦しいなーバカ野郎!でももうちょっと頑張ろう」って考えると良いのでしょう。

どうせ苦しいんだから腐らず頑張ろうかって、いつでも思えると良いですよね。

そしたら楽なことも増えて、けっこう良い人生が送れるのかもしれない。

※この質問サイトが参考になりましたのでリンクを貼らせてもらいます

六道とはこの世にあるのでは、と思うようになりました

六道のなかの人間道に生まれた意味/人間になる方法(完)

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