自分の書いた小説を読んでと言われた。どんな感想を言うべきだろう。

僕は「小説読んで」とお願いする側なので、誰かに読んでよと言われて困ったという経験はあまりありません。

音楽や漫画ならまだ多少は経験あるけど、そういう微かな体験をもとに、小説を読んでと言われる立場になって考えてみると、これ読んでと頼まれる側の人はたまったものではないかもしれない。

しんどいと思う。

読んでと言うからには何らかの感想を求めているんだろうし、というか褒めて欲しいのだろう。

でも感想も褒めどころもない!そもそも普段そんなに小説読まないし、難しいことは分からない。よって無。ちょうどCM見たときと同じくらいの気持ち。そんなことになったら「うわやべーなんて言おう」って思うはずなんだ。

あーなんか今まで悪いことしちゃったなーってふいに思ったので、あくまで僕の場合はという話だけど、「小説読んで」とお願いするときに作者があなたに求めているものはなんだろう?と自問自答しながら考えて書いておくことにしました。

今まさに友達や彼・彼女が持ってきた原稿を抱えているよという方のヒントになれば良いなと思います。

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感想は言わなくても良いんだよ

とは言えここでこれから書くのはあくまで僕の場合はという話です。普遍的な内容ではないので注意してくださいね。

僕の場合は、感想を求めてはいるんだけど、いわゆるかちっとした感想は言われなくても全然かまいません。

だって本を書くくらいだからそれなりの量の作品を読んでいるわけで、自分だってどんな本にも感想を抱けるわけじゃないってことは知ってるもの。

というか印象として面白かった面白くなかった、響いた響かなかったはあるけど、仮に感動したからと言ってすぐ言葉になるわけでもないということも分かってる。だから感想と言っても、きちんとどこがどういう風に良かったなんて言わなくても大丈夫。

本当に書評みたいな感想を求めているなら、身近な人じゃなくてよっぽど本を読みなれている人に見せたり、投稿サイトに晒したりすべき。それなりに勉強してる人に見せるべき。

その前に個人的に読ませられるということは、その前の段階だということです。

だから感覚としては、出かける前に彼女や友達に着てる服を見せて、「これどお?変じゃない?」って聞くのと超似てます。

つまりセンスに致命的な欠陥が無いか、どことなくダサくないか、一緒にいて恥ずかしくないかとかそういうことを聞きたい。

大雑把に言えば、「好きか・嫌いか」だけ確認できれば良いのです。

問題点の指摘はありがたい。本当にありがたい。

しつこいようだけど僕の場合はですからね。

でも人のメンタルなんて属性が近ければ近いほど言うほどの違いは無いと思うから、まったく参考にならないということでもないと思う。

感想をごく身近な人に求めるというのは「着てる服が変じゃないかどうか知りたい」くらいの気持ちだってさっき言いましたが、裏返せば「この人にならダサいとかキモいとか言われても大丈夫」という程度には心を開いているということです。

あなたの感性を信頼しているということ。

他人に笑われたら立ち直れないけど、あなたになら少々辛辣な評価を受けても大丈夫、むしろそれなら具体的に言ってくれた方が助かる、客観的に確認できて良かった、という心境です。

「あ、この帽子そんなにダサかったんだ…」って気付いたら、こころの中では「あぶねーこのまま外でなくて良かった。ほんと相談して良かった。ありがとう」ってなる。

いやもちろん言い方は普通に人として気を使ってほしいけど。

ここまでを一旦まとめると、抱く感想はまず第一印象の好き・嫌いで構わない。そしてもし目につくところがあれば遠慮なく言ってほしいということになります。

もちろん、「何も感じなかった」というのも立派な感想ですし、それも言ってくれて良かった部類に入ります。

創作する人なんてかまってちゃんに決まってるんだ

めちゃくちゃ言い切るけど、創作する人なんてかまってちゃんに決まってる。

言ってしまえばこうしてブログを書くのだって究極かまってほしいからだし、創作とか言えばなんかちゃんとしてるっぽいけど、子どもが絵を描いてお母さんに見せに行くのと一緒じゃないだろうか。子どものそれだって立派な創作活動ですもんね。

何が言いたいかと言うと、人に求めるのは「ただ認知して欲しい」ってことなんです。

「書いたよー、見てよー」って言ってるだけだし、「読んだよー見たよー」って言ってくれれば良いんだけど、実際それじゃすまないのはなぜか。

それは、子どもと大人との間で拙くて可愛いか可愛くないかの違いがあるからだろうと思う。

子どもが下手くそな絵でも文章でも持ってきたら可愛いし見せた方も見せる方もお互いハッピーだけど、良い歳したおっさんが下手な絵や自己中な文章書いてきたら引く、当然褒められはしないからお互いハッピーにはならない。

だからと言って、それなりに生きてるから子どもを褒めるみたいになんでもかんでもとりあえず褒められて嬉しいわけでもない。

人に小説見せて、「難しい言葉使えたね」とか「長く書けたね」とか言われて素直に喜ぶおじさんいたら怖いですよね。むしろそんなこと言われたら「バカにすんな」ってなる方が普通だと思うから厄介なんですよね。

だから読む方にしても「浅い感想を言うと不快にさせてしまうんじゃないか」「でもちゃんとリアクション取らなきゃ傷つけちゃうんじゃないか」っていう大人に対するそれと、子どもに対するそれの板挟み状態になってしまってキツイ。

酷評できたらすると良い

こう考えると、お互いにハッピーなのは、というか無難で簡単なのは、褒めようとするよりはやはり問題点を指摘する方、もっと言えば酷評するくらいがベストだと思うのです。

創作者は基本的にはかまってちゃんだから、とにかくかまってほしい、自分が生み出したものの座る席が欲しいと思ってる。いや、椅子なんて贅沢は言わない。まな板の上にでも上げてくれれば良い。

とにかくそれを見て欲しいと思ってる。それでとりあえず満足。でも普通に生きて来た経験値から、「面倒だから適当に褒めとけ」という気持ちは伝わる。相手にされないよりは酷評を受けた方が何倍も良い。

だから、もし感想が浮かばないという事態になっても焦らないで欲しいのです。褒めどころを探そうとするよりは、面白くないところを探してみてください。

いやだからね、そんな評価ができるほど本読んでる訳じゃないし、生理的な好き嫌いはあっても分析的にどこが問題とか言えるわけじゃないのよ。ほんと興味ないCM見てるみたいな感じで、特に思うところ無し。

ということを伝えてみてはどうかと思います。「見どころがない」って言ってみたらどうだろう。それって十分でしかも適切な評だから。

「面白いところがない」「引っかかるものも残るものもない」

ただの悪口にならないように気を付けなきゃいけないとは思うけど、もともと築いてある関係性があるのなら、そういう評価も十分すぎるほどの参考になります。

それで「分かってない」とか言ったり、自分で作品の見どころをアピールして納得してもらおうとかするんだったら、きっとその人はいずれにせよ書く人じゃないんだと思う。

見どころがないと言われたら、(そりゃ落ち込むけど)すぐに次の書いてやる、この人に面白いって言われるのがゴールだって考えるのが、多分創作者の性質だと思う。届かないと思ったら届くまであの手この手を尽くしてくるのが創作者だと思う。

最後に。小説を書く力を一緒に高めながらまちづくりしませんか

だからビシビシはっきり「面白くない」とか言う人は創作者にモテてしまうんじゃないかな。

僕だったら面白いと言ってくれる人ももちろん好きだけど、面白いと感じなかったらそう言ってくれる人に対する信頼感が跳ね上がると思う。絶対に褒めてくれる人じゃ成長しないですもんね。

でもそうやって読んで感想を言うのがもし創作者のツボにはまってしまったら、何回も何回も読んで読んでと言われて、「あなたの編集者じゃないんですけど」って気持ちになると思う。

それが若干面倒くさいと思うなら、良ければ僕のことを紹介してください。

プロじゃないし教えることはできないけど、きっと身近な誰かよりは小説を書くことに理解があって、ネット越しの誰かよりは親身に作品を見られると思う。いくらでも付き合います。

僕自信小説を書くことについて勉強中だから、一緒に考えられる人がいたら嬉しい。

オーストラリアで引きこもり。旅のノートは小説のプロットでいっぱいだった

そういうまちづくりを考えています。ゲストハウス×まちづくりの組み合わせで、僕の周辺が創作者の引きこもり・雲隠れ・かんづめ・集中の場になったらと考えてる。

特に若い人で、今後小説のような文芸の分野で何かできないだろうかと考えてる人に来てほしい。僕も大学の頃、文学部の勉強が活かせる道って無いのかなって漠然と考えてたから。それがまちづくりという分野で求められるとしたらどうでしょう。

僕はまちづくりという創作がしたいと考えているのです。

※とは言えまだまだ未定なことが多いです。ゲストハウスをどう運営するか。料金的にどのくらいの負担をかけるべきなのか。道北の小さな町で気軽に来い来い言える場所でもないよなとも思います。追々形にしていくので、興味ある方は注目していただけると幸いです。

自分の書いた小説を読んでと言われた。どんな感想を言うべきだろう。(完)

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