無視されてる感覚と表現・発信

コミュニティ・メカニズム

表現者、もしくは発信者は、無視されていると感じることも少なくないと思います。

こんなに頑張って発信してるのに、こんなに切実に表現してるのに、誰一人注目してくれないし、誰ひとり自分を認めてくれない、と感じることがある。

僕もちょっと前までは世間に無視されてる気がする、という気分になったものですが、そんなわけないので変な被害妄想に囚われて悩むの止めました。

止めましたと言って簡単に止まるネガティブ思考ではないのですが、無視されてる気がするっていう恐怖に囚われて書けるものも書けなくなるのはバカバカしいものです。

 

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無視される感覚・自意識過剰と被害妄想

被害妄想もいい加減にしなければなりません。

無視というのは、一応目に入っていて、意思を持って視野外に追いやることだと思う。

だから多分、無視って言うと、誰かが悪意を持って僕を省くこと。

世の中の多くの人は僕に無関心かもしれないけど、無関心だからこそ無視なんてされてるわけがない。

無視されてる気がするという疑心暗鬼は、そもそも見られるはずだと自分が思っていることの表れであって、言うなれば自信過剰による被害妄想ということになる。

きちんと真実を見つめれば、無視されているのではなくまずほとんど知られていない。ほとんど自分が見られる機会が世の中に与えられていない。

そして、見られたとしても無意識にスル―されている。

そこに悪意はなく、ただ空を飛んでいる鳥に注意を払わないように、排水溝に流れる水をわざわざ覗きこまないように、ただ注意されていないだけ。

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ただ世の中を流れていくだけというのは物足りないことなのか

それは悲しいことなのか、物足りないことなのかと自問自答すると、別にそうでもないなあといつか思いました。

それからブログ書いたりnote書いたり小説投稿するのが楽で楽で。

WEBの海の中に文章を投げ込むなら猶のこと、誰かに届いた方が奇跡と思う。

少なくともそう言い聞かせて幸せを噛みしめるのも一つの手。

もちろん、ときたま承認欲求が火を噴いて暴れることがあるので苦しくなることはある。

そもそもこんな記事を書いて残しておこうと思う程度には、やっぱり誰かに注目されたい、誰かに認められたいと思っていることの証左のような気もする。

 

これがパニック発作?誰にも認められていないことを認めるのは辛いという話

 

なかなかこの自意識のコントロールというのはままならないものだけど、いずれにせよ考えて書くしかない。

続けてれば少なからず誰かとコミュニケーションの機会も得られて、それだけでとりあえず楽しい。

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