『フルサトをつくる』を読んで①/僕のブログはどんな人を見つけるのか。

伊藤洋志さんとphaさんの共同執筆による『フルサトをつくる』

フルサトをつくる: 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

表紙に

暮らしの拠点は1か所じゃなくてもいい。 都会か田舎か、定住か移住かという二者択一を越えて、「当たり前」を生きられるもう一つの本拠地、“フルサト”をつくろう!

って書いてあります。なるほど…。

とても参考になったし読んで思ったこともあるので記事にしてみますよ。

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共感できる文章

『フルサトをつくる』には共感できる文章がたくさんありました。

それも平易な言葉で書かれているので共感度はさらにアップ。

さらに、紆余曲折あったけど幾たびものピンチやトラブルを乗り越え今に至ります俺かっけーみたいな文章ではなく、(phaさんの文章の影響が強いと思うけど)いかにもゆるい感じで、こうだったらいいよね、こんな感じがいいよね、でほらやったら意外に出来ちゃうんだよねって言う押し付けがましくなさに好感度がアップです。

町づくりとか拠点作りってハムスターとかカラスが自分の巣をつくるみたいになんかモソモソコツコツやってるわ(笑)とかって感じが良いと思うんだよな。

移住!とか田舎暮らし!ってなるとなんかプロジェクト感とか一世一代のって空気が出ると思うけど、別にそういうんじゃなくていいじゃん、気に入ったところ見つけてさ、もそもそと秘密基地作るみたいな感じで、ゆるっと溶け込めるところ作ればいいじゃん、覚悟とか決断とかそういうの置いといてさ、あっちにもこっちにも「フルサト」があるっていいじゃない。

なんか文章全体からおおらかな空気が流れてくるようで、読んでいて気持ちが良い文章でした。かと言って始終ふわふわって訳じゃなくて、しっかり「やってる」し、言い切るところは言い切るし、すごく繊細な部分のティップスに溢れていて良い感じの本でした。

それで、僕が最初に共感した文章

コミュニティという言葉は曖昧なので私は以後あまり使わないが、要するに「多様性があってかつ各々がやりたいことを調和しつつやり、必要に応じて協力できる人の集まり」のことだと考えている。 一丸となって何か単一の目的に邁進するのはコミュニティではない。

その通りだと思います。

地域の輪って必要?

「みんなが一丸となる」って気持ち悪い

の二つの記事を費やして書かれたことがさらっと言い切られていて、ああ、これで良いんだ自分馬鹿みたいだなって思った文章です。

同じような意識があったから短い文章で共感できたということだと思いますけど、要されたなあーって苦笑してしまった部分。

多様性と共通属性

で、多様性とか色々な人がゆるりと集まってって言うと、来るものは拒まず、どんな人でもウェルカムさって言ってるように聞こえると思うけど、そうではありません。

もちろん特定の誰かを拒むという意思がある訳ではないんだけど、やっぱり変な人が来たらどうしよう…っていう不安はありますよね。

変な人ってどんな人?という話しですが、単純に悪い人だったり周りに迷惑をかける人だったり、とても漠然とした嫌な予感がする人です。

『フルサトをつくる』ではこのあたりにも言及されていて、ここも共感できるところでした。

「人を集める」と「人を集めない」の使い分けの章に書いてあったことです。

熊野という地理的条件は人を制限する条件になっているのも確かだ。何より遠い。東京から車で行くと高速を飛ばしても11時間くらいかかるし、オオサカや名古屋からも車で4~5時間かかる。ただ、そういう来にくい条件だからこそ「本当にそこに興味のある人だけが集まる」「よく分かんない変な人が来にくい」というフィルターとして機能している面もある。

誰でもオーケーということは、それだけで一種の制限を加えていることになると僕は思います。

誰でも良いのであれば誰がいるのか分からないということでもありますし、それだけその人の人となりは問わないということになるでしょう。

そういう場所が悪いと言っているのではなくて、そういう場所に「よく分かんない変な人」がいっぱいいそう…という印象を与えることで、「普通の人」が敬遠してしまうのだとしたら、多様性を生む機会を損失していることになりはしないでしょうか。

誰でも良いというのはそれだけで制限なのです。

多様であるということの中にも、健全なコミュニティを作りたいのであれば、何らかの共通属性が必要だと思います。

共通属性というのは、言わなくても分かる部分、どこかで繋がっている部分があるということでしょう。

普通とか変とかって言って来たけれど、普通って何よ?変って何よ?って言われて定義できるものではありませんよね?

それに誰もが認める変人だからって別に悪い訳じゃないでしょう。

さらに言えば、みんな変でしょう。人のアイデンティティは変な部分で構成されていると言っても過言ではない。

つまり、ここで言う共通属性というのは、変さにおいて共通しているところなのです。

本文終わり。以下、共通属性についての追記です。

(追記)2017年5月追記 フルサト作り現状報告

今は

空き家を譲っていただきました

で書いた通り、誰かが来ても宿泊できるように整備しているところです。

面白ハンターを町に呼んでみた

で書いた通り、『面白ハンター』を運営してらっしゃる山本哲さんをモニターのような感覚でお呼びして、一月程生活してもらっています。

ここは

消費者よりも創作者の役に立ちたい

で書いた通り、創作者が引きこもれるような場所にしたいと考えています。

また僕自身が小説を書いて自分で製本して自分の図書館を作りたいという野望を持っているので、僕が指摘を受けたり、誰かに悩みを相談したり、刺激を受けたりして、お互いの創作活動が加速する感じになれば良いなと思ってる。

上記リンクでも言及しているところですが、以下に少し具体的な理想も書いておきます。こういうのは何回も書いた方が良いと思うから。

文芸を好むという共通属性

例えば小説家志望の方なんかが静かな土地で引きこもって、短期集中で執筆活動をするサポートをするというようなことがしたい。宿泊料金は設定しますが、書くことに関するサポートは趣味でやらせてもらうという感じが理想です。

お金が発生するところ以外で、損得勘定抜きに働きたいんだよな綺麗ごとじゃなく。創作って自分の手で行うことだし自分で行いたいところだと思うから、あくまでそのサポートがしたい。

ここに来れば絶対に文学賞に通用する物が書けるようになる、ではなく、「こうなりたい自分」を持った人が、その理想を叶えるためのサポートがしたい。

例えば、書くことは頭の中にあるのに、書く体力が無くて困ってるとか、忌憚のない感想を言ってくれる人が周りにいないから自分の実力に自信が持てず、書く上で迷いが生じてるとか、一本書ききることがまだできてないから、何とかその壁を越えたいとか考えてる人のサポートをする。

書くことについて教えるなんてことは僕レベルではできませんが、僕を客観的な第三者として、友達でもない先生でもない評論家でもない対等な存在として、もちろん本はある程度読んでますから全く適当な友達よりは当てにしてくれても良いかなと思ってます。

作品読んで感想言うとか、書くための体力づくりor生活リズム作りがしたいからトレーナーになってくれとか、眠らないように見張っててくれとか、その人に合わせたサポートをする。これは疲れそう。仕事だけどあんまいっぺんに人来ないでくれと祈るような仕事。でも楽しそう。

あ、執筆は夏の間なら「旧佐藤医院」を使うのがおすすめです。雰囲気のある涼しくて静かな環境で、作家っぽい変な空間を作り出せます。僕夏はそこで書いてます。

今は小説家を例に出したけど、ざっくり創作者の応援がしたいから、例えば脚本家になりたい人、エッセイストになりたい人、漫才のネタ書く人、あとブロガーとか来てくれても嬉しいですね。なんか全部文芸になっちゃったけど、それは僕がざっくりその方面の人だからです。

まったくアドバイスはできないけど絵描きさんでも写真家さんでも良いですし、書くんじゃなくて読み専門だという方が来ても面白い。

って書いてたらなんかごちゃごちゃ長くなってしまうのでこれくらいにします。

何となくこんなこと考えてるという感じです。

なんか創作って孤独だし、僕の町も寂しいし、でも田舎は創作に向いてると思うから気に入ってもいるし、誰か一緒にこの孤独を分かち合える人来てくれないかなーってのが僕のわがままです。こういう気持ちに共感してくれる人がぽろぽろと集まるような場所になれば良いな。

みんなで安心して一人ぼっちになれる場所、という感じ。

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『フルサトをつくる』を読んで②/飽きない田舎ってなんだろう…。

『フルサトをつくる』を読んで③/田舎ならではの教育の意義

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