将来の夢は職業でなければダメ?自分の理想を無意識に削除していないか。

将来の夢ってけっこう小さい頃から考えさせられます。

小学二年生の頃にはすでにそういう授業があった記憶がある。

僕が物心ついたのが大体小学三年生の頃とかだと思うから、ホントはもっと小さいときから聞かれてたのかも。

将来何になりたいの?って。

なんで将来の夢=職業なのでしょうか。

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将来の夢はたくさん書かされたけど意味なかった

将来の夢に関する授業っていうのは、将来の夢を題材にして何か作品をってことです。

つまり、小学二年生のときは将来の夢を絵に描きましょうって授業だったし、五年生?くらいのときは将来の夢を習字で書きましょうだった。

高校生くらいになると夢ってか進路って話になって、職業選択を前提に逆算してどこの大学行くとか専門学校行くって決めなくちゃならない。

で、その頃になると急にすごい現実的な話になるから、たいていの夢はハードルたっかいなってことになって諦めざるを得なくなる。

もう今の時点で遅いんですけどって。

偶然現実的な夢を掲げていた人は反対に夢への扉が開けた感じになるのでしょうか。

夢を叶える手段がある!手に届きそうなところに!と思うと楽しくなるでしょう。

で、実際に着々と正規の進路を歩み、実際にその職業につけたら晴れて夢を叶えたことになります。

でも、夢って職業じゃなきゃいけないのでしょうか。

夢はないけど理想はある

将来の夢=職業なら、やりたいことはあまりないと思います。

だって知ってる職業なんてそれぞれせいぜい200個くらいですよね?もっと50個くらいしか挙げられない人もいるかもしれない。子どもだったらもっと少ないはず。

その中から、夢を語りましょうなんてそもそもがフェアじゃないわけです。

夢=職業になってしまうと、夢を見ることさえ極端な制限の中なのです。

だけど将来理想とする生き方とかあり方は無数にあるんじゃないか。

将来理想とする、生活スタイル、年収、時間の使い方、恋人や結婚相手、自分像、住むところ、優先順位の付け方。歳を取るにつけて、そういうものは増えていく。

それらを考えた上で、理想の未来を実現するための足しになる職業、もしくは足を引っ張らない職業を探して選ぶという方法が良いんじゃないかな(もちろん働かないという選択肢も含めて)。

小さい頃に理想の生活を問えば、「ずっとお父さんとお母さんと一緒にいる」と書くかもしれない。

本当にそれを理想とするならば、家事は覚えた方が良いとか、介護の勉強も後々必要になるかもしれない、とのちのち教えられる。

もう少し大きくなったら、「野球をずっとしたいとか、アニメをずっと見てたい」とか書く子もいるかも。

それならこういう職業の人がいるのも事実で、そうなるためにはこういう勉強や練習が必要で、難しいけど不可能じゃないと教えられる。

職業はたいていの場合、自分の人生の理想を叶える手段でしかないのに、なぜか学校では職業ありきの人生で、とにかく何かになることを教えるんだよな。

なんか順番が逆な気がするのです。

まずあなたがいて、場合によっては何者かになる必要がある、というのが、僕の感覚です。

口に出さない希望がいくつあるか

はじめて夢を聞かれたとき、知っている仕事は5個くらいだったかもしれない。

次に聞かれたとき20個くらいに増えてて、その次真剣に考えるとき、200個くらいに増えてたかもしれない。

その中にやりたいことがないからと言って、将来の夢がないというのは大袈裟だし、夢がないからといって理想がない訳ではないでしょう。

知らないことが多すぎるし、夢は夜見るものだし、理想は上げればキリがない。

将来の夢を聞かれたとき、知らないという理由で無意識に削除しているものがいくつあるか。

仕事とは関係ないとか、甘い妄想だとか、理想論だとか言って口に出さない希望がいくつあるか。

かならずどこかに理想を叶える方法がある。その方法のだいたいに職業はついて回るけど、現実ではお金を稼ぐことと働くことも次元が違ったりする。

なんか僕ら、幼いときに画用紙とか半紙みたいな限られた枠に将来の自分の姿を書き表すことに慣れてしまった気がする。

将来の夢=職業、それも既存のものから選ぶことになっていると教えてしまうことは、すごく人の足を引っ張ることだと思います。

既存のものを全て知っているなら話は別だけど。

仕事は手段に過ぎず、道具に過ぎないです。

もちろん仕事が生きがいだったり人生そのものだったりすることもあるだろうけれど、それでもなお、仕事は道具、職業は入れ物で、あなた自身は別にいる。

 夢を描くな、理想を語れよ、と誰かが言っていたような。

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