物語が感動を生み出す仕組みとまちづくり/「新しい関係」の発見と脳内フル発火

まちおこしについて考えることを目的として開設したこのブログも、今ではあっちゃこっちゃと話題が散らばって、メインの話題は何なのか、誰にも分からないという体たらくになっております。

いま僕が一番重要視しているのは、「物語が生まれる」というテーマです。

創造とか物語とか言うとメルヘンチックなこと言ってらっしゃると思われるかもしれないし、中にはストーリーが大事なんじゃないかと言うと鼻白む人もいるでしょう。

「物語」に対するアレルギー反応/二番煎じにならないために

って記事を丁度1年前くらいに書いたけど、「物語」や「創造」の重要度は僕の中で増しております。

話題がとっ散らかって来た今だからこそ、この「創造」とか「物語」がなぜまちおこしやコミュニティづくりに重要なのか、少々合理的な説明を試みようと思います。

話題が話題なので、今回は長くなります。

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入れ子式物語製造

僕は「創造行為」を通してコミュニケーションを取ることで生まれる物語がこの町に溢れたら良いと考えています。

何を創造するかってのは別になんだっていいんだけど、僕の趣味で文芸を中心に据えたいと思っている。

文芸の中に、例えば「芝居」も入るでしょう。「芝居」で説明すると、僕がまちづくりに求めていることが分かり易そう。

僕は「創造を通したコミュニケーション」という現象を通して、「コミュニティ」を形成したいと考えていて、そういうものが生まれては消え生まれては消えするような文化を作り上げたい。

このプロセスを「芝居」を例に挙げて説明すると、例えば一つのお芝居を作るにしても、様々な人が関わることになります。

脚本、芝居小屋、衣装、大道具、小道具、と色々なドアがあって、色々な立場で関わることができる。

かつアイディアレベルのことであればわざわざこの町に来なくても、創作に関わることができる。

誰でも、自分のスタンスで関わることができて、どこに住んでるとか、どんな仕事してるとか、男とか女とか関係なく、創作というものを通せば純粋にコミュニケーションが取れると思う。

物語を創作するとした場合、この活動は入れ子構造になっていて、一つの「物語を作る」という「人同士の物語」が現実に生じる訳です。

そんなことを繰り返すことで、創作物としての物語と、現実のドラマとしての物語が生まれて、創造という土台の上に出来上がったコミュニティが出来上がる。

簡単に言えば、みんなで創作活動するの楽しいよねってこと。

そんで、僕のまちではそんな「みんなで創作活動するの楽しいよね」って文化が育まれてほしいなと思うのです。

詩作の目的は「新しい関係の発見」

これだけ「物語」とかって言ってるんだから、そもそも「物語」ってなに?「創作って?」「芸術(文芸)って?」ということは考えなきゃならない。

どうして人は「物語」に感動したり、そういったものに「美」を見出したりするの?

そしてそれが町にとってどうして必要なの?

課題が絶えません。

勉強しましょう。

『詩学』という本に良いことが書いてあります。

詩学 (1969年) (筑摩叢書)

アリストテレスのじゃなくて、西脇順三郎という詩人の『詩学』です。

詩作の目的は「新しい関係」を発見することである。12p

僕これ読んだとき目から鱗でした。

ここで言う詩作というのは、もちろんポエムの詩ではあるんだろうけど、もっと大まかな意味で「美しさを呼び起こす感覚としての詩」だと思います。

詩的な表現とか、詩的な風景とかって言えば、それはポエムのことではなくて、絵になるとか物語になると言った意味になりますよね。

よって「新しい関係を発見する」というものは多くの芸術に共通した目的だと思います。

この発見はいろいろの感情を人間の脳髄の中に意識させる。まず、その感情は快感であり、美感である。私はこれを芸術美とでもいいたいが、必ずしも芸術とか美というような観念として意識しなくともよい。12p

具体的に「新しい関係」を作ることが詩作の目的だというのはどういうことか、見ていきましょう。

物語に必須の「新しい関係」の提示

物語の基本構造は「問題の解決である」と聞いたことがあります。

これをもう少し掘り進めて考えてみると、確かに「新しい関係」があるということが分かる。

それは単純に「人と人」との新しい関係に留まらず、「人と環境」とか「人と状況」とか「人と概念」とか色々なものに当てはまります。

例えば『変身』の「グレゴール・ザムザ」は朝目覚めると「ベッドのなかの自分が一匹のばかでかい毒虫に変ってしまっているのに気が付」きます。

まさに新しい関係の発見です。

変身 (新潮文庫)

これはもちろん驚きます。読者は一行目から「どうしてこうなった!?」という「主人公と同様の問題」を抱えることになる。主人公は「虫になる」という意味不明な事態と関係してしまったのです。

不条理ものと呼ばれるだけあって、その原因が明かされない当たりが『変身』は特殊だけど、それがまた読者には問題となって、虫っていうのは何かの比喩なんじゃないかとか色々考えられる訳です。

初めての遭遇と記憶の関係

「新しい関係の発見」と「感動」の仕組みについて、もう少し合理的な説明が必要かと思います。

いつかの記事で、「人は論理ではなく感情を記憶するものだろう」というようなことを書いたことがあるのですが、実際に誰でも、これは感覚で知っているのではないでしょうか。

つまらない学校の授業なんて一切覚えてないけど、先生がしてくれた無駄話は覚えてるとか、つまらないはずの教科書だけど、一部分だけやけに覚えてるところとかってあるでしょう。

そのとき、僕らの頭の中では「感動」に近い脳みその働きがあったのではないか、と思うのです。

あの固い先生が余計な話してる!みたいな。

なぜ新鮮な出来事や驚きのような、心の動きがあったことを、僕たちは強く記憶するのでしょうか。

記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方 (ブルーバックス)

この本の海馬の説明のところに適当な部分があるので引用します。

θ波は主に海馬から発せられる脳波で、一秒間に五回くらいの周波数(五ヘルツ)で規則正しくリズムを打つ特徴をもっています、この周波数のことを「θリズム」といいます。

とはいっても、海馬はいつもθ波をだしているのではなく、特定のときにだけθ波を発生します。もっとも顕著にθ波が現われるのは、新しいものに出会ったり、初めての場所にいったりして、あれこれと探索しているときです。

いままでに出会ったことのない初めてのものに遭遇すると、海馬はθ波を出して活動します。そして、目の前にあるものごとを海馬は記憶しようとするのです。

θ波は記憶しようという意思の表れです。81p

いままでに出会ったことのない始めてのものに遭遇すると、僕らの脳は活発に働いて、記憶しようとします。

僕らは感動したことをよく覚えています。

その感動はどこからくるのかというと、「新しい関係」を目の当たりにすることがきっかけとなる。

僕思うんですよね。例えば国語の教科書でやけに覚えてる小説作品とかがあったりして、そういうときにどんな感動があったかと思い返してみれば、「あれ、おれ、小説を読んで楽しいと思ってる?」という感覚だと思うのです。

「小説が楽しく読めるかもしれない自分」との出会いもまた、新しい関係の発見となり、感動を起こし、強い記憶となる。んじゃないか。

人と人の距離、脳の右と左の距離

脳の話題になったので関連するものを引っ張り出すけど

右と左をつなぐ歌

という記事を以前書きました。僕はあまり音楽は聴かない方なんですが今までに聴いて感動した日本の歌をいくつかに絞って貼った記事です。

それらの歌には脳みその左右を使うように強いられているような感じがします。

本来では起こりえないイメージを見せられたり、論理の飛躍があったり、謎があったり。でも優れた芸術は、その本来ではありえない関わりや繋がりを納得させる力がある。

脳みその中で、本来出会うはずのなかったシナプスとシナプスが無理矢理にバチッと繋がるのですねきっと。

新しい、今まで予想だにしなかったものを僕たちが見たとき、きっと頭の中でも新しい関係(繋がり)が生じていて、その脳内をむりやり開拓してそこに電気が通る感じがきっと気持ち良く感じるのです僕らは。

だから感動してるときって、頭がよく働いているときなのかなと思うのです。脳内フル発火状態が気持ちよいのです。

さて、ここで思い切って「創造で繋がるコミュニティ」というまちおこし関連の話題に戻ります。

おそらく、この朝日町に出会う人、僕が出会う人というのはこの世に何人もいないはずです。

しかし少なくともこのブログを通して僕のことや僕の町のことを知り、記事を読むということを通して関わった人は本来の運命よりは増えているはず。

そうした人と僕(及び町とか僕の思考)との関係は「本来出会うはずのなかった関係」「巻き込まれる予定のなかった思考」で、少なくとも僕にはだけど、そんな関係の誰かがこのブログに向こうにいるだろうと考えることは感動です。

新しい関係に合理的な説明を加え、調和を生み、感動を招く力が物語にはあって、僕は本来ならあり得ないモノ同士の関係を繋ぎ、感動を生み出すという目標のために、このブログを書いています。

関わった人が感動し、記憶に残る町

もうそろそろやめにします。

はじめの方に書いた記事で

愛郷心の正体を探れ/なぜ愛着は生まれるのか

という記事も書いたのですが、多くの方に好きになってもらう地域に必要なのは、何より記憶なのではないでしょうか。

記憶に残ることってどんななんだろうと言えば、ここまで書いてきたように「感動」した出来事。

では「感動」を生む事柄(詩作)には何が必要なのかというと「新しい関係」が根本にある。

普通では考えられなかったこと、予想だにしなかったこと、それまでの経験と照らし合わせて違和感のあること。

色々な言い方ができると思いますが、脳みそが激しく発火する出来事と、それに合理性を加え目の前のものを肯定する過程の全てが感動を作ります。

そしてそれはそのまま優れた「物語」の構造となっている。

つまらない物語には驚きがありません。

予定調和の出来事に感動がないのと同じで、決まりきった日常では頭が働かず一日一日が矢のように過ぎ去っていくのと一緒で、誰の予想も裏切らないものを前にすれば、頭は無駄に回転することはしません。極力怠ける。そういうものだと思います。

だからこそ、常に新しいものを、常に違和感のあるものを考え作りだすものである「創造」で以って、本来出会うことのなかった人との関係に非現実的さを帯びさせることに大きな意味を僕は感じています。それができたら僕の人生とても楽しいだろうなと思うのです。

そしてそんな楽しさをシェアできたら、僕の町を面白がってくれる人も増えるんじゃないか。

物語が感動を生み出す仕組みとまちづくり/「新しい関係」の発見と脳内フル発火(完)

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