日常の場面(シーン)が好きで、細部の詰め合わせを大事に思う

実は「温泉」ってあんまり好きじゃない。

印象良くない気がするんで普段口に出さないんですけど、大衆浴場で多くの人とお湯を共有するのがそもそも嫌だし、あんまり広いと落ち着かないのです。

だからホテルや旅館でも内風呂に入る派で、こういうタイプの人は黙ってるだけでけっこう多いと思う。

そんで、温泉行って「温泉入らないで良い」って言うと、「え、何しに来たの?もったいない」みたいに言われるわけです。

言ってることはとてもよく分かるんだけど、僕は「温泉」に入らなかったとしても「温泉旅行」は満喫しているし、温泉旅館は大好きなので、温泉旅行に行くことは好きなのです。

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温泉は好んで入らないけど、温泉旅行はすき

温泉は好かんとは言っても、温泉旅行は本当に心から楽しんでいるということは誤解されたくないところです。

温泉旅行のためにバックに着替えとか詰め込む瞬間から本当に楽しい。

移動中も心からワクワクしてるし、部屋に辿りついて一通り開けられる扉を全部開けて、はいはい把握しましたよってやるのは楽しい。

ベッドのシーツがピシッとしすぎてて窮屈なので一回あえて乱すことも、お湯を沸かそうとするもポットに対して洗面台狭いから水入れにくいなって思うことも。

自販機のジュース高っけ!って毎回思うことも、夜中に売店や、場所によってはコンビニに行って、夜食用のカップ焼きそばを買うのも。

今まで聞いた旅館の怖い話を思い出してぞわっとするのも、なぜか温泉宿のテレビを付けると切ない気持ちになるのも、全部好き。

そういう細部すべてが連なって「温泉旅行」のはずで、「温泉」はメインと言えど、温泉が得意ではない僕は温泉に入らなかったら温泉に来た意味がないとは全然思わないのです。

場面(シーン)が好き

そういうことが往々にしてよくあります。

たとえば僕は全然釣りに興味ないんですけど、いつだったか夜中に釣り道具を車に詰め込んでると思しき人を見かけて楽しそうだなあと思った。一緒に連れてって欲しいと思った。

お祭りは好きなんだけど、みこし担ぎたいとか出店で何か買いたいという気持ちはほぼないです。「お祭り」っていう浮足立った期間と空間が好きです。

野球部だったんだけど試合に興味なくて、練習がしたかったです。勝つために練習するんだろ、練習のための練習じゃ意味ないんだって言われるけど、練習のための練習最高。

ドライブに出かけるのは好きだけど、目的地を定める必要性はあまり感じません。どこに行くかより、道中をどう過ごすかの方に重きを置いているようです。

この共通点を言葉にするとすれば、たぶん僕は世の中のそういう「場面(シーン)」が好きなんだろうなと思います。

詳しく説明すると面倒なことになりそうなのでいい加減にするけど、「場面(シーン)に入るのが好き」という感じです。

誰もが死に向かってるからって(基本的には)死ぬことを目標としないのだし

僕ら目的は一応設定しつつ、それほど目的の達成を目標にしないことってあると思うのです。

というか多くのことが「それをやるなら目的はこれだろ?」ってことが否応なく決定されていて、そこに異論はないんだけど、目的を果たすことが目的かと言われれば必ずしもそうじゃない、みたいなことってけっこう多いんじゃないかなと思います。

極論、人生全部そうだろうって思う。

誰もが死に向かってるからって(基本的には)死ぬことを目標としないのだし。

こんなん屁理屈でしかないし、こんな極論を言えば「結果より経過が大事」があたかも正しいことだと言ってるように聞こえるかもしれないけど別にそんな気持ちもなく。

ただ僕はそんな言葉あるのか知らないけど「経過主義」だって話で「場面(シーン)」の中にいることに満足するのであって、客観的に達成できる成果よりも説明しても伝わるかどうか分かんない細部の方を愛しく思うことが多い性格なんだろうと思います。

小説を書く場面

僕は文章の中では何より小説を書くのが好きなんだけど、そういう場面好きな性格だから書けている気がしている。

小説は場面の連続で、場面は細部の詰め合わせだと思うから。

そしてそういう性格だから「みんなの書斎」なんか作って、「小説を書く時間」を楽しく充実したものにできればと思ってるんだろう。

つまり「場面」を作りたいのである。そういう設定の空間、細部の詰め合わせ。

小説を書くことで何を達成するかはそれぞれに任せるとして、とにかく僕は、僕の好みとして、小説を書く時間っていう、誰に話す必要のない人生の細部を、より良いものにしたいと思っているのです。


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