自分は多様性を受け入れる態度を持ち合わせているか?を点検する具体的な方法

このブログでは多様性がどうとかっていう話をわりとしてきたのですが、考えても考えても分からないのですよね。だから定期的に考えます。

ちなみに、このブログでわりとコンスタントに読まれているのは以下の記事。

「多様性」は他人を認めるための言葉ではなく、「自分が間違っている可能性」を知るための言葉だと思う

コメント欄がなかなか興味深い感じになってます。いただいたコメントで記事が完成した感があり、ありがたかったなあ。

しかし、相変わらず世の中では多様性がうんぬんされる一方で、他人への不理解や偏見で生じる悲しい出来事、馬鹿々々しいニュースであふれてる気がする。

世の中はまだ多様性に関する理解が足りない、と感じることは日常でもある。

あるけれど、多様性を受け入れない人、人間の幅を理解しない人を軽蔑したり、断罪したくなるときの自分は果たして多様性に対する態度が寛容と言えるだろうか?という疑問もわく。

この気持ちと、不理解や嫌悪・恐怖の感情から差別や偏見を行う人の間にどれほどの違いがあるだろう。

誰かが誰かを間違ってると言うとき、なぜ人は自分のことを棚に上げるんだろう。

僕が多様性をうんぬんするときに感じる疑問を整理しながら、少々ドライに、自分は多様性を受け入れる態度を持てているだろうか?を点検するための具体的な方法について考えてみようと思います。

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人が努力で身に付けられることと、そうでないこと

まず思ったのは、人が努力で身に付けられることとそうでないことを分けるべきだよな、ということです。

教育や理性でカバーできることと、教育でも理性でもカバーできないこと、もしくはカバーすべきじゃないところを分けた上で、差別主義者や偏見で塗れた人、もしくはそんなときの自分を見つめるべきなんじゃないか。

教育でも理性でもカバーできないこと、もしくはカバーすべきではないことは例えば以下のようなもの。

・他人に嫌悪感を抱くこと

・自分と違うものや未知のものに対して恐怖心や不安を抱くこと

・自分と違うものや未知のものに対して可笑しく思うこと

・自分に関係のないものや知らないものに興味を持たないこと

このあたりは本当にどうしようもないと思うし、何とかすべきことでもないと思う。

自分と違うものは怖いですし、似てるものは好ましく思うのは当然だと思います。

場合によっては笑ってしまうほどおかしく感じることもあるし、それほど多くのものに興味は持てない。

簡単に言えば、感情に関することは制御できないし、すべきでもないと思うのが僕の意見です。

教育や理性でカバーできること

教育や理性でカバーできることは以下のようなものがあると思います。

・他人に感じる恐怖や不安に対して攻撃的にならないこと

・他人の言動に対しあらゆる可能性を考え、決めつけないこと

・バカにしないこと

怖かったり嫌いだったりするからと言って攻撃的になるのも、子どもなら仕方ないと思います。もしくは動物を見ても、脅威に対して攻撃的になるのだから、やはり攻撃性を抑えているのは発達した理性なんだろう。

しかしそういう理性的な部分は教育や成熟するに伴ってカバーできるようになる。

この教育や理性で補えるはずの態度が足りない人(もしくはそういうときの自分)が、多様性に対する寛容性を持ち合わせていないように見えるんだよな、と思うし、責められるべきはその攻撃性や思考の(歳不相応の)未熟さじゃないか。

もちろん、攻撃には口撃も含まれます。

感情面と理性面を分けて、感情が沸き起こることは否定せず、その結果どう行動するか

多様性を受けいれる態度を持てているか?を点検するための具体的な方法ってこれくらいしかないんじゃないかなと思うのです。

感情面と理性面を分けて、感情が沸き起こることは否定せず、その結果どう行動するかという部分で、あまりに攻撃的だった場合、その点については責められても止む無しという感じ。

暫定的に、ここまではとりあえず間違ってないんじゃないかなと思ったので、記事にしました。

それにしても多様性のある社会って、しばしば他者を嫌ったり恐れたりする感情すら否定している場面があると思うんですよね。

「ああいう人をそういう目で見るなんて人でなしだ」みたいな(めっちゃ曖昧ですが)。

でもそういう、嫌悪とか良くも悪くも好奇心とかっていう感情が否定されるようになると、お笑いもファッションも音楽もなくなってしまう気がするのです。少々飛躍した考えのようだけど。

多様性がひたすら他者の容認や肯定になってしまえば、帰って世の中は画一的でのっぺらぼーな感じになっちゃうんじゃないのか。

それって僕らが求めてる多様性のある社会とはちょっと違うんじゃないの、って思うのです。

だから感情と行動は分けて考えるべきだと思うのです。

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